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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

森鷗外「高瀬舟」「阿部一族」「雁」を、今更まとめて読んでみた(漫画化をきっかけに)

これがきっかけ。

togetter.com

自分は森鷗外がドーモあまり好きではなかった。
そして、作品も、かなりの乱読時代に一応読んだような作品もあるが、何か印象に残ってるか?といえば言えないのだからほぼノーカンといっていいだろう。

ただ、今気づいたが、好きなジャンルである実在人物を登場させて架空歴史と交錯させるタイプの登場人物としては活躍してるし、この人が出ると立場的にもいろいろ動ける地位にいるので話が広がるわな。
「坊ちゃんの時代」
漱石事件簿」
「天切り松闇語り」
いずれも”名演”だ。

天切り松 闇がたり3 初湯千両 (集英社文庫)

天切り松 闇がたり3 初湯千両 (集英社文庫)



それでにわかに思い立って、「高瀬舟」の実際の文章も読んでみようと思いましたよ。
それだけこのマンガの力が凄かったということです。

選んだテキストは、青空文庫が読めるというのに、なぜか旺文社文庫。それも昭和40年に初版が出たものですよ…なんでこれなのかといえば近くにあったから、としか言いようがない。(なんかこの表紙懐かしいって人もいるんじゃないでしょうか?)

高瀬舟の他、選んだのが 「阿部一族」と「雁」なのも、この文庫がそういうチョイスだったからというだけである

さらっと感想

高瀬舟

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……森鴎外の実際の小説版を読んでみて逆にわかったのが「本当にあのコミカライズは、物語を過不足なく語っている」ということでした。実際のところ文章としてごく短いのです。181P-195Pだもの、小説版でも。

確かに余韻のあると言うか、いろいろ思うことはある。それを促す掌編かと思います。


阿部一族

www.aozora.gr.jp


こちら
https://togetter.com/li/1699165
が、最近多数のブクマがついて話題になりましたが、まあ大きく言うとその範疇に入るような、「武家の道徳と判断基準が頭おかしい」という話です、ホントに


これまた最近流行りの、過去の名作をラノベ風の長いタイトルにしてみる…というので行ってみると

「俺が主君に殉じて死ぬのが許可されなかったので 無許可で死んでみたら、そのことが批判されたので 跡継ぎが抗議したら死刑になったので 一族全員で武装蜂起したら、追手の方も積極的に死ぬつもりでやって来たので 大乱戦になった件」

なんか…ラノベというより「ながいけん」の案件だよこれじゃ(笑)

でもマジ。

実はこれぐらいの有名な作品になると色んな所で論じられたりするので、なんとなく全体の話は知っていたんだよね。
だがディティール的にやっぱり読んでみると面白いことが多かった。
武士のメンタリティとして「俺は死ぬのは全然怖くねーから!」というのを常に証明しなければならない、というのが絶対的な基準であって、 そうであるからこそ「殉死」も「討ち死に」も、なぜかそれを目的そのものにしなければならない、という矛盾みたいな物が出てくるんだわ。
これを読んで、武家社会から「殉死」という慣習を完全に断絶させた保科正之の慧眼と…いや慧眼というより、それを断絶させるにはものすごい苦労があったんだろうなー、と苦労を偲ぶことになりました。

そして自分たちがこれから死ぬということを大前提にしながら武家の一族が、そしてその周囲が振る舞う一挙手一投足が、本当に反時代的であるけれども一種「美しい」ものであることを認めざるを得ない 。

