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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。

昨日のエントリに関連していたので、追記で紹介したが、詳しく再論する。

安重根を「福者」にしよう!運動
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20111107/1320676401
経由で
http://www.j-cast.com/2011/11/05112270.html

初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した民族活動家の安重根(アン・ジュングン)に対して、韓国のカトリック教会が「聖人」に準ずる「福者」に認定しようという動きを始めている。
(略)
伊藤の暗殺が殺人を禁じたカトリックの教義に反するとして、安は長い間カトリック信者だとは認められてこなかった。だが、1993年になって復権が認められている。聯合ニュースによると、復権当時、韓国人としては初めて枢機卿になった故・金寿煥氏は、安の行動を「正当防衛であり、義挙とみなすのが正当」などと暗殺を正当化したという

上のエントリに、小生がつけたブックマークが

gryphon
「証明不可能・相互無視」「E魔美メソッド」(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101028/p4など参照)の有用性を完璧に証明した一件。同原則に従い「批判(論評)可能。だが禁止(の強制)不可」で終了。相互に。それが平和と寛容だ

あちらでは行数の都合上、画像を貼ったり、リンク集を作ることができなかったがあらためて。

エスパー魔美メソッド」とは

あまり通じない用語だが(笑)、コマを見てもらえりゃすぐわかる

最新版リンク集

靖国参拝−−平和を呼ぶ「サイキック・ウォーズ」?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050813#p3
■サイキック・ウォーズ再論(笑)。靖国反対運動で宗教の衝突と、自由と慣習について
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091226#p3
■このブログでさんざん論じた「ムハンマド風刺画」「コーラン焼却」もエスパー魔美メソッドは通じるか?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101011#p4
ムハンマド風刺漫画問題。あるフィクション
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060209#p2
■(11.1追記)靖国合祀取り消し訴訟、那覇地裁判決で過去エントリのプレイバック。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101028/p4
■ほーらこれが「平和なサイキック・ウォーズ」さ。宗教の「○○はXXだと定義する権利」とは
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101201/p4
パキスタンの「預言者冒涜」問題、閣僚暗殺にまで発展
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110309/p5
■「預言者冒涜罪」が生んだ暗殺事件、犯人は英雄に…パキスタン
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110214/p5
■ついに「ムハンマド風刺画」でテロ組織は、掲載新聞社の直接襲撃を狙った
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101230/p7
コーラン焼却牧師、モスクに接近することを禁止される&逮捕もされたそうだ
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110429/p7
■偏見が生んだ不当判決か、陰謀に打ち勝った言論の勝利か。イスラム批判?or中傷?の政党党首発言に無罪(オランダ)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110627/p2
■差別でもDisでもなく、純粋に「私は嫌いだ」と言う権利…マドンナのあじさい騒動で考える
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110918/p2
■「嫌う権利」話補遺…「僕らは寛容だ、だから非寛容のイスラムは敵だ」について再掲載&関連リンク増補
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110921/p6
■「僕らは寛容だ、だから不寛容のキリスト教は敵だ」…聖書のある言葉を、壁に張ることを英国で禁止
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110928/p7
■「旗」をめぐる自由の境界−−あるいは限界(エピソード集から)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080421#p4
■「コーランを焼こう」という催しがアメリカで企画。自由とは、寛容とは。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100802#p2
■「9.11コーラン焼却集会」秒読み。ニューズウィークの論評に見る限界
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100909#p5
■「アラブ系が多い街に行って豚肉とワインで宴会しようぜ!」運動が国家権力の弾圧で中止(フランス)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100617#p3
■「5月20日、全世界で一斉にムハンマドイスラム教開祖)の絵を描いて表現の自由を訴えよう」というキャンペーンが始まった」(町山智浩
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100512#p6
ムハンマド風刺問題、続き
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100513#p2
911事件の追悼のため、サウジアラビア現国王が米大統領に贈った書簡。これが一神教世界の「神義論」か…
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101220/p7
■「天罰」「天譴」論は世に尽きまじ。だが論者の退場は促せる
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110317/p1
■「国旗損壊罪」を考える−「ヘイトスピーチ」問題にも広げて
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110303/p2
■「国旗損壊罪を考える」補遺
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110304/p2
■「神聖」なものを全部(法的に)保護すれば平和は来るが、その方向性でいいすか?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100922/p3

・・・自分でも、分量に軽くひいたな(笑)。
ちょっと「あれもこれも」と増やしたきらいがある。厳密に分類すれば、この中でも3つぐらいにテーマを分類することができそうだ。
ざっと見て、特に今回のテーマに深く関係していると思ったものを太字にしておきました。
 
ただし、あえて広くリンク集をつくったのは、共通するテーマは「宗教における『見なし』の権利の擁護…というより諦念」であるからだ。
積極的に擁護する気もないし、それへの「ツッコミ・批判」は逆にその権利を擁護するが、「最終的にはあちらさん次第だよね」という。
それは異文化尊重・相互の寛容の視点から。

 
最初のお題(お題って言うなよ)である「安重根の『福者』認定」であるが、暗殺の正統性・正当性や、獄中での安重根の…敢えて言えば”武士以上に武士道的”な振る舞い、そういうものがカソリック教義上、福者に相当するのかどうか、それは教義の矛盾を外野の異教徒も当然自由につっこめる。しかしまあ、ある人物が「福者」かどうかって、たぶん手続き的には教会が決めるにしても、究極的には「神がそう定めたもうた」ものなんじゃないかな(笑)? だからいったん決まっちゃえば「おたくの中ではそうなんですね」で納得するしかない、話なんですよ。
 
これが「科学」ならまあ同一の土俵に乗って信憑性や再現可能性を競い、敗者は退場するのが一応のルールだろうけど、それができないから宗教がある。
それがホントだったかでたらめであるかは、疑った人や確信している人が死んだとき、天国のいい席に彼ら聖人が座ってるかをその目で見て確かめてください、ってシステムですから(笑)。これ最強。


あ、このネタ前にも書いたな(笑)。これだ。

「証明不可能・相互無視」。これでいきましょう。地上の平和のために。なに、どれが正しいかは本人が死んだときにあっちで自動的に分かりますわ(笑)

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091226/p3

そう、このリンクの話題とまとめて言うなら

カソリック安重根を『福者』だと見なそーと、靖国神社が戦死者を『英霊』と見なそーと、宗教的な『見なし』は最終的には他人がやめさせるわけにはいかない

のですよ。
……あ、いまこれ並べたら、このブログへの風当たりが急に強まったのを感じた。両側から(妄想)。
しかしこのリンクを書いたのは2009年か。
今から思えば、つまりは今回、韓国カソリックについて、その「見なしの自由」を”擁護(=最終的にやめさせたりできないよとの諦念の周知)”するために、書いたとも言えるのだ。
いや、天地の「正気」が私をしてあのブログを書かしめた、ともいえる(※宗教的信念に基づく「みなし」です)。
http://www.c-able.ne.jp/~s-town/seiki.htm

そういう使命感とヤル気に満ちて、いまキーボードを叩いているのです。
「ダーウィンのブルドッグ」ことハクスリーが進化論を語るときも、こんなふうに高揚していたのかな。

みな、このAAに学べ!!

ま、それはそれとして。
私の言うところの「証明不可能・相互無視」「『見なし』の権利」というのを、実はインターネットのジャーゴンであますところなく(いや、あますところはあるが(笑))表現した流行語がある。

それはひとつは
「〇〇は俺の嫁
であり、
もうひとつは・・・

ともに元ネタをぞんじあげておりませんが、いや笑ってはいけない。
・宗教的な「見なし」の権利、
・「証明不可能・相互無視」
というふたつの原則について語るとき、このネット流行語はたいへん有用ですヨ?

「〇〇は俺の嫁」は、実在人物について、本当に戸籍上の妻であると公言したり公文書に記したりすると、違法になったり名誉毀損かなんかで民事でも訴えられそーではあるが、例えば漫画だアニメのキャラクターへの好意が高じて、この流行語を言ったり書いたりしても、「ああ、それぐらい好きなのね」という話で終わるんである。たぶんそのキャラクターの作者でも、その『見なし』を禁じるわけにはいかぬだろう。
「『サザエは俺の嫁』と、インターネット上でよく見かけますが、サザエの夫はマスオさんです。虚偽の書き込みをしないでください」とは、厳しい長谷川町子財団でも主張しまい。


下の「おまえがそう思うなら…」
はい、「安重根カソリック福者」だろうと、「台湾の戦没者は『英霊』」だろうと「コーランは『我が闘争』と同じだ」「聖書は完成されたコーランがもたらされる前の不完全な教え」だろうと、このAAはすべてを解決してくれるじゃないですか。
これを冷笑、攻撃のAAと思っている人がいるようですが、そうではなく、相互尊重、異文化尊重…じゃないな(笑)、やりなおし。
尊重はしてなくても「相互不可侵」はできるでしょ。
つまり「相互不可侵・異文化不可侵」の象徴なんですよ。


つまりは・・・・そういうことです。

資料を出せないけど、記憶で面白い話を。

以前、自身もムスリムのジャーナリスト常岡浩介氏がtwitter
http://twitter.com/#!/shamilsh
でこんな話題を書いていた。たぶん空港で拘束される騒動がある前だから9月前半か。リツイートしておけばあとからでも見られると思ったが、古すぎるとだめなようなので、記憶でおおまかに引用します。

インドネシア(かどこか、たぶん東南アジア?)のXXXXXという教団は、自分たちをイスラム教のひとつ(本道?)と位置づけているが、多数派ムスリムから見るとその教義はかけ離れている。だが、イスラムの異端、分派と見なすとそれを座視・黙認することはできない。だから逆に多数派ムスリムはそれを『まったく別の宗教』『異教を信じる人』と”見なして”いる。そうすると、逆に共存できるのだが・・・日本でこのXXXXXXが報道されるときは、『イスラム教の一派の…』と報じられる。それでいいんだろうか(摩擦を引き起こさないか)?」

日本の報道スタンスを含めて、実に面白い論点があり、あとで論じようと思っていたから記憶にあるんだが、原文を発掘できないのが残念だ。
※後日、これはアハマディーヤ(イスラム教アハマディ派)であることが判明した。関連記事をいくつかブログでも書きました
ja.wikipedia.org


おまけ

おもしろいので張った 特に意味はない

さらにおまけ

後で、ここにもトラックバックを張っておけば分かりやすいと思いついた。
■誰が靖国に英霊を公表したのか
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101101/1288584688

さらに付記

「見なしの自由」理解に役立つ非常に適切な一例であるので、2013年のこの記事にTBを張らせていただく。

靖国神社という霊言機関
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20131024/1382626838

2015年追記

パワースポット研究所
東京のパワースポット
2・26事件の慰霊碑のご利益
http://ookuni.info/13_tokyo/036.php

1936年に起きた青年将校たちのクーデター未遂事件「2・26事件」で死没した方を慰霊するための碑(観音像)が渋谷税務署の隣にある。この慰霊碑の前で告白やプロポーズをするとうまくいくと女子高生の間で人気。青年将校の霊が若者を応援してくれるのだとか。また「2・26」=「夫婦ロック」で語呂がよいのだとか。

賢者ナータンが、アラブの聖将サラディンの前で披露した寓話の中で、判事は「何が宗教的正統なのか」の解決策としてこう語る。
「私はあなたがたに、裁決ではなく、忠告を与えよう。ものごとをあるがままに受け取りなさい。それぞれが、自分こそ本物と信じるのだ…各自が本物であることを証明するように努めなさい。心穏やかに、我慢強く、神さまに気に入られる良き仕事に精を出しなさい。私は千年のちにあなたがたをこの判事席の前に紹介しよう。そのときには、たぶん、この椅子には誰よりも賢明な判事が座っているだろう」

賢者ナータンと子どもたち

賢者ナータンと子どもたち