既に過去に論じた話だが、9年後のいま、読まれることにいささかの意味があろう。
朝日新聞 2010年09月10日
米国とコーラン 寛容を取り戻すとき
米フロリダ州の小さなキリスト教会が、イスラム教の聖典コーランを焼こうと呼びかけている。今年の9・11の日に「邪悪な宗教」であるイスラムの危険性を知らせるのだそうだ。
コーランの教えを信ずる人たちからどれほどの反発を招き寄せるか。だれもが想像できることだ。
ニュースは世界を駆けめぐり、欧米軍が駐留するアフガニスタンで住民の抗議行動があった。駐留米軍の司令官は米兵への危険が高まると心配した。当然だろう。
自由で寛容な社会の構築は、米国の建国の原点である。初代のワシントン大統領は「米国は偏狭な価値観を認めず、迫害を助長することもない」との言葉を残している。教会の計画がこの理念に反するのは明らかだ。
米国とイスラム世界との亀裂が広がることは避けねばならない。教会は今すぐ計画を撤回してもらいたい。
今から9年前、テロリストの乗っ取った旅客機が、ニューヨークの世界貿易センターに突っ込んだ光景はなお記憶に新しい。背景にあったのは、世界の富と権力の多くを手にする超大国米国に対するイスラム過激主義者の敵意と不信だった。
アフガンとイラクでの戦争に突き進んだブッシュ前政権は、この反米感情を静められなかった。変化が見えたのは、イスラム世界との和解を掲げるオバマ大統領が就任してからだ。中東和平への仲介に乗り出し、イラクからの米軍撤退にようやくこぎつけた。
しかしいま露呈しているのは、イスラムとの共存をめぐって対立し、苦悩する米国内部の苦い現実である。
世界貿易センター近くにイスラム教のモスクを建設する計画が住民の反対で暗礁に乗り上げている。異文化への理解を進める計画だが、9・11テロの被害者家族からは「息子の思い出への侮辱だ」という声が上がっている。
中東や西アジアを中心に、イスラム教徒は世界に十数億人いるとされる。移民社会の米国にも数百万人が住み、数多くのモスクがある。宗教は異なるが、同じ社会に住んでいるのだ。
欧州でも、イスラム系移民排斥や女性のベール着用禁止の動きが起きている。社会の少数者への視線が厳しさを増す背景には、失業者の増加といった社会不安の増大もあるのだろう。
いまやイスラムとの共存なしには、米国はもちろん、世界の安全や繁栄はありえない。
オバマ大統領は昨年、カイロ大学での演説で、コーランとユダヤ教の律法タルムード、キリスト教の聖書を引用し、「世界の人々はともに平和に暮らすことができる」と呼びかけた。
狭量な考えを排し、異なる文化を受け入れる寛容と度量をもつ。米社会はそんな伝統を取り戻してほしい。
『一部の人達が神聖だとみなすものを焼く(光景を見せる)』と敷衍化してもいいかもしれない。
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