三教の図(清代の絵画)
— ハコ[゚д゚] (@hakoiribox) 2017年4月16日
孔子が老子にまだ赤ん坊の釈迦を引き継いでいる絵です。儒教や道教は仏教が世に広まるための下準備として世に生まれた、という解釈であります。 pic.twitter.com/a884NbsNoP
@hakoiribox ああ、「加上の説」だ。
— gryphon(まとめ用RT多) (@gryphonjapan) 2017年4月16日
あとから出たCは、後発だからこそ先行のA、Bを意識して、設定(と言うな)の中に「そのA,Bよりワンランク上」を盛り込む…https://t.co/DuV4NFjfLp
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-44.html
ムハンマドが神がかり状態になるときに、神の言葉を授かるのですが、神はずっと昔からムハンマド以外の人にも言葉を与えてきた。それが、「ノアの箱船」のノア、「出エジプト」のモーセなど、旧約聖書の登場人物たちです。ムハンマドはそれらの人物を預言者として認めます。
さらに、イエス。かれも預言者の一人だった、とムハンマドは言う。
ただし、神はこれまでの預言者たちにすべてのことを伝えたわけではない。言い残した言葉がたくさんあったんだ、という。人間たちに言い残した言葉を伝えるために選ばれたのがムハンマドなのだ。
というわけで、イスラム教でのムハンマドの位置づけは「最後にして最大の預言者」です。何しろ、神さま今まで言い残していたすべてをムハンマドにしゃべってしまったので、もう何も人類に伝えることはない。だから、ムハンマドは最後の預言者なのです。
http://www.ahmadiyya-islam.org/jp/
アハマディア・ムスリム協会は、待望の救世主がカーディヤーンのミルザ・グラーム・アハマド師(1835年〜1908年)という名で再臨したと信じる、唯一のイスラーム教組織である。アハマド師はナザレのイエスの比喩的な再臨であり、預言者、ムハンマド(彼に神の平安あれ)にその出現を預言された神の案内者であると主張した。アハマディア・ムスリム協会は、神が宗教戦争を終わらせ、流血を非難し、また道徳、正義そして平和を復活させるために、イエスと同じようにアハマド師を遣わしたと信じている。アハマド師の出現は、かつてないイスラーム教復興の時代をもたらした。彼はイスラーム教の正しい本質的な教えを力強く擁護して、イスラーム教から狂信的な教義や習わしを取り除いた。彼はまた、預言者ゾロアスター、預言者アブラハム、預言者モーゼ、預言者イエス、預言者クリシュナ、仏陀様、孔子様、老子やグルーナーナク【皆に神の平安あれ】を含む、偉大な宗教の創始者や聖人たちの崇高な教えを認め、それらの教えが、一つの真のイスラーム教に如何に収束したかを説明した。
あらためて見ると、「加上の説」を考えついた富永仲基の慧眼に感服せざるをえない。
http://www.rikuryo.or.jp/home/column/kaitokudo/014.html
仲基はごく若いときに『説蔽』【せつへい】と題する書を著した。この書は今に伝わらないが、後に刊行された『翁の文』【おきなのふみ】によってその概略を知ることができる。彼の独創である「加上説」の理論で儒教を論ずる書であった。加上説とは、後代に生まれた学説はその正当性を示すために、必ず先発の学説を抜こうとして、より古い時代に起源を求め、複雑さを増すものだという考え方である。
古代中国の春秋時代の人々が覇者の斉の桓公や晋の文公を尊んでいたので、孔子はその上に「加上」して、より古い時代の周の文王・武王・周公を尊崇の対象とした。孔子の後に登場した墨子は、文王・武王よりさらに古い禹を、そして墨子の後の孟子は禹より古い堯・舜を持ち出した。次に楊朱や道家が黄帝を、許行が神農を言い出した。つまり時代が下るほど、逆に説く内容は古代に遡ることになる。
また、世子【せいし】が人の生まれつきの本性については善の人も悪の人もあると言い、告子【こくし】がもともと本性には善悪の別はないと言い、その後、孟子がすべての人の本性は善であるとする性善説を、さらに荀子がすべて悪であるとする性悪説を唱えたのは加上によるのであって、仁斎も徂徠もそれに気づかず末節を論じていると、仲基は批判した。『説蔽』の論旨は儒教を誹謗したものではないが、当時の儒学者には孔子をおとしめる不遜なものと受け止められた。仲基はこの書が原因で石庵に破門されたといわれている。
ああっ!! これに属するのが
「XXなど、われら四天王の中で一番の小物にすぎん」「あんなやつに負けるとