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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

三谷幸喜「記憶にございません!」感想〜ヒットも本塁打もあったけど、大量得点には至らず

三谷幸喜「記憶にございません!」を見てきました。


映画『記憶にございません!』予告


最初に全体的な感想を比喩で言うと「ゲーム中はヒットもホームランも出たが打線の繋がりが悪く最少得点に止まってしまった」という感じ。 あと一つは「政治フィクションの中の第一ハードルにして最大のハードルである『これはいい政治(政策)だと納得させる政治(政策)』が、虚像としても描けなかったのがマイナスだった」という二つの感想を持ちました。

まず先に、これは良かったなと思ったところを言う…と思ったけれど、この部分はネタバレになるので具体的には言いません。ただ、三谷幸喜の作品を見る時自分は「緻密に張られた伏線が終盤になってピタピタとパズルのようにハマる心地よさ」と「それなりのどんでん返し」の二つを期待しているところがある。後者に関しては、ある仕掛けが最後になって明かされるんだけれども「ほほうなるほどそうきたか、いやこれは確かに意外だったよ。あっぱれ騙されました」みたいに拍手したいところです。清洲会議」も、そういえばそれに似たような、 物語構造全体に関わるような仕掛けがあったよね。
最初に言った「ホームラン」というのはその部分のことです。
その他、映画館から笑い声が出たシーンは小さなギャグの中でいくつかありました。「こち亀」ばりの「稚内派出所に飛ばされた警官」とかね(笑) そういう点ではヒットもホームランも出た、といっていい。

ただ、「ラヂオの時間」や「笑の大学」「十二人の優しい日本人」のように、小ネタが最後にピたぴたぴたっと はまるような「連打」「大量得点」は、残念ながら無かった。

あとひとつが、…これは言っても詮無いのかもしれないけど、フィクションでこういう感じの「善に目覚めた政治家」「善を行う(意欲のある)政治家」を描こうとするでしょ。そうすると、フィクションの中であっても「これは良い政策じゃないか、頑張ってこの政策を実行してくれ!」と思わせるような政策というのを……これが出せないんだよねぇ。
以前『お笑い漫画で、本当に面白い漫才やコントを劇中劇で描くのと、政治漫画で本当に良い政策を描くのはともに難しい』とかいたことはある。
だから難しいのは分かるんだよ、同情もするよ。

しかしなあ…「べしゃり暮らし」の劇中漫才ほどに努力したようすも見られない。
ちなみに最終巻のその後を描く、20巻が今月出版された。


ぶっちゃけた話、今回の映画の中の「劇中劇」ならぬ「政治劇中政策」は本宮ひろ志レベル!弘兼憲史レベル!雁屋哲レベル!!!業田良家レベル!!!………だったように感じます。いやここは悪口よ(笑)。
スミス都へ行く、のその手の部分のリアリティはどれほどかは、時代と地域が違い過ぎてちょっとわからんけど

スミス都へ行く

特に、
アメリカ大統領とのやり取りさあ。
農産物の輸入で、関税撤廃を求める大統領。記憶喪失の総理は、まっさらな素朴な考え方でこの交渉に臨み、老獪な悪役である、全てを知っている官房長官の意向にも逆らい、全面拒否をする。これで日米関係は破綻だ…と官房長官たちが怒り恐れるなか、アメリカ大統領は逆に「とても率直な総理は素晴らしい、ここから日米の対等な関係が始まる」と絶賛し逆に友好関係が深まった……って、 さすがにここは30秒ぐらいでかき飛ばしたんかいな、という感じでした。
これ本当に「本宮ひろ志」レベルよ。「大と大」だっけ、当時ホットすぎる話題だった「クウェートに侵攻したイラクフセイン大統領をどう説得するか?」で、本宮先生は日本の政治家が説得に成功する話を書いたんだが、本当に番長物のノリで、それはあまりにも無理があり過ぎた…。
今回の映画なんか、本当にあれで日本を称賛して友好関係を深めたら、日系の血が入った大統領って設定でしょ?ふつうにゆかりのある国をひいきした、ってアメリカで非難うけると思うし。



この部分も含めて、 政策部分に関してはおそらく三谷氏は苦手な分野だろうから、ブレーン・ストーミングを行って、「ある政治家が、ある政治問題に対して、こういう方針を打ち出したら、視聴者が『それはいい政策だ!たしかにいい政治だ!』と自然に納得するようなシチュエーションを考えて欲しい」と募集した方がまだ良かったんじゃないかね…。
いそのこと現実にあるような問題ではなくその「政治問題」自体も劇中で一から作って、 それに対して架空の解決策をうちだすようなやり方の方が良かったんじゃないかね。 実のところ、上に挙げた、フィクションの中でいい政治家がいい政策を打ち出す、という部分の入れ方が残念な漫画家と比較すると、例えば田中芳樹氏がラインハルトやアルスラーンの「善政」を描く場面は、それなりに目配りが効いていて、少なくとも今回の映画よりはよっぽど違和感がない。まあ現在の政治劇でそれができるかはまた難しい…かな。



