世間では「ブックオフで本を買うのは非常に失礼なこと。著者や出版社の得るべき利益を失わせる行為だ」など、ブックオフを敵視するという主張が時々あるのね。
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図書館批判の親戚でもある。
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「実際にブックオフがあって、それを利用するのは仕方がない。ただそれを公言するべきではない」
という主張もあった。
これらの主張が正しいか正しくないかといえば、論理的には正しくないと思ったが、それと同時にこれは感情の問題であり、感情面でなかなか実際に本を執筆した人、出版社の人がこういう思いを払拭できるかといえば難しい面もあるのだろう。
でまぁ自分も暫定的に「 BOOKOFF で書籍やCDを買うのが道徳的に問題があるとはついぞ思わないが、それが作者や出版関係者の耳に入らないように、そうであっても言わぬのが花であろう」…という結論に達していました(ということは買ってるのか、といえば、まさにそこはノーコメント)。
ところが、 「ブックオフ大学ぶらぶら学部」という本を読んでいまして…。
これはフリーライターやコレクター、古本マニアが集まってちょっとした古本エッセイを寄稿した肩のこらないアンソロジーなんだけれど、冒頭に掲載された著名ライターである武田砂鉄氏のエッセイ(アマゾンではこの本全体が彼の名義だが、そうではない)で、この辺のタブ-をあっさり破っている一節があったんです。一昨年、朝日新聞出版から「週刊朝日」に連載していたナンシー関のエッセイを選りすぐって文庫で編み直しませんかとの依頼が来た。もちろん快諾し「ナンシー関の耳大全77 ベストオブ「小耳にはさもう」1993-2002」としてまとめたのだが、既刊本を編集部から送ってもらう前に、おおよそ家に揃っていた。なぜって、ナンシー関の文庫は ブックオフで買い揃えてきたからだ。
ナンシー関の耳大全77 ザ・ベスト・オブ「小耳にはさもう」1993-2002 (朝日文庫)
- 作者:ナンシー関
- 発売日: 2018/08/07
- メディア: 文庫
その「版元」から「仕事」を依頼され、ある人物に関する作業を行う時、「その人の(版元から出ているものを含めた)文庫はすべてブックオフで買い揃えていた」って、ここまで堂々と公言し、活字として残せるんだから。「 BOOKOFF 失礼論争」というのは本当に実質的意味があるんだろうか……と思わせる一件でした。ただ単純に「心臓つえーな」な話なのかもしれないけど。
ちなみに武田氏のコラムには、こういう記述も
LUNA SEA が洋楽の店に、ジェーンスーが外国文学の店にあるというのは「違うでしょ」で終わりだが、内田樹が自己啓発の店に、石田衣良がタレントの棚にあった時「内田樹の自己啓発性」「石田衣良のタレント性」をどう捉えるか、私たちは試されることになる。この二つに関して、「間違いではないかもしれない」との結論に行き着いた。 ブックオフの棚はこうして私たちを挑発する
この本では多くの執筆者により、さまざまなブックオフの「あるある」が語られているけど、だいたいまあ、誰が挙げてる「魅力」も似通ってしまうのは誤算か。
その中でも特に価値が高そうなのは、匿名の「Z」氏による
「ブックオフとせどらーはいかに共倒れしたか」という、ブックオフに対するせどりの歴史を述べた章。民俗学的な意味も大きいように感じました。
最後に余談。古本・・ブックオフで買ったり、図書館で借りて読むのは作家や版元に失礼だ、という議論の正反対で、私自身の体験談だけど、祖母から
「古本屋や図書館にある本なら、そこを使うのが健全で質素な生活であり、新刊を普通の書店で買うのは贅沢奢侈という悪徳である」という価値観を言われたことがありました。
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マナーや道徳論というのは、ことほどさように難しい。