【記録する者たち】もういちど、「風雲児たち」最後の担当編集者の追悼文を見てほしい。
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私は何事でも、マンガを通してしか話せませんが
それで良ければ又付き合って下さい。
先ほど林さんが来られて、しばらく雑談しました。
池上遼一読み切りから中川さんの話も出て
林さんは非常に喜ばれてました。
あと
また一件、風雲児違法ダウンロードのサイトを発見したので
林さんに伝えました。
検索すれば、スグ出ます。
こんなサイトはいくらでもあるのかなあ…
ではまた、宜しく
太郎
(2013/03/26 受信メール)
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亡くなられた当日も、朝には売店で新聞を買い、夕方にはコンビニで夜食を買い、夜にはご家族とLINEで楽しくやりとりされるなど本当に普段どおり過ごされ、深夜に息を引き取ることになるとは、奥様にも思いもよらなかったそうだ。「本人も、いつも通り眠ったものだと思ったのではないでしょうか」とおっしゃっていた。
これは、みなもと太郎を離れた一般論であるのだが、文章・コンテンツが売れるプロも、この情報化時代は当然あちこちに、昭和・平成初期には手紙も送っただろうし、平成中期~令和にはメールも、LINEもおくっただろう。後者は自分を顧みればわかるが、手紙の投函より手軽だし、徐々に電話は非礼、メールこそ本道になりつつあったりで、膨大なものとなると予想される。
これをどこかで、保存する道筋をつけることが、とりあえず重要なのじゃないだろうか、と。
むかしは「書簡集」は、超大物のみの事業だったかもしれない。それは手間暇を考えれば当然ではあるが、今は違う…はずだ。
自分もよくわからないが、人がなくなったらこれも一般論として、とりあえず携帯電話はその月で解約されるだろう。
あれ??そうすると、…ドコモメールとか、あとはLINEの記録って、そのまま消えてしまわないか? その後復旧できないんじゃないか?ヤフーやグーグルのアカウントと、アカウントメールもしかり
このへんはPCローカル、アウトルックに全部保存されていた時代ともまた違う。
とりあえず、みなもと太郎級に文化に足跡を残した人は、まず数か月は携帯の解約を待ってもらって、まずメールやLINEの記録を保管してから、措置してもらってくれないかなあ……いやしかし、プライバシーに渡る面もあろうしで、故人のメールをとりあえず保管する、ってアリかどうかはわからんところかもしれないが……ただそれは、今までの文人とかも同じだしね………
まあまあ、それは一般論だが、個別のみなもと太郎氏に戻すと「私は何事でも、マンガを通してしか話せません」と自認していた氏のメールは、少なくとも編集者、マンガの同業者とのやり取りに関しては、かなりの漫画論・文化論を含んでいるのではないか。受信した側の返信も含めて。
それをなんとか募集整理解説すれば、後世への文化的遺産になるのではと思うのです。
それでも、基本はコピペですませることもできるわけだし。
すくなくとも、歴代担当者の、仕事打ち合わせメールに限っても「みなもと太郎・担当編集往復メール」として、すくなくとも俺は読みたい。「乱」に数ページの連載があってもいいのではないでしょうか。
それが呼び水になり、あれほど訃報に際して漫画家のアカウントが反応し、しかも直接のやりとりを回想したのだから、漫画家同士でのメールのやりとりも相当残ってると思うの。それを、可能な人に提供公開してほしいの。その受け皿が、どこかにほしいの。
書いて気づいたが、これはやっぱり一般性のあることであり、他の作家、漫画家、ジャーナリストであっても、あるいは本当に市井の一般人であっても、追悼書簡(メール&LINE)集は、作ろうと思えばかなり簡単に作れる時代なんですよ。一般人は「追悼全集」を作るような文章は残していない(ブログやSNSをやってる人はまた別だが)。それでも「追悼メール・LINE集」は、一般人でも絶対に作れる時代となっているだろう、と。 ただ、亡くなった時に少し早い保存措置を取らねばいけない。
このへんのことは、一般化した法則として覚えておこうと思う。
もう続きが読めないなら「風雲児たち創作秘話」として、担当編集の回想が記録されるべきで。
同作品は、希望の友で1979年(昭和54年)に連載を開始した。この時の初代編集者、年齢を大きくとって40歳としよう(作者より年上という設定となるが)…その場合、82歳だ。ご存命、ご壮健かもしれないし、そうでないかもしれない、まあそんな時間が経過している。
それでも、初代編集者は無理でも、二代、三代…と、歴代の編集者が証言を残してほしい。いまさら「あの大爆走はなんなんだ」とか「だれが『雲竜奔馬』にしろといったんだっ」とか糾弾はしないから(笑)…いや、ちょっとは??
これらが、たとえば書籍になって商業ベースになる・・・・・とは、正直断言できない。
ただ、有料noteとか、電子限定出版とか、サークルみにゃもとでの発行とか(笑)、そんな方法で可能ではないだろうか。
しかし、今まで文章にかいたことはすべて、既に「風雲児たち」では数コマで描かれている。
「蘭学事始」を杉田玄白が書き残すときのそれだ。
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