※なにやら諸般の事情とやらで、公開後すぐにそれは終了してしまいました……
https://www.mangaz.com/book/detail/209971www.mangaz.com
作品内容
空を飛ぶ戦いの最中、想い馳せるは故国――。大手航空会社のパイロット訓練生・風間真(シン・カザマ)は親友の神崎悟と共にパリでの研修訓練を終了し、帰国後にパイロットとしての第一歩を踏み出すことになっていた。社長令嬢・津雲涼子との交際も順調でその将来を嘱望されていたシンだったが、神崎の策略により傭兵部隊入隊の契約書にサインをさせられてしまう。激しい内戦の続く中東・アスラン王国に入隊したシンが配属されたのは、作戦地区名「エリア88」と呼ばれる傭兵部隊で構成された空軍基地だった。この基地から除隊するためには、高額の違約金を払うか、契約満了まで生き延びるかのみ。シンは違約金を稼ぐため、ザク・ヴァシュタール国王率いるアスラン政府軍の傭兵として、ザク国王の実兄であるアブダエル・ヴァシュタールは率いる反政府軍と血みどろの戦いを繰り広げることになる。戦いのさなか、シンはエースパイロットとして頭角を現し、報奨金を稼いでいくが、次第に傭兵稼業に染まっていく……。作者の代表作にして一時代を築いた名作エア・コンバット・アクション・ロマン、電子書籍として装いも新たに登場!
そりゃ話題になるがな。はてブにコメントつくがな。
b.hatena.ne.jp
そしておそらく、はてなブログの中で「エリア88」に言及したトータル数では、当方はたぶんベスト20ぐらいには入るだろう。
いくらでも過去リンクを紹介できる。
昨年のこれとかな。
m-dojo.hatenadiary.com
しかし、それはそれとして、せっかくのお祭りなのだから、ちょっと趣向を凝らそう。
まだブログなんて概念すらはるか海外の話題、少なくとも自分がそんなものの存在を知らなかった時代に、自分が某所で書いていた「エリア88」に関する文章があるのでそれを発掘・復刻しておこう。
どれぐらい古いかというと、今開くときにバージョンが古すぎて、文字化けやら何やらでえらく苦労したぐらいだ(笑)
まー、そういうことで文章自体もかなりの若書きなのだけど、せっかく当時の熱があるので、広い心でご笑覧ください。
また、エリア88関連の文章はこの後もおいおいと。
「エリア88」新谷かおる 小学館、スコラ漫画文庫にも収録(・。・;)(;~;)
この作品には結構思い入れがある。これを読み始めたころは、そろそろ藤子不二夫的な子供向け漫画に飽きてきた時で、小説の方が面白くなり始めていた。それが、友人宅でこれを何気なく読み始めて、その衝撃によって漫画の世界に一気に戻ってしまったのである。それが幸か不幸かはよくは
判らないが、ともあれこの作品を読むと、筆者の中学時代をいつも思い出すのである。(これを友人の家で呼んだことも「面白い本は死蔵せず相互交流すべし」というこの雑誌(※「雑誌」といっても単にコピーをホチキスで束ねた程度の私家版です。同人誌とすら言えんレベル)のコンセプトを産んだ1つの原因であるかもしれない)・・・と思い出話をしてもしょうがない。話を進める。
あらすじ・・・優秀なパイロット・風間真は、親友・神崎に裏切られ、傭兵として中東の内戦国・アスランに送られる。そこの外人部隊基地・「エリア88」は王族の一人でもあるサキ空軍司令の元、人種・国籍・思想を越えた様々な男達が集まる精強師団だった。風間は苦悩しながらも生き残るために闘い続け、エースパイロットとして数々の戦果をあげる。
