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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「おい宗教!コロナに全敗じゃねーか」…呉智英が煽る煽る/福沢諭吉、柳田国男の「対比列伝」(週刊ポスト)

…コロナ禍である。この二ヶ月間、宗教全負けではないか。
四月八日付朝日新聞は、パキスタンやインドのイスラム教礼拝所で、濃厚接触を禁ずる政府当局と信者たちとの衝突を報じている。四月十四日からはラマダン(断食月)が始まったが、日没後大勢で集まる食事会ができない、そもそも神は何をやっとるんだ。
 
キリスト教も同じ。四月十二日は復活祭だが、バチカン教皇ら少人数だけのミサを行なった。信者が集まるほど死者がふえるので礼拝を自粛させたのだ。「死よ、お前の勝利はどこにあるのか」(コリント前書)って、何だったのだろう。神、負けてるぞ。
 
仏教・神道も同断だ。七月に予定されていた京都祇園祭の山巡行が中止になった。祇園祭って疫病退散の祭りだったはずだ。開う前から負けているではないか。

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呉智英「コロナに宗教は全負けではないか」週刊ポスト2020年5月22.29合併号

なんとも神仏をおそれぬ罰当たりなことを。
「神を試してはならない」
「我々は神から幸福を頂いたのだから不幸もいただこうではないか」
と言うではないか…と思うたが、

「信仰とコロナの団体戦だ」と書き、しかも「信仰軍」を『ビッグボディ軍』になぞらえたのは俺だった(笑)

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でも、もとをたどれば、こういうものの考え方それ自体を自分は呉智英に学んだのだから、一周回ってやっぱり彼が罰当たりなのであり、神も仏も罰はそっちに落としてください。


続く(このあとは諭吉と国男の話)

福沢諭吉柳田国男。「無力なご神体」から、一人は合理主義に信念を抱き、一人は「それを信じるとは何か」を考えた…

引用画像の末尾にも、二人の名前が挙げられているが、要約すると、どちらも子供の頃に祠の「ご神体」に興味を持ち、それをこっそり覗いたり、ただの石ころとすり替えたりした経験があるのだという。
呉智英は、そのことを紹介し、こう語っている。

二人の先賢が幼年期に抱いた神仏への懐疑は、実は誰しも思い当たる。違うのはそのあとだ。
福沢はそれを生涯貫き、柳田はその「幻覚」が文化の柱の一つになっていると気づいたことだ。大多数の人は、幼年期の素朴な懐疑をただ忘れ、失ってしまう。

それぞれ、これらの本の中にあるという。

妖怪談義 (講談社学術文庫)

妖怪談義 (講談社学術文庫)

故郷七十年 (講談社学術文庫)

故郷七十年 (講談社学術文庫)

あれ、ということはたぶんどっちも無料でネット上にあるな…。


稲荷様の神体を見る

ソレカラ一つも二つも年を取れば自おのずから度胸も好よくなったと見えて、年寄としよりなどの話にする神罰しんばつ冥罰みょうばつなんと云いうことは大嘘だいうそだと独ひとり自みずから信じ切きって、今度は一つ稲荷いなり様を見て遣やろうと云う野心を起して、私の養子になって居た叔父様おじさまの家の稲荷の社やしろの中には何が這入はいって居るか知らぬと明あけて見たら、石が這入て居るから、その石を打擲うちやって仕舞しまって代りの石を拾うて入れて置き、又隣家の下村しもむらと云う屋敷の稲荷様を明けて見れば、神体は何か木の札ふだで、之これも取とって棄すてゝ仕舞しまい平気な顔して居ると、間まもなく初午はつうまになって、幟のぼりを立てたり大鼓たいこを叩いたり御神酒おみきを上げてワイ/\して居るから、私は可笑おかしい。
「馬鹿め、乃公おれの入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでるとは面白いと、独ひとり嬉しがって居たと云うような訳わけで、幼少の時から神様が怖いだの仏様が有難ありがたいだの云うことは一寸ちょいともない。卜筮うらない呪詛まじない一切不信仰で、狐狸きつねたぬきが付くと云うようなことは初めから馬鹿にして少しも信じない。小供ながらも精神は誠にカラリとしたものでした。

或時あるときに大阪から妙な女が来たことがあるその女と云うのは、私共が大阪に居る時に邸やしきに出入でいりをする上荷頭うわにかしらの伝法寺屋松右衛門でんぽうじやまつえもんと云うものゝ娘で、年の頃三十位ぐらいでもあったかと思う。その女が中津に来て、お稲荷様いなりさまを使うことを知しって居ると吹聴ふいちょうするその次第は、誰にでも御幣ごへいを持たして置て何か祈ると、その人に稲荷様が憑拠とっつくとか何とか云いって、頻しきりに私の家うちに来て法螺ほらを吹ふいて居る。
夫それからその時に私は十五、六の時だと思う。「ソリャ面白い、遣やって貰もらおう、乃公おれがその御幣を持とう、持て居る御幣が動き出すと云いうのは面白い、サア持たして呉くれろと云うと、その女がつく/″\と私を見て居て、「坊ぼんさんはイケマヘンと云うから、私は承知しない。「今誰にでもと云たじゃないか、サア遣て見せろと、酷ひどくその女を弱らして面白かった事がある。
www.aozora.gr.jp


柳田は、青空文庫には残念ながら該当部分は無いようだが、グーグルブック検索で読める。
books.google.co.jp