書き忘れていた話題。もう2か月も前になってしまう、コミック乱2020年3月号のみなもと太郎「風雲児たち 幕末篇」
その前の号で、勝海舟と坂本龍馬が出会うのだが、歴史ギャグマンガらしく、あの「お馴染みの出会いの場面」をわざとはずして物語が展開。
勝が「お前が俺を斬るつもりでやってきて、俺がそれを堂々、悠然と出迎えて、お前に世界の広さを説いて、お前が感動して弟子になる!!なんでそれをやらせないんだっ」と怒る…という感じ。
その一方で、「そもそもそんなやりとりって本当の話なの?坂本龍馬は、本当に勝海舟を斬るつもりで面会したの?」という話になり…
そしてこの号になる。なんと作者が「気になって調べてみました」とリアルタイムで報告するというね(笑)
ありそう、というかなんというか、勝海舟の中には、のちの梶原一騎につながるような、自己の体験の、ドラマチック化の才能があったようなのだ。
そして「アレオレ(アレは俺がやった)」テイストも旺盛でね…そんな過去記事を、部分的に再録しよう。
(略)‥‥だが、そもそもがですね。
「勝海舟は自分の功績を盛っているんじゃないか」問題があって(笑)(略)
で、このブログでずっと語っているテーマのひとつ「最後の勝者は物語」にもつながるのだが、勝海舟は老いてますます元気、時々女中にも手をつけて、奥方からは「一緒に墓に入りたくない」と遺言されたりする晩年をすごした(笑)。
そして速記術も伝わったその時、半藤一利氏が「日本史上最初の評論家」と評する、談話方面での活躍が始まる。幕末の動乱期の中、幕臣の中心として江戸城無血開城という大仕事を成し遂げた後の人生を勝海舟はどう生きたのか。新旧相撃つ中で旧幕臣たちの生計をたてる道を探り、福沢諭吉らの批判を受けながらも明治政府の内部に入り、旧幕府勢力の代弁者としての発言力を確保して徳川慶喜と明治天皇の会見を実現。また一方では逆賊とされた盟友西郷隆盛の名誉回復に尽力した海舟の後半生に光を当てた名評伝。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
半藤/一利
1930年、東京生まれ。53年、東京大学文学部卒業後、文藝春秋社入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役などを経て現在、作家。『漱石先生ぞな、もし』(新田次郎文学賞受賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞受賞)、『昭和史』(毎日出版文化賞特別賞受賞)など著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)なにしろ頭脳明晰、談論風発、当意即妙。
べらんめえ調で話の面白さも抜群、聞いて速記してそれを載せれば本も新聞記事もあっという間に出きてしまう。
安彦良和の画は、そんな雰囲気をすごくうまく伝えている。
代表作「氷川清話」は青空文庫で編集中。完成がまたれる。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person354.html勝海舟bot
https://twitter.com/katsukaishubot
そんな中で勝海舟のサービス精神はいかんなく発揮され、嫌いな相手はだいぶんクサすし、「アレオレ(あれは俺がやった)精神」もかなり旺盛な人だった。
一歩間違えばこれになったかも…http://www.bs-j.co.jp/workingdead/special/zukan/01.html
アレオレデッド【森田哲矢(さらば青春の光)】
特徴・・・
他人の手がけた仕事を「あれ俺」と自分の手柄のように吹聴するただ乗り社員。恥ずかしげもなく「アレオレ」を連呼するが、逆に不利な結果を招くと「アレカレ(あれ彼)」と責任転嫁する。
生息する業界・・・
IT企業などのベンチャー業界
ときに、だけれども坂本龍馬はたしかに天性のひとなつこさがあり、えらいさんに一片で気に入られることもあったようだ‥越前の松平春嶽公のように、という話も語られます。