一方神崎は、流転を重ねつつある軍産複合体の指導者となり、世界的な紛争計画「プロジェクト4」を発動、アスラン内戦に介入する。エリア88は陥落するが、風間はサキの計らいで脱出。その後彼は日本で恋人と再開、一見幸せな生活を送るが、かつての仲間との闘いの日々が頭から離れない。一方旧88部隊は再編成され、独立部隊として神崎のプロジェクト4部隊を苦しめて来たが、敵の「スエズ侵攻作戦」を境に全面対決となる。その時そこに戻ってきた一人の男は、かっての撃墜王、風間真だった。・・・「家も国も捨てた男たちが、己の誇りを賭けて、今戦う!!」(宣伝文より)
「リアル」と「荒唐無稽」との綱渡り
この作品は、日本人の戦闘機乗りが異国の地で戦うという「個人」としての物語--作者は、着想を「岩窟王」からとったと証言している--が中心だが、漫画史上に特筆されるべき功績は、戦略的発想を戦争漫画の中に遠慮せず持ち込んだ事にある(司令官サキが、王族の一員でありながら、ある失敗の責任をとって最前線にいるという上手い設定が、戦略を一基地に取り入れるのに役立っている。)。それを典型的に表しているのが、戦術核の描き方であろう。連載が始まってほんの少ししかたっていない時期、友軍基地エリア81(だったか?)は戦術核で消滅させられてしまう。同じ種類の核ミサイルをエリア88は撃墜して事なきを得るのだが、核を使うということに(特に日本では)まつわる、あれやこれやの「意味」をここでは一切切り捨てて、単なる一つの軍事的要素としてのみ捕らえようとしている。無論これは、別の意味でリアリティを喪失する危険があるが(アメリカ等が、この種の核拡散に無関心な訳がない)ある種の表現タブーを破った事は事実だと思う。この後「パイナップルARMY」「沈黙の艦隊」「MASTERキートン」など軍事に題材をとった秀作が産まれてくる下地を作ったと言えよう。(「ゴルゴ13」の流れもあるだろうが。)戦略的な発想といっても、そこは開拓者の辛さで、現在の漫画の水準から見ればほんのお飾りという面は免れない。「中東で戦争がおきれば各国は石油をアメリカに頼るから、アメリカは儲かる。だから手を出さない。」といった、湾岸戦争を知っている今からみれば苦笑するような論理なども例えばみられるのだが、その反面、特殊鋼材の市場価格から軍事情報を分析するといったキラリと光る描写も存在する。
ただ、この漫画でそういうリアリティに(その当時は画期的とはいえ)今一歩踏み込めなかったのは時代的な限界だけではない。新谷かおるという漫画家は、基本的に「リアルさ」と「奇想天外な面白さ」を秤にかけたら1も2も無く後者に傾く人材であり、まただからこそ少年雑誌での戦記ものが成功したといえる。(そもそも軍事評論家に言わせれば、各自バラバラの機種の戦闘機を持つということ自体、整備や補修の点から見て荒唐無稽だという。確かにそうで、しかもトムキャットやA-10があるというのは、もはやなんでもありの趣味の世界というほかない)6~8巻ほどだったか、キャタピラで砂漠を走り回る「地上空母」とそこから発信する無人戦闘機と、もはや1歩間違うとSFの世界にいってしまうような設定である。しかし、新谷かおるの凄い所はそこで決して踏み外さず、きっちりと作品世界に溶け込ませてしまう所にある。「エリア88」の中では「兵器マフィア」や「影の総理」、「原子力空母の払い下げ」など、常識を越えた設定が節目節目で登場し、最後には風間と神崎の生い立ちに日本政治の裏面史まで絡んでくるが、逆にいえばそれらがもし無かったらこの作品は破綻なくまとまる代わりに、スケールが一回りも二回りも小さい小じんまりとした作品で終わってしまっただろう。
「軍事ロマンチシズム」の是非について
この全20数巻の長編を一貫して流れるのはあふれるロマンチシズムである。台詞回しや果てなき大砂漠の描写などには、詩的世界を構築しようとする作者の意気込みと技術が発揮されている。新谷は松本零士の愛弟子であり、夫人が少女漫画家である。かれは技法や発想においてこれらを十分に吸収したのだろう。「銀河鉄道999」で、1話が完結するごとに松本零士は詩的なナレーションをつけているが、これは新谷の「エリア88」にもそっくり受け継がれている。そういえば筆者は未見だが、松本は「ザ・コクピット」などの戦場漫画シリーズでも知られている。
