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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

ちばてつや描く「中国人の、日本人への略奪暴行」。だが……※ひろしまタイムラインに関連し

「当時の状況を疑似的に「ツイート」形式でつぶやいていくあの手法や表現の、どこが問題だったのでしょう」
「いくら当時の日記や、回想手記をベースにしていても、正確なニュアンスではない。それに、注釈もなしに述べると一方的なイメージを持たれる」
「というと」
「行動それ自体は乱暴だったり悪いことをしているように見えても、それにはそうなるに至った事情がある。それを述べないで語ると、偏見が増幅される」
「なるほど、そういう事情もあることを伝える注釈が必要なのですね」
「そうでないと、悪いイメージだけが広まるでしょう、復員軍人の」
「あ、そっち?」

…というのは戯作的な皮肉であるけれども、実際にツイート…というか「シュン」くんの視点で、電車に関して悪印象を持たれる集団は「復員軍人」と「朝鮮人」で、ほぼひとくくりにして嘆いたりもしているのだから、実際にそっちの指摘もないのはちょっとばかり不思議ではある。
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1295902008994652162
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1295902227652018176


ただ、話題の中心となったのはこっちだから、やはりこっちの話をして、タイトルの話につなげていく。



これらの記述は日記にはないのだが、元の資料はこれらしい。



さて、こういう記述がもとにあったという前提で、注釈(が無い)うんぬんという話をしなければいけないのだが…

敗戦後、「戦勝国民」として振る舞う朝鮮半島出身者に、なんの抵抗もできない日本人の情けない姿を見て、13歳の中学生シュンが悔し涙を流したという内容だ。
(略)
…なぜわざわざこんな差別を誘発しかねないツイートを発信したのかと大きく問題になったのである(同時に、それ以前の「朝鮮人」関係のツイートも、さかのぼって問題とされた)。
このような指摘を受けて、NHKは翌21日、「手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって[ツイートを]掲載」したなどと発表した。

手記は自費出版らしく、入手が困難なので内容を確認できなかったが、おそらくそのような記述もしくは回想があったのだろう。NHKが差別的な表現を創作して、意図的に発信したと勘ぐるつもりはない。

だが、ここで「元ネタどおり」とのみ発表したのは大いに疑問だった。
(略)
NHKには、「元ネタどおり」で済ませるのではなく、「創作の責任」についてもしっかり言及してほしかった。現実と虚構を横断する、刺激的な企画には、そういう丁寧な対応が不可欠だったはずである。
「朝鮮人だ!!」ツイート炎上…「ひろしまタイムライン」最大の問題はこれだ(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

ツイッターの場合は(関連するツイートをつなげて投稿する)スレッド機能がある。誤解を招くような表現があったら、それに対して「当時はこうだったけれど」と注釈をスレッドでつける。ツイッターは140字の文字制限があるが、スレッドでつければ表示できる。ある程度誤解というのを防ぐことができる。

 ただ、そもそも論がある。日記をツイッターに流していくという企画自体が良かったのか。ツイッターは、何かのテーマで連続してツイートしても、その複数のツイートを全部読めば理解できることでも、情報を受信した側は一個だけリツイートする。文面が寸断されやすい。デリケートな問題だからこそ、注釈とか丁寧な文脈と一緒に届けることが大事だ。
「シュン」の日記主、NHKに不信感 認識に食い違い:朝日新聞デジタル

この引用にも、注釈をつけとくべきかな…トリエンナーレの話ではありません」と(笑)。いやいやいや。


さて、
このあと補足して書いていく予定なんだが、まず画像を2つ紹介しよう。ちばてつや先生の回顧まんがである。「家路 1945〜2003」

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ちばてつやの引き揚げ体験「家路 1945〜2003」
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ちばてつやの引き揚げ体験「家路 1945〜2003」中国人からの日本人への略奪暴行

そもそも、ここに描かれているような「玉音放送の直後から、奉天などで中国人や朝鮮人(※とかいてある)の大騒ぎが、在住日本人の生命財産に対する略奪暴行になっていった」という話自体が、あまり書かれる話ではない。たとえばことしの夏、戦争関連のテレビ番組や新聞記事で取り上げていたものがいくつありますか。だからこれらのちばてつや回想漫画を初めて読んだ時「うわー、いろんなしがらみであんまり描かれない話をレジェンド漫画家が描いてるなあ」とおどろいたもんでした。これらはすべて、ちば氏本人が目撃した、体験した(その上で漫画的アレンジもあろう)貴重な談である。
だから、「ひろしまタイムライン」と似ている。

……のだが、まあそらくここがちがうのだ、という点はある。

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ちばてつや引き揚げ漫画「家路1945-2003」

「それまで長い年月日本人に虐げられてきた」―ナレーションでこのように書かれているほか、別のコマでは「それまで我が物顔で威張っていた日本人」とある。

さらにいえば、お父さんの親友といえる中国人がちばさん一家を匿い、助けてくれることも描かれている
(このひとの話は最近の氏の「ひねもすのたり日記」でさらに詳しく描かれている)

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ちばてつやの引き揚げ体験「家路 1945〜2003」


こういう記述があれば、なるほど略奪暴行を受けても、ソ連軍から民間人への無差別銃撃を受けても、中国残留孤児は子供を保護してくれたという人もいた一方で「人身売買」の一面もある(※ともに、そういう記述があります)、と作者が書いても……ソ連軍や子供を買った側に仕方ない事情があったのだな、という印象も抱く……のだろうか??ここ、留保して後述しよう。

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ちばてつやの引き揚げ体験「家路 1945〜2003」
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ちばてつやの引き揚げ漫画「家路」。残留孤児には人身売買の一面もある、と描く場面も

しかし、そんな議論の問題点をこれから考える。


◆そもそも、終戦後の日本人が受けた被害を描く時「日本の侵略、植民地支配の加害性が…」を描写(注釈)するのは必須なのだろうか?


ということで、「ちばてつやの引き揚げ漫画は、加害者とされる中国人らが「虐げられてきた」「日本人が威張っていた」との描写があり、またちば一家をかばう「いい中国人」も登場させているから、良心的な作品として許容されるのだ。ひろしまタイムラインのツイートは、そういう注釈が無いから問題なのだ」、そんな議論でそもそもいいのだろうか。

終戦後の電車の席取りをめぐるあらそいや、奉天での略奪暴行に、「それまで威張ってきた日本人」への「虐げられてきた中国人、朝鮮人ら」の報復感情(怒り、抵抗精神)が背景にあったことはまずもって事実だろう。それは体験者のちば先生が身をもって感じて書いていることだ。

だが・・・・そもそも被害、略奪や暴行で直接の被害を受けたり、その光景を見ていることは個別の体験である。
そしてそもそも、植民地支配や侵略の報復として、特に軍と一線を画す民間人がそれらによって財産や肉体の安全の侵害を受けても甘受する正当性があるか、といえばおそらく無いのである。
韓国との請求権交渉でも、そのへんが話題になったね(本来的には現地の日本資産は、戦争に負けようが引き揚げようが、それぞれの個人に帰するものだ)


で、あるなら、今回のひろしまタイムラインの元ネタ氏は、実際のツイートにはいろいろ不満を表明しているが、上に紹介した回想手記なども見ると、とりあえず国鉄の駅、車両で「復員軍人」や「朝鮮人」の”横暴なふるまい”を目撃していないわけではないようだ。
その描写に、本当に注釈は必須なのか、というと少し変だぞ。ちばてつや氏は、そういう記述を2か所だが書いた。それはそれで作品のクオリティを上げる、的確なナレーションだったと思うが「その記述は必須であり、それが無ければ自分が体験した略奪暴行の事実を記述してはならない。そう描いたら差別だ」…ではない、んじゃないですかね??? 別にひろしまタイムラインでも「注釈」をつけたところで一向にかまわんのだけど、太線にしたこの部分は確認する必要があるのではないか。


◆日本人は加害者だったから被害も仕方ない、は「セカンドレイプ」と同じじゃないか?
そもそも、略奪暴行や駅・電車内での傍若無人なふるまいを「でもそれまで植民地支配や侵略で彼らを苦しめてきたんだし」って被害者に言うとしたら、それってセカンドレイプとカテゴリーは同じにならないか?そもそも引き揚げや終戦後の治安悪化の被害の中には、文字通りの性的な被害も存在しているしな。そういう被害も「植民地や侵略の加害の歴史がある以上、日本人の女性らに性的な被害があっても、そういう背景がある」と”注釈”をつけねばならんのか、となる。


そういう対象はどこまで広がるのか、でもある。冒頭に書いた”復員軍人”をネタにした、コントのような問答はそれをはからずも端的に示してるっちゃあ示してて「一方的に「復員軍人」という属性を強調し、悪者のように描くな、注釈を付けよ。彼らもまた一方的に徴兵を受けた被害者であり、将来の不安と一刻も早く故郷に戻るための焦りで列車に我さきと上がり込み…」とかなんとか、いくらでもリクツは立つ。
参考
hokke-ookami.hatenablog.com


たとえばまた、第二次世界大戦インドネシアなどで辛酸をなめたオランダ人の苦労や被害は「オランダのインドネシア植民地支配の暴虐も『注釈』を入れよ」となるのか、ともいえる。
さらにいえば、これをひっくり返して「植民地時代の朝鮮民族満州での非日本人が味わった苦しみを書くなら、『必ず一緒に』終戦後の引き揚げ日本人の苦しみも”注釈”その他で描写されねばならない」という行って来いな条件はつくのか?たぶんつくまい。


ロバート・キャパの「丸刈り写真」に、「でも彼女たちは対独協力者で、周りのフランス人は虐げられてきた…」とかの”注釈”は必要?
ロバート・キャパには、こんな写真がある。

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ロバートキャパの「対独協力者」を撮った写真



これは本来的には「対独協力者」の女性が私刑を受けている光景を描いたものだ。「丸刈りにした側」から見れば「あちらは侵略者への協力者、私たちはその被害者にして抵抗者(本当にそう言えるかは相当微妙だが…)。それこそ、一方的なリンチに見えるかもしれないが、ここに至る『背景』があるんだ!」…ぐらいの言い分もあるだろうが、やはり写真単体では、見た時に女性が不当な被害者に見えるし「これまでの被害を報復する正義の裁きを、対独協力者に行うのだ!」、と思っていたであろう周辺の人間は加害者に見える。この写真に「注釈」が必要かどうか、を「ひろしまタイムライン」には重ねることができると思うのだが。


(了)



※当初は水木しげる「敗走記」にも触れる予定で、タイトルにも盛り込んでいたが、分量的にもテーマ的にも膨張拡散するので、そっちは後日にします。