「当時の状況を疑似的に「ツイート」形式でつぶやいていくあの手法や表現の、どこが問題だったのでしょう」
「いくら当時の日記や、回想手記をベースにしていても、正確なニュアンスではない。それに、注釈もなしに述べると一方的なイメージを持たれる」
「というと」
「行動それ自体は乱暴だったり悪いことをしているように見えても、それにはそうなるに至った事情がある。それを述べないで語ると、偏見が増幅される」
「なるほど、そういう事情もあることを伝える注釈が必要なのですね」
「そうでないと、悪いイメージだけが広まるでしょう、復員軍人の」
「あ、そっち?」
…というのは戯作的な皮肉であるけれども、実際にツイート…というか「シュン」くんの視点で、電車に関して悪印象を持たれる集団は「復員軍人」と「朝鮮人」で、ほぼひとくくりにして嘆いたりもしているのだから、実際にそっちの指摘もないのはちょっとばかり不思議ではある。
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1295902008994652162
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1295902227652018176
ただ、話題の中心となったのはこっちだから、やはりこっちの話をして、タイトルの話につなげていく。
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296225307079344129
これらの記述は日記にはないのだが、元の資料はこれらしい。
#ひろしまタイムライン シュンのツイートは、主に『激動の昭和史を生きて 戦争の時代を乗り越え半世紀』(2009年)を再構成したものです。これがどのような本であるか、「はじめに」で著者はこう記しています。 pic.twitter.com/Hj0qCMnQrf
— medeta (@zasikiwarasin) 2020年8月22日
問題の20日のツイートの該当部分がこちらです。
— medeta (@zasikiwarasin) 2020年8月22日
議論の資料として提供します。#ひろしまタイムライン pic.twitter.com/VB10ua1130
さて、こういう記述がもとにあったという前提で、注釈(が無い)うんぬんという話をしなければいけないのだが…
敗戦後、「戦勝国民」として振る舞う朝鮮半島出身者に、なんの抵抗もできない日本人の情けない姿を見て、13歳の中学生シュンが悔し涙を流したという内容だ。
(略)
…なぜわざわざこんな差別を誘発しかねないツイートを発信したのかと大きく問題になったのである(同時に、それ以前の「朝鮮人」関係のツイートも、さかのぼって問題とされた)。
このような指摘を受けて、NHKは翌21日、「手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって[ツイートを]掲載」したなどと発表した。手記は自費出版らしく、入手が困難なので内容を確認できなかったが、おそらくそのような記述もしくは回想があったのだろう。NHKが差別的な表現を創作して、意図的に発信したと勘ぐるつもりはない。
だが、ここで「元ネタどおり」とのみ発表したのは大いに疑問だった。
(略)
NHKには、「元ネタどおり」で済ませるのではなく、「創作の責任」についてもしっかり言及してほしかった。現実と虚構を横断する、刺激的な企画には、そういう丁寧な対応が不可欠だったはずである。
「朝鮮人だ!!」ツイート炎上…「ひろしまタイムライン」最大の問題はこれだ(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
ツイッターの場合は(関連するツイートをつなげて投稿する)スレッド機能がある。誤解を招くような表現があったら、それに対して「当時はこうだったけれど」と注釈をスレッドでつける。ツイッターは140字の文字制限があるが、スレッドでつければ表示できる。ある程度誤解というのを防ぐことができる。
ただ、そもそも論がある。日記をツイッターに流していくという企画自体が良かったのか。ツイッターは、何かのテーマで連続してツイートしても、その複数のツイートを全部読めば理解できることでも、情報を受信した側は一個だけリツイートする。文面が寸断されやすい。デリケートな問題だからこそ、注釈とか丁寧な文脈と一緒に届けることが大事だ。
「シュン」の日記主、NHKに不信感 認識に食い違い:朝日新聞デジタル
この引用にも、注釈をつけとくべきかな…「トリエンナーレの話ではありません」と(笑)。いやいやいや。
さて、
このあと補足して書いていく予定なんだが、まず画像を2つ紹介しよう。ちばてつや先生の回顧まんがである。「家路 1945〜2003」。
そもそも、ここに描かれているような「玉音放送の直後から、奉天などで中国人や朝鮮人(※とかいてある)の大騒ぎが、在住日本人の生命財産に対する略奪暴行になっていった」という話自体が、あまり書かれる話ではない。たとえばことしの夏、戦争関連のテレビ番組や新聞記事で取り上げていたものがいくつありますか。だからこれらのちばてつや回想漫画を初めて読んだ時「うわー、いろんなしがらみであんまり描かれない話をレジェンド漫画家が描いてるなあ」とおどろいたもんでした。これらはすべて、ちば氏本人が目撃した、体験した(その上で漫画的アレンジもあろう)貴重な談である。
だから、「ひろしまタイムライン」と似ている。
……のだが、まあそらくここがちがうのだ、という点はある。
「それまで長い年月日本人に虐げられてきた」―ナレーションでこのように書かれているほか、別のコマでは「それまで我が物顔で威張っていた日本人」とある。
さらにいえば、お父さんの親友といえる中国人がちばさん一家を匿い、助けてくれることも描かれている
(このひとの話は最近の氏の「ひねもすのたり日記」でさらに詳しく描かれている)
こういう記述があれば、なるほど略奪暴行を受けても、ソ連軍から民間人への無差別銃撃を受けても、中国残留孤児は子供を保護してくれたという人もいた一方で「人身売買」の一面もある(※ともに、そういう記述があります)、と作者が書いても……ソ連軍や子供を買った側に仕方ない事情があったのだな、という印象も抱く……のだろうか??ここ、留保して後述しよう。
しかし、そんな議論の問題点をこれから考える。
◆そもそも、終戦後の日本人が受けた被害を描く時「日本の侵略、植民地支配の加害性が…」を描写(注釈)するのは必須なのだろうか?
ということで、「ちばてつやの引き揚げ漫画は、加害者とされる中国人らが「虐げられてきた」「日本人が威張っていた」との描写があり、またちば一家をかばう「いい中国人」も登場させているから、良心的な作品として許容されるのだ。ひろしまタイムラインのツイートは、そういう注釈が無いから問題なのだ」、そんな議論でそもそもいいのだろうか。
終戦後の電車の席取りをめぐるあらそいや、奉天での略奪暴行に、「それまで威張ってきた日本人」への「虐げられてきた中国人、朝鮮人ら」の報復感情(怒り、抵抗精神)が背景にあったことはまずもって事実だろう。それは体験者のちば先生が身をもって感じて書いていることだ。
だが・・・・そもそも被害、略奪や暴行で直接の被害を受けたり、その光景を見ていることは個別の体験である。
そしてそもそも、植民地支配や侵略の報復として、特に軍と一線を画す民間人がそれらによって財産や肉体の安全の侵害を受けても甘受する正当性があるか、といえばおそらく無いのである。
韓国との請求権交渉でも、そのへんが話題になったね(本来的には現地の日本資産は、戦争に負けようが引き揚げようが、それぞれの個人に帰するものだ)
で、あるなら、今回のひろしまタイムラインの元ネタ氏は、実際のツイートにはいろいろ不満を表明しているが、上に紹介した回想手記なども見ると、とりあえず国鉄の駅、車両で「復員軍人」や「朝鮮人」の”横暴なふるまい”を目撃していないわけではないようだ。
その描写に、本当に注釈は必須なのか、というと少し変だぞ。ちばてつや氏は、そういう記述を2か所だが書いた。それはそれで作品のクオリティを上げる、的確なナレーションだったと思うが「その記述は必須であり、それが無ければ自分が体験した略奪暴行の事実を記述してはならない。そう描いたら差別だ」…ではない、んじゃないですかね??? 別にひろしまタイムラインでも「注釈」をつけたところで一向にかまわんのだけど、太線にしたこの部分は確認する必要があるのではないか。
◆日本人は加害者だったから被害も仕方ない、は「セカンドレイプ」と同じじゃないか?
そもそも、略奪暴行や駅・電車内での傍若無人なふるまいを「でもそれまで植民地支配や侵略で彼らを苦しめてきたんだし」って被害者に言うとしたら、それってセカンドレイプとカテゴリーは同じにならないか?そもそも引き揚げや終戦後の治安悪化の被害の中には、文字通りの性的な被害も存在しているしな。そういう被害も「植民地や侵略の加害の歴史がある以上、日本人の女性らに性的な被害があっても、そういう背景がある」と”注釈”をつけねばならんのか、となる。
そういう対象はどこまで広がるのか、でもある。冒頭に書いた”復員軍人”をネタにした、コントのような問答はそれをはからずも端的に示してるっちゃあ示してて「一方的に「復員軍人」という属性を強調し、悪者のように描くな、注釈を付けよ。彼らもまた一方的に徴兵を受けた被害者であり、将来の不安と一刻も早く故郷に戻るための焦りで列車に我さきと上がり込み…」とかなんとか、いくらでもリクツは立つ。
参考
hokke-ookami.hatenablog.com
たとえばまた、第二次世界大戦中インドネシアなどで辛酸をなめたオランダ人の苦労や被害は「オランダのインドネシア植民地支配の暴虐も『注釈』を入れよ」となるのか、ともいえる。
さらにいえば、これをひっくり返して「植民地時代の朝鮮民族や満州での非日本人が味わった苦しみを書くなら、『必ず一緒に』終戦後の引き揚げ日本人の苦しみも”注釈”その他で描写されねばならない」という行って来いな条件はつくのか?たぶんつくまい。
◆ロバート・キャパの「丸刈り写真」に、「でも彼女たちは対独協力者で、周りのフランス人は虐げられてきた…」とかの”注釈”は必要?