最近はあまり見かけないが、この類の漫画やドラマにはいつも「戦争を美化している」といった批判が付き物である。も当然その類の批判をうけてきただろう。そういう意見が全く無意味とはいわないが、ピントがぼけているという印象をもつのも確かだ。
軍事にまつわるあれこれが好きな人間というのは、洋の東西を問わず存在する。筆者は軍艦や戦闘機の機種や性能云々には全く興味を持てないのだが、これは軍事に限らず、車やバイクでさえ同年代の人間には珍しいほど無知なのの延長なだけで、逆に言えば車やバイクに熱中する人間があれだけいるのに、戦車や戦闘機に誰も興味を示さないほうがおかしいだろう。より根源的なことをいうと、軍や戦争というシチュエーションにおいては勇気や自己犠牲、友情や尊敬、迷いや決断といったドラマツルギーに不可欠な要素を見つけやすいという厳然たる事実がある。むろんそれと表裏一体の悲惨さがあることなど、どんなアホでも知っている。しかし、それはどんなことでも同じである。例えば、軍事ロマンチシズムを批判する人々は往々にして「革命ロマンチシズム」は野放しにする傾向がある。言うまでもないが、革命には戦争と同じくらいか、さもなくばそれ以上の
暗い惨状が付随する。しかし、だからといって(多分に幻想の世界だが)、手に鎌や鍬を持った農民が政府の官舎を襲撃するとか、野戦服を着たゲリラが占拠したラジオ局で「国民諸君!!」とか
と呼びかける光景をかっこいいと思うのは悪い事ではないし、ましてや架空の世界ならば何をかいわんやである。無論、戦争や革命の悲惨さをもって作品を作りあげても傑作は出来うる。しかし、そうやって出来た反戦漫画は、よくできた戦争漫画と価値は等価である。 いうまでもないことではあるが、「エリア88」は駄目で「アドルフに告ぐ」はいいと言うような単細胞的評価をする人がいるからあえて言っておく。
「男たち」の神話として
遥か昔から、戦争はある種のロマンと共に語られる1面がある事は前述の通りである。この中で、「エリア88」が特に強調しているのは、戦士たちの梁山泊としての基地という面である。
筆者はエンターティメントを語るときしばしば「銀英伝」を引き合いにだすが、「外伝2」の「イゼルローン日記」の光景と、エリア88基地内の雰囲気のなんと似ていることか。お祭り騒ぎをするものがいて、賭けをする奴がいて、怪しげな儲け話に首を突っ込む者がいて、そいつをカモにする奴がいる。時には司令官までそんな騒ぎに巻き込まれる。こういった、「危険と隣り合わせの個性的な男達の共同体」という設定は筆者も大好きである。「コンバット」や「太陽にほえろ!」もそういう男達の共同体としての魅力が人気の一つだったのではないか。
これを「陽」のロマンとすると「陰」にあたるのは、次々に人が死んでいく中で、生き残る事のやるせなさ、それでも戦おうとする男たちの思いである。特に主人公は望んで傭兵になったわけではないから、人を殺したくないという思いと、殺さなければ生きていけないという現実との葛藤がしばしば起こる。ある時、同じように騙されて来た日本人が、殺人は嫌だといって戦争を拒否し、銃殺刑の判決を受ける。その男は風間に自分が生きるためなら戦争に加わるのが許されるのかと皮肉り、甘んじて殺される。この挿話は、全体の構成には何の関係もないどうでもいい話である。 しかし、人の心に何かを残すものがある。こういう全体の文脈では捕らえられないいくつかの毒が、「エリア88」が陰影の濃い物語になりえた理由なのだろう。