ちょっと話題の東スポ記事。
……3フロアにわたってベランダの壁面に大きな韓国国旗を数多く掲出。さらに「『臣にはまだ5000万国民の応援と支持が残っております』と書かれた横断幕をかけた。これは壬辰倭乱(文禄の役)の時、朝鮮の海を守った李舜臣将軍が『臣にはまだ12隻の船が残っております』という言葉を先祖に捧げ戦場に向かった。選手村に入村した大韓体育会のスタッフが、国家の代表選手たちを盛り上げるために、このフレーズを応用した横断幕を準備したのだ」
www.tokyo-sports.co.jp
自分はこの種の歴史的な意味を持つフレーズの使用は、個人的には好きなのでひいき目である。
で、今ブクマした。
まず前半部
「皇国の興廃此の一戦に在り」(&「Z旗」)が一般的な鼓舞の意味を持つ程度に、これも意味が一般化している、と考えていいのではないか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705505155376161730/comment/gryphon
で、書きながら思いついてブクマ後半に書いた、もうひとつのお話。
別に豊臣秀吉の千成ひょうたんや、加藤清正の片鎌十文字槍、あるいは蛮族島津(シーマンズ)の轡十文字でもいいんだけど
むかし読んだ「まんが日本の歴史」で、倭寇が旗を指さし「この旗のゆくところ、我等に敵は無い!」と宣言してたからな。
この商品化を望む・・・・・・・・で終わろうとしたが、実は、既にあった!!
ただ、まだまだマイナー展開。もっとサッカー会場その他にもこの旗が翻ればいいなあ。
というのは、南無八幡大菩薩の旗が示す「倭寇」とは、単純なナショナリズムや侵略の象徴ではない。
そうではなく、国境と民族を越えて、またがって作られた”海の独立国”とも言える存在だったのではないか…という諸々の研究
偽装倭寇
中枢府判事の李順蒙による上申文記載。『世宗実録(世宗二十八(1446年)十月壬戌条)』の記述には「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」[(※翻訳)倭人は1、2割(または1、2件)に過ぎず、本国(朝鮮)の民が、仮に倭服を着して党を成し乱を作す]とあり、前期倭寇もある時期からは、高麗人または朝鮮人が主体となっていたことが窺い知れる。 (朝鮮王朝実録の『世宗実録 』114卷二十八(1446年丙寅)十月壬戌条)後期倭寇
後期倭寇の構成員の多くは私貿易を行う中国人であったとされる。後期倭寇の活動は交易と襲撃の両方、いわゆる武装海商である[22]。主な活動地域は広く中国沿岸であり、また台湾(当時未開の地であった)や海南島の沿岸にも進出し活動拠点とした[22]。
つまり民族融和の旗(…なのか???)
「李舜臣の旗」とのちに言われるようになった旗もあって、この前観艦式で話題になったね。それって本当にそうなの?的な議論も一緒に。
韓国済州島での国際観艦式
— 吉良青劉 (@redcrab_library) 2018年10月13日
韓国海軍の軍艦が朝鮮出兵の際に活躍した李舜臣の旗を掲げていたという話
いやこれ李舜臣の旗じゃねーから
という話を聞いてるけど
どういうこと? pic.twitter.com/Zpg0lPBUZp
いま画像が欲しくて探すとやや極端な、対抗心むき出しの対抗心を示したツイートが多いのだが、それしか画像がない(批判者ほど詳しい)というパターンも見受けられる
韓国が国際観艦式で掲揚した李舜臣の旗は、やはりいつものオチで、あれは過去に米海軍の報復でボコられ奪われた艦隊旗艦の旗でした。では李舜臣の旗の本物は?本日の坂東学校は李舜臣の旗についてお伝えします。中華・小中華の兵士って昔から上官が脅迫しないと動かなかったんですね(^_^;) pic.twitter.com/L54XApAEFz
— 坂東 忠信 (@Japangard) 2018年10月17日
しつこいようだけど、このブログで紹介されている、韓国の海軍士官学校博物館に展示してある『帥字旗』のレプリカの説明文にも、李舜臣のことなど一言たりとも書かれてはいない。 #映画が根拠だった李舜臣の帥字旗
— みつうろこ (@m_uroko) October 14, 2018
어재연 장군 수자기가 주는 교훈
(2013.01.07 17:12)https://t.co/iPJ9t9t900 pic.twitter.com/tDG0CnAGFR