ロバート・キャパには、こんな写真がある。
これは本来的には「対独協力者」の女性が私刑を受けている光景を描いたものだ。「丸刈りにした側」から見れば「あちらは侵略者への協力者、私たちはその被害者にして抵抗者(本当にそう言えるかは相当微妙だが…)。それこそ、一方的なリンチに見えるかもしれないが、ここに至る『背景』があるんだ!」…ぐらいの言い分もあるだろうが、やはり写真単体では、見た時に女性が不当な被害者に見えるし「これまでの被害を報復する正義の裁きを、対独協力者に行うのだ!」、と思っていたであろう周辺の人間は加害者に見える。この写真に「注釈」が必要かどうか、を「ひろしまタイムライン」には重ねることができると思うのだが。
(了)
※当初は水木しげる「敗走記」にも触れる予定で、タイトルにも盛り込んでいたが、分量的にもテーマ的にも膨張拡散するので、そっちは後日にします。
コメント欄より
※コメント欄の文章はデータ的に不安定で消えたりする可能性があるらしいので本文にコピペ
hokke-ookami
なぜ私のそのリンクが参考として紹介されているのかよくわかりません。
復員兵への偏見や差別もまた過去から問題視されてきた歴史を貴方も知っていると思います。横溝正史の某作品などが有名でしょう。特に私は復員兵を主題にしたエントリを書いた記憶はありませんが(※1)、だからこそリンクするならもっと適切なページが他にあると思いますよ。
また、兵士は戦前から戦中にかけては朝鮮半島出身者と違って社会で一定の尊敬があたえられている立場でした。そして多くの戦災被害者と違って一定の補償を勝ち取り、しかしその補償から朝鮮半島出身者が排除されてきました。このエントリの冒頭の記述は、日本社会への皮肉としてしか機能しないと思いますよ。>実際にそっちの指摘もないのはちょっとばかり不思議ではある。
観測範囲の問題でしょう。
そもそも復員兵が大挙して戻ってくるのは8月とは時期がずれていることから、ツイッターの記述で時系列などが編集されている傍証として指摘されているのをよく見かけました。
つまり復員兵については偏見をあおる以前の問題だったのです。>この引用にも、注釈をつけとくべきかな…「トリエンナーレの話ではありません」と(笑)。いやいやいや。
何が「(笑)」なのかよくわかりません。
記事で指摘されているようにツイートが断片的に全体公開される事例は、実作品を会場で有料公開することが前提の美術展と比べて、鑑賞者が文脈をふまえる期待が小さくなります。
一般的にトリエンナーレのような大規模美術展はさまざまなかたちで詳細な作品解説が付属しているものです。事実として、最近の「あいちトリエンナーレ」では抗議者の多くが作品の公開情報を簡単にたしかめることもせず、それどころか展示されてもいない作品を批判するような動きが見られましたね。
前後して引用している漫画にしても、連続したストーリーの一描写でしょうし、断片的に切りとられて文脈を解さないかたちで流布されることを意識したものではありませんよね(※2)。漫画についてはもっと根本的な違いがありますが。>そもそも被害、略奪や暴行で直接の被害を受けたり、その光景を見ていることは個別の体験である。
そう、引用されている漫画で描かれている被害や、「シュン」のモデルになった手記の描写は、おそらく個人の個別の体験でしょう。
そしてそれらの被害が実在した時に被害者個人が被害を証言すること自体をさまたげる動きがあったとは聞きません(※3)。絶対にないとはいいませんが、少なくとも私はくみしません。
問題は、「ひろしまタイムライン」を運用したNHKと関係者は個別の体験者ではないし、それゆえ基本的にNHKが批判された今件について「被害者に言うとしたら、それってセカンドレイプとカテゴリーは同じにならないか?」という貴方の問いかけは的外れなものでしかありません。>そもそも、植民地支配や侵略の報復として、特に軍と一線を画す民間人がそれらによって財産や肉体の安全の侵害を受けても甘受する正当性があるか、といえばおそらく無いのである。
そうですね、在日コリアンの子供たちがもっている民族教育の権利をおぎなうため、朝鮮民主主義人民共和国の政体など何ら関係なく朝鮮学校無償化はなされなければなりませんでした。
>これをひっくり返して「植民地時代の朝鮮民族や満州での非日本人が味わった苦しみを書くなら、『必ず一緒に』終戦後の引き揚げ日本人の苦しみも”注釈”その他で描写されねばならない」という行って来いな条件はつくのか?たぶんつくまい。
さすがにそれはひっくり返しというには無理があるでしょう。
被害者の反動的な暴虐を加害者が記述する時に先の加害を記述することと、加害者への反動的な暴虐を後に記述することは、対等な反転ではありません。だからこそ、いわゆる”憎しみの連鎖”を提示する意義などならあるとは思いますが。
また、被害を個別に切りわけた時、全体の責は国家権力が負うのが一般的でしょう。そこで侵略から植民地支配にかけての責は多くが日本が負うべきであり(※4)、敗戦後に見捨てた責任も日本が問われるわけです。侵略した土地をとりもどす時期に治安がいきとどかなかったことを、侵略側が主張することは難しいです。>写真単体では、見た時に女性が不当な被害者に見える
はっきりいって、その写真では「不当な被害者」に見えません。女性がなぜ禿頭になったのか写真単体ではわかりません。貴方自身が直前に「光景」がどのような背景なのかを説明しているでしょう?