あと草刈正雄演じる官房長官は全てを牛耳る裏では汚いことをしているラスボスだという設定だったけど、 それに説得力を持たせる工夫はほぼゼロに等しかったと思う。まあここはあまりリアルにしてしまうと「おとぎ話」としての魅力は失うからトレードオフなのかもしれんけどねえ…。

で、この人と全面対決する方針を決めた総理大臣チームは、何をするかと言うと、金で動くフリージャーナリストを使って官房長官のスキャンダルを探し、そのスキャンダルを使って裏で脅迫して官房長官も自発的に辞任させる、という設定(ただそのスキャンダルに、ちょっとしたナンセンスが入ってるのは三谷作品らしい)だったが…生まれ変わって正直で堂々とした、正しい政治をしようと誓った総理大臣がそんな手、使っていいのかねえ。国民からその不正を隠蔽するということにもなるし。本当に総理大臣が「正直で堂々と正しく」あるなら、トランプのボルトン解任じゃないけど、正面から官房長官を罷免させることだってできるんだよ、憲法上はね。
しかもそれで辞めることになる官房長官が見せたリアクション(あの服装ね)は単発ギャグ的には面白かったけど、およそリアリティも、ストーリー上の必然性も、その後の話の展開に関係もなかった(笑)。総理との政治抗争に敗れて、 もう完全に政治から離れることを決めた官房長官が最後にやけのやんぱちであれをやった、と言うなら話はわかるけど、どう見てもその後の復権、巻き返しを狙ってたでしょ? 官房長官としての最後の会見であれをやったら、どんなに影の実力者を10年やっていても一発で政治的影響力はゼロに等しくなるわ…。菅義偉官房長官や、福田康夫野中広務後藤田正晴などがあれをやったと考えてみてくださいよ(笑)総理を超える「実力者」なら、手勢の国会議員はいないの?それらが造反して野党と連携すれば、内閣不信任案が通るようなことはないの?


そして最後に出てくるあの〇〇〇〇ー…あれが使おうとしたXXXで、なにをどうするつもりだったの?それが結果的にあんなふうになっゃうレベルで?「あの場所から」アレして、、その後、自分はどうするつもりだと思ってたの?



あと後半の、夫婦をめぐるストーリーね。あれ、日本だとちょっとリアリティがないかもしれないけど(いやそうでもないか、何例かあったな)、アメリカ大統領選挙では毎回のように登場するシチュエーションなので、リアルなそういう例の方がぶっちゃけおもしろい(笑)。

ああいう報道がされたら「それでも私たち家族はお互いに愛し合ってる。今回の騒動をも乗り越えることができる」みたいなことを公言して、それで乗り切るしかないというのはかなり共通してるからね。実際それでカムバックした政治家は日本にもアメリカにもいるから。

ただ同じ表現でも日本でやるとそれは非常にキザでおとぎ話的なものになるというのも事実ではある。三谷幸喜は何の賞だったか忘れたけど、スピーチの最後に「妻に感謝を!」と締めくくったことがあった。
俺は本当にアメリカだったら普通すぎて何の引っかかりもないけど、日本でやると少なくとも行った当時は「いかにもアメリカのスピーチに影響されて、そのまんま真似したっぽい、とってつけたセリフ」というニュアンスを漂わせて一つのギャグとして使われていた。

その辺のニュアンスギャップというのを三谷氏はわきまえていて、最後にああいうことを語るのは、日本人にとってややコメディ的なニュアンスというのが 確かに漂う。ただ「ああいう風なセリフが並ぶのはギャグですよね?」とも断定しがたい。

その辺の何と言うか、どっちとも言えない曖昧さが……それがいいという人もいるんだろうけど私にとってはちょっと「うーーーん」という保留材料。


ただまあ、そういうのをすべてひっくるめても、 そんなに悪い映画であった…とは思いません。見に行ってもいいんじゃないですかね皆さん。(了)

そして最後におまけ。官房長官の言ってることのほうが正論?

記憶喪失が、一種の精神障害だとしたら、ほんとの話、ド正論でいうと、「それだったら退陣すべきだ」という草刈正雄官房長官の主張のほうが正義に則っているかもしれない。近代政治…いや古代の政治からも、「指導者が病気・事故の時、どの時点で権力の正統性は失われるか」というのは常の正解はない半面、逃れようもなく政治には付きまとう問いで。これは、それを理由にして退陣させるのも、それを隠して今まで通りの統治をしようとするのも、やり方によっては一種の「クーデター」になるからだ。さらに究極の「指導者はすでに死んだり、意識不明。しかしそれを隠して…」もそのカテゴリで、秦の始皇帝崩御の時代からそうか。わが日本国も、1990年代末期に小渕総理のもとでそれをやらかしてしまた。

これらに関しては

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