弥一右衛門の追腹、家督相続人権兵衛の向陽院での振舞い、それがもとになっての死刑、弥五兵衛以下一族の立籠たてこもりという順序に、阿部家がだんだん否運に傾いて来たので、又七郎は親身のものにも劣らぬ心痛をした。
 ある日又七郎が女房に言いつけて、夜ふけてから阿部の屋敷へ見舞いにやった。阿部一族は上かみに叛そむいて籠城めいたことをしているから、男同志は交通することが出来ない。しかるに最初からの行きがかりを知っていてみれば、一族のものを悪人として憎むことは出来ない。ましてや年来懇意にした間柄である。婦女の身としてひそかに見舞うのは、よしや後日に発覚したとて申しわけの立たぬことでもあるまいという考えで、見舞いにはやったのである。女房は夫の詞ことばを聞いて、喜んで心尽くしの品を取り揃えて、夜ふけて隣へおとずれた。これもなかなか気丈な女で、もし後日に発覚したら、罪を自身に引き受けて、夫に迷惑はかけまいと思ったのである。
 阿部一族の喜びは非常であった。世間は花咲き鳥歌う春であるのに、不幸にして神仏にも人間にも見放されて、かく籠居ろうきょしている我々である。それを見舞うてやれという夫も夫、その言いつけを守って来てくれる妻も妻、実にありがたい心がけだと、心しんから感じた。女たちは涙を流して、こうなり果てて死ぬるからは、世の中に誰一人菩提ぼだいを弔とむろうてくれるものもあるまい、どうぞ思い出したら、一遍の回向えこうをしてもらいたいと頼んだ。子供たちは門外へ一足も出されぬので、ふだん優しくしてくれた柄本の女房を見て、右左から取りすがって、たやすく放して帰さなかった。


あとひとつ、これもどこかで先回りして読んだ記憶があるんだが、

「すごく身分の低い無教養な、使用人レベルの人間が辞世の句を詠んで自決する。
その辞世の句が、いかにも無教養で身分の低い人間が詠むような内容で、逆にその素朴さが何とも奇妙な感動を呼ぶ……」

そんな話を聞いて何かが印象に残っていた。
どうもそれはこの作品らしい


 五助は犬の死骸をかたわらへ置いた。そして懐中から一枚の書き物を出して、それを前にひろげて、小石を重りにして置いた。誰やらの邸で歌の会のあったとき見覚えた通りに半紙を横に二つに折って、「家老衆はとまれとまれと仰せあれどとめてとまらぬこの五助哉」と、常の詠草のように書いてある。署名はしてない。歌の中に五助としてあるから、二重に名を書かなくてもよいと、すなおに考えたのが、自然に故実にかなっていた。
 もうこれで何も手落ちはないと思った五助は「松野様、お頼み申します」と言って、安座あんざして肌はだをくつろげた。そして犬の血のついたままの脇差を逆手に持って、「お鷹匠衆はどうなさりましたな、お犬牽きは只今参りますぞ」と高声に言って、一声快げに笑って、腹を十文字に切った。松野が背後から首を打った。

この作品は、乃木将軍が明治天皇の後を追って殉死すると言う、明治の終わりを告げる大事件の影響を受けて書かれたとも言われる。

ならば司馬遼太郎「殉死」も、ともに読むのも一興だろう

殉死 (文春文庫)

殉死 (文春文庫)


「雁」

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これなあ……自分の体験談に基づくものらしいからしょうがないと言えばしょうがないんだけれども。
そしてヴィクトルユーゴーの「レ・ミゼラブル」でも読んだからあまり驚かないんだけど


メインストーリーの「A⇒B」とは別の、余計な話がすっげ―長く語られているんですよ。

この古典にネタバレも何もないと思うけど、要は学生エリート
「僕」「岡田」「石原」 のほか、「高利貸しの末蔵」「末蔵の女房」「その妾・お玉」「お玉の父親」などが出てくるんだけど、メインは岡田とお玉の交流。
なのに、末蔵がどのように金を稼いでのし上がって行ったか、どうやって彼がお玉を妾にしたか、そのことがどう女房にバレたか……みたいな話が延々と書かれている。
そして表題の「雁」も、そもそもメタファーがどうとかそういう話は別として、ほとんど中心テーマとはかけ離れてる(笑)。

……ただ、ある意味で「一瞬の偶然で変わっていく、人々の運命」を描くのがこの作品だから、「雁」の話のような、余計なことが延々と語られるのもある意味「らしい」のかもしれないし、これが本当に実話が基なら、実際にあったことをそのまま書くとすれば、「物語としては余計なこと」が入ってくるのも当然かもしれない。

 西洋の子供の読む本に、釘くぎ一本と云う話がある。僕は好くは記憶していぬが、なんでも車の輪の釘が一本抜けていたために、それに乗って出た百姓の息子が種々の難儀に出会うと云う筋であった。僕のし掛けたこの話では、青魚さばの未醤煮みそにが丁度釘一本と同じ効果をなすのである。
 僕は下宿屋や学校の寄宿舎の「まかない」に饑うえを凌しのいでいるうちに、身の毛の弥立よだつ程厭な菜が出来た。どんな風通しの好いい座敷で、どんな清潔な膳の上に載せて出されようとも、僕の目が一たびその菜を見ると、僕の鼻は名状すべからざる寄宿舎の食堂の臭気を嗅かぐ。煮肴にざかなに羊栖菜ひじきや相良麩さがらぶが附けてあると、もうそろそろこの嗅覚きゅうかくの hallucinationアリュシナション が起り掛かる。そしてそれが青魚の未醤煮に至って窮極の程度に達する。
 然るにその青魚の未醤煮が或日あるひ上条の晩飯の膳に上のぼった。いつも膳が出ると直ぐに箸を取る僕が躊躇ちゅうちょしているので、女中が僕の顔を見て云った。
「あなた青魚がお嫌きらい」
「さあ青魚は嫌じゃない。焼いたのなら随分食うが、未醤煮は閉口だ」
「まあ。お上さんが存じませんもんですから。なんなら玉子でも持ってまいりましょうか」こう云って立ちそうにした。
「待て」と僕は云った。「実はまだ腹も透いていないから、散歩をして来きよう。お上さんにはなんとでも云って置いてくれ。菜が気に入らなかったなんて云うなよ。余計な心配をさせなくても好いいから」
「それでもなんだかお気の毒様で」
「馬鹿を言え」
 僕が立って袴はかまを穿はき掛けたので、女中は膳を持って廊下へ出た。僕は隣の部屋へ声を掛けた。
「おい。岡田君いるか」
「いる。何か用かい」岡田ははっきりした声で答えた。
「用ではないがね、散歩に出て、帰りに豊国屋へでも往こうかと思うのだ。一しょに来ないか」
「行こう。丁度君に話したい事もあるのだ」

以上突発的に、森鴎外文学なぞを読んでみた感想でした。

いくつになっても勉強というか、新発見の種は転がっているものですね。

山田全自動先生は、5月に本を出すとか

山田全自動の落語でござる

山田全自動の落語でござる

  • 作者:山田全自動
  • 発売日: 2021/05/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

いま、広告やメディアに引っ張りだこの人気イラストレーター・山田全自動による、
ユニークかつ斬新な落語演目のコミカライズ本!

ちょんまげに着物姿の江戸時代の町人をモチーフとしたキャラクターによる日常のあるあるネタを、シュールなコメントとともに表現する作品がインスタほかで大人気のイラストレーター・山田全自動。昨今、数多くの広告や企業コラボなどで彼のイラストを目にする機会がかなり増えていますが、メディアで取り上げられることも多々です。

そんな彼が現在最も注力しているテーマが落語。古典落語の演目をわかりやすくユニークなタッチで漫画化しています(Instagramにて精力的に投稿中)。本書はインスタにアップしてきた漫画に、新作描き下ろしネタも大幅に加えて構成する、落語演目をコミカライズした作品集です(定番系の話ほか30演目程度収録予定)。さらに、イラストによる各種コラム企画、寄席ルポ漫画なども盛り込み、山田全自動ファンのみならず、落語初心者も十分楽しめる入門書となります。

zenjido.blog.jp