過去の一次資料そのまま、しかも断片的に抽出しただけでは、知識をもたない一般人には理解が難しいものです。そこでどのような説明を付記し、あるいは省略するのか……そしてその資料を提示された側がどのような知識を前提としてもっているのか……それらの重要さを考慮すれば、むしろ注釈の有無を選ぶことに責任があることを示す写真といえるでしょう。※1 補償問題にからんで言及したり、復員兵をあつかったフィクションの感想エントリを書いたことはあります。
※2 その危険性に作者や出版社が配慮する責任はないという意味ではありません。また、断片的な引用がそれだけで悪いというわけではありません。
※3 「シュン」のモデルになった人物が当時に軍国少年であったことを指摘したり、その手記を戦後再編集して広めたり制作に参加した責任を指摘する意見は見かけました。ただ、モデルの人物に責任を負わせるようなNHKの当初の回答には、取材者を守っていないという批判もありました。
※4 民衆を見捨てた中国の支配者や軍隊を中国人が責める権利はあるでしょうし、事実としておこなわれていますが、それを加害国側が主張する時には責任転嫁にならないよう気をつけましょう。
gryphon
ちょっと全部は書ききれないかな?断片的に書きつつ駆け足で。
・復員兵の問題
観測範囲の問題としたらもう少し探してみたいですが、構造は同じなのに、少なくとも今回は「注釈説明抜きなのは復員兵への偏見助長だ」というツイートは、やっぱり検索してもなかなか見つからず。『事実関係への疑い』があったとしても「だからこそひどい偏見と差別だ」と、逆に増幅されそうな気がするんですけどね。それに朝鮮人の描写に関しても、中沢けい氏のように事実関係そのものを疑う主張もあったのですが、だからその分差別論などが減っているわけでもなさそう。本当に、復員兵は時期のずれが主要な議論テーマだったから『注釈抜きの描写は駄目だ、偏見を煽る』的な議論が相対的に少なめになったのかどうかは、少し比較と検討が必要かと思います。>NHKと関係者は個別の体験者ではないし、それゆえ基本的にNHKが批判された今件について「被害者に言うとしたら、それってセカンドレイプとカテゴリーは同じにならないか?」という貴方の問いかけは的外れ
そうかな?性被害などの事件を取材したNHKのドキュメンタリーに「あの被害者(或いは被害者の属性一般)には、恨まれてそんな被害を受けるような事情があったんだよ。それを言わないし注釈もつけない『このNHKの番組』は問題だね。あ、被害者じゃなくてNHKを批判してるのよ…」という言い方って、番組やNHKへの批判で被害者を直接批判してるわけじゃないからセカンドレイプにはならない、と定義されるでしょうか?
>朝鮮学校無償化はなされなければ
いつの日か金王朝と、それに連なる権力者たちの「不当な支配」(法的に認定)から解放された自由な朝鮮学校が生まれ、そこが公共の支援を受けることを、亡くなった萩原遼氏や李英和氏の魂と共に祈ります。
>何が「(笑)」なのかよくわかりません
たとえば「デリケートな問題だからこそ、注釈とか丁寧な文脈と一緒に届けることが大事だ」といった当事者が、トリエンナーレに関する対談動画の発言などをめぐりお詫びをなさったりしたなんて一件あったじゃないですか。対談自体はけっこう長めだったけど、届けたのか届けなかったのか、とかです。
**gryphon
>全体の責は国家権力が負うのが一般的でしょう。そこで侵略から植民地支配にかけての責は多くが日本が負うべきであり(※4)、敗戦後に見捨てた責任も日本が問われるわけです。侵略した土地をとりもどす時期に治安がいきとどかなかったことを、侵略側が主張することは難しいそうかな?
