INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「あの宗教が豚食禁止なのは〜だから」「神の法を勝手にリクツづけるな!」…あるある、な話!(解決不能)

なぜユダヤ教イスラム教で豚肉は禁止されるのか─ハリスの説から - VKsturm’s blog http://peoplesstorm.hatenablog.com/entry/2017/06/14/210539

個人的にはこういった議論や研究は大好き(当ブログには過去記事もあるはず)であるが、はてブがこんなにいくほど一般的な興味を引くとは思わなかったよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/peoplesstorm.hatenablog.com/entry/2017/06/14/210539
私のコメント

gryphon
私が読んだり聞いたりした仮説と多く重なるが、1点は新説。ここで書かれてない仮説もいろいろあるので紹介してみようかな

そして、それに対する反応のこれも、反響を呼んだ

イスラム教で豚肉を禁止されている理由を語るな、神になったつもりか http://eraitencho.blogspot.com/2017/06/blog-post_45.html

はてブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/eraitencho.blogspot.com/2017/06/blog-post_45.html

自分のコメント

いやいや、彼らの信者の中ではまったく正しいであろう。/そして非信者にはまったく正しくない。これはねえ、そういうものなんじゃい。


こういう議論が好き、という証明として、過去に私が言及した例を再紹介しよう。
この種の問いに到達したこと、まずは誉めてやろう…だが…貴様らのいる地点は、われわれが2015年に既に通過したところだッ!!

話はその年、紙屋研究所で発表された「乙嫁語り」7巻の書評にさかのぼる。

乙嫁語り』7巻 - 紙屋研究所 (id:kamiyakenkyujo / @kamiyakousetsu) http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20150218/1424209378

……、イスラームの一夫多妻に関する「誤解」を解こうとする解説本の多くに登場する説明である。

一夫多妻を認定する啓示が下された経緯については、当時の社会的背景を知る必要がある。すなわち当時、オホドの戦役において、700人のムスリム軍の中から74名の戦死者を出し、多くの孤児と未亡人を生じた。これらの救済はウンマ共同体の直面する困難な社会問題となっていた。多妻主義の啓示はこのような共同体の窮状を救うためにいわば緊急措置として下されたものであり、これによって多くの孤児と未亡人が路頭に迷うことを免れたのである。(安倍治夫『FOR BEGINNERS イスラム教』p.78)

このところ〔『クルアーン』の該当部分――引用者注〕をきちんと読むと、重婚は、「孤児に対して公正にできないことを恐れるなら」という条件が前にあるため、野放図な性欲のために複数の妻を持ってよいと言っているのではないことが分かります。戦災などで父を失った孤児を持つ母親が路頭に迷うことのないように重婚を承認しているのです。(内藤正典イスラム戦争』p.143)

まず初めにこの啓示はウフドの戦いの直後に顕われたものであり、戦闘の結果マホメットの周囲に多数の寡婦と孤児が生じてしまった。その救済の手段として提示されたのが、この示唆である。〔…中略…〕原則は一人妻、困難な社会情況に対するセーフティネットとして多妻を許す啓示があった、というのが標準的な解釈である。(阿刀田高コーランを知っていますか』p.230)

 マルキストである浜林正夫はもっと控えめに書いている。

多妻制が孤児との関連で説かれているのはどういうわけなのかよくわかりませんが、六二五年にムハンマドはメッカの軍隊と戦って敗北し、多数の未亡人と孤児が出たので、その救済のために未亡人との結婚をすすめたという説もあります。(浜林『これならわかるキリスト教イスラム教の歴史Q&A』p.52)

 アニスの夫は、この『クルアーン』解釈に厳密に則っている。*2

 「孤児救済」というのが目的で・・・・・・・・・・


そこのブクマ(twitterと連動)で、僕が書いたコメントがそれなんですよ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20150218/1424209378

gryphon 事実としてその通りだが「当時は『剣のジハード』の最中で未亡人が多く、その救済策」という言い方もまた要注意。「聖なるクルアーンの言に歴史的事情などあるはずもなく、永遠普遍の真実」とする人もいる

うーん、いまから反省するなら、ちゃんとした記事にして
イスラム教で一夫多妻を容認されている理由を語るな、神になったつもりか』というタイトルにすれば、アクセスが集まったのかね(笑)



ま、ここでもそうなんだけど、結局のところ「そういうものなんじゃい」ということにするしかしゃーないねん。
どっちも正しい。
私の力、あなたの涙 どっちもただしいの。


宗教を歴史的・文化人類学的に追うと、素朴な信仰心は消えるのか?