治安を維持し、民間人が安全に退去するためには、
物理的な抑止力を敗戦側の軍事・行政機関も維持する責任があり(根本博や占守島的な…)、
それを維持できなかった場合はその責任『も』問われる、というのには別に異論はありませんが、やはり勃発した暴行略奪性犯罪その他は、それぞれの加害側にも責任が問えるかと思います。「その時の支配権は、混乱や内戦で残念ながら確立せず及ばなかったので、その後の独立政権等々は責任を負わない」という主張はそれぞれ個別に見て当てはまるものも当てはまらないものもあるかと思います。もちろんそれが戦後の協定や条約などで、一括して清算されるなら法的には終わりますが、たとえば言論や表現物の責任として
【被害者の反動的な暴虐を加害者が記述する時に先の加害を記述する】は必須的な記述となるが、
【加害者への反動的な暴虐を後に記述】は必須ではなくなる
というルールは言えないと思います。そして反転、ひっくり返して「両方とも必須である」ともやはり思いません。
「どちらも、別に必須の記述というわけではない(一方で入れても勿論いい)」が、一番自然なのだと思うのです。
>はっきりいって、その写真では「不当な被害者」に見えません。女性がなぜ禿頭になったのか写真単体ではわかりません。
そうですか、確かに自分も完全に予備知識無しにこの写真を見たわけではありません。まったく知識が無い人に、この写真を見せたらどうなるのかなあ。
逆に、「この写真に過不足なきキャプションを付けてみよ」となったらどうなりますかね。
ドイツとフランスの、第二次大戦における加害や被害の経緯を盛り込んでもいいのですけど、
たとえばあえて「ある戦後の風景」とだけ表示し、興味ある人はそこから各自調べてくださいよ、でも問題ないと思うし、
これを当時のフランスの少年が見てツイートした、という半創作形式で「丸刈りの、子供を抱えた女性が取り囲まれている!みんなが蔑むような眼で見ている…」と書いたら、議論を呼ぶかもしれないが、そこにルール違反をみいだせるとは言えないと判定します。
**hokke-ookami
>観測範囲の問題としたらもう少し探してみたいですが、構造は同じなのに、少なくとも今回は「注釈説明抜きなのは復員兵への偏見助長だ」というツイートは、やっぱり検索してもなかなか見つからず。『事実関係への疑い』があったとしても「だからこそひどい偏見と差別だ」と、逆に増幅されそうな気がするんですけどね。私がコメントしたことを無視して「気がする」とかふわっとした話をするくらいなら、まず貴方が個人的に復員兵に対する戦後の日本社会の視点について調べたらいかがですか。
「シュン」のツイートを見て、朝鮮人に注目して危機感や差別を表明するリプライと復員兵に注目して嫌悪を表明するリプライのどちらが多いか少しでも確認してみたらいかがですか。
それで貴方が朝鮮人と同じように復員兵への差別が大変なことになっていると本気で思うのでしたら、貴方が差別反対の論陣をはったらいかがですか。貴方のコメントの問題は復員兵にかぎったことではありません。
机上の空論を進めること自体は考えの端緒として悪くないとは思いますが、その空論に反する情報を指摘されたのに、それを無視して空論の形式を守ろうとしても会話にはなりません。
やりたいのが皮肉や詭弁だとしても、やるならせめて真面目にしてください。
gryphon
>観測範囲の問題でしょう。
そもそも復員兵が大挙して戻ってくるのは8月とは時期がずれていることから、ツイッターの記述で時系列などが編集されている傍証として指摘されているのをよく見かけました。
>つまり復員兵については偏見をあおる以前の問題だった
これ自体が「ふわっとしてる」んですよ。果たして本当にそれを前提にできるのか、事実なのかどうか
gryphon
>論陣をはったらいかがですか。
復員軍人の振る舞いに対する「注釈」については「復員軍人に注釈ないNHKはけしからん!それは復員軍人差別だ!」という方向性とはやや異なり、最終的にそれも含めて
【「その(※注釈の)記述は必須であり、それが無ければ自分が体験した略奪暴行の事実を記述してはならない。そう描いたら差別だ」…ではない】という、既出の「論陣」ですが、この記事を以てさせていただければと思います。