これは個人的な経験で言うと、まったくその通りでしたね。うちの小学校時代、通学路にキリスト教の布教団体が待ち構えていて、『悪いことをした子は地獄へ行く。それを回避するにはクリスチャンになれ』と言い出して、けっこう幼児を怖がらせ、アリの巣水攻めなどをやっていた僕も地獄の責め苦に恐怖し、信仰の道に入ろうかと思ったものでした(笑)
しかし、進化論の立場から創世記の記述やノアの方舟があり得ない、と確信した結果、そんな信仰心は雲散霧消。科学が、迷信と狂信を打ち砕いたものであることよ。


ただこれはあくまでも個別事例であって、
聖書を歴史的に読み解き、古代神話や他文化の影響、各種外典との比較研究によって、信仰心がより深く、ピュアになった、という人もたくさんいるようです。
クルアーンもしかりでしょうな。


また、さらにいうと、そんなのをそもそも信じない外部のあわれな無明の徒は、そんなことに縛られないねん。

ということで・・・・・。
もう一度本題に戻る。

宗教とは「お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな」でファイナルアンサー(にするしかない)

そういう重要論文が、ここにある(自画自賛

宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3

(前略)…私の言うところの「証明不可能・相互無視」「『見なし』の権利」というのを、実はインターネットのジャーゴンであますところなく(いや、あますところはあるが(笑))表現した流行語がある。

それはひとつは
「〇〇は俺の嫁
であり、
もうひとつは・・・

ともに元ネタをぞんじあげておりませんが、いや笑ってはいけない。

・宗教的な「見なし」の権利、

・「証明不可能・相互無視」

というふたつの原則について語るとき、このネット流行語はたいへん有用ですヨ?

「〇〇は俺の嫁」は、実在人物について、本当に戸籍上の妻であると公言したり公文書に記したりすると、違法になったり名誉毀損かなんかで民事でも訴えられそーではあるが、例えば漫画だアニメのキャラクターへの好意が高じて、この流行語を言ったり書いたりしても、「ああ、それぐらい好きなのね」という話で終わるんである。たぶんそのキャラクターの作者でも、その『見なし』を禁じるわけにはいかぬだろう。

「『サザエは俺の嫁』と、インターネット上でよく見かけますが、サザエの夫はマスオさんです。虚偽の書き込みをしないでください」とは、厳しい長谷川町子財団でも主張しまい。


下の「おまえがそう思うなら…」

はい、「安重根カソリック福者」だろうと、「台湾の戦没者は『英霊』」だろうと「コーランは『我が闘争』と同じだ」「聖書は完成されたコーランがもたらされる前の不完全な教え」だろうと、このAAはすべてを解決してくれるじゃないですか。

これを冷笑、攻撃のAAと思っている人がいるようですが、そうではなく、相互尊重、異文化尊重…じゃないな(笑)、やりなおし。

尊重はしてなくても「相互不可侵」はできるでしょ。

つまり「相互不可侵・異文化不可侵」の象徴なんですよ。


つまりは・・・・そういうことです。(後略)

戒律の歴史的研究を「宗教的冒涜」と思うなら思っていい(しょうがない)。ただしそれを実力で阻止するな。宗教よ、世俗国家とその法に服従せよ

これは、過去の「寺社に油でヌルヌル事件」の時の2記事が参考になると思う

「寺院油かけ事件」、容疑者浮上に際して一言ふたこと - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150602/p1
寺社油事件で一言。宗教は他宗を邪教とも悪魔とも呼んでいい。世俗国家がその上に君臨すればいい。 - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150603/p2


たしかに、信者がある行為を「冒涜だ」と宗教的に思うのを「それは冒涜でないと考えを改めよ」のは、棄教の強要とかわるまい。

そうは思ってていいから、それを剣をもって冒涜をやめさせようとなったら、ポリスメンに阻止してもらうしかない。

ギャワー。

以上、安定のファーザーオチ。


おまけ セム系宗教の豚の忌避に「遊牧民族が連れていくには足が遅くなるから」という説もあった

これはセム系というより遊牧民族全体の特質というか、モンゴル方面であまり豚を飼わないことからの類推で・・・・・・・・司馬遼太郎陳舜臣の対談の中で出てきたかね。
モンゴルは豚を飼わない、女真族、すなわち満洲族は、半農半畜で、だからぶたを飼ったのだと。

司馬遼太郎陳舜臣著。 

新装版 対談 中国を考える (文春文庫)

新装版 対談 中国を考える (文春文庫)

(p021) 
漢民族から黒水靺鞨(こくすいまつかつ)という凄い名で呼ばれていたホジェン族、ホジェン族は黒竜江松花江でシャケだけを獲って暮らしていた。 ツングースはほかにヒエやアワを作ったりして小マメに農業していた。
陳・・・ほかに満州族は豚を飼ってるんですよ。 羊とか馬とかのように早く走れない。 朝鮮人参も野生ではなく、栽培だから・・・。 定着性が強くなるち農耕文明が入ってくる。

ときに、まったく逆方向からの関連記事として、これを紹介しておこう

日本ではなぜ、ぶたさんが家畜として広まらなかったのか? - Togetterまとめ https://togetter.com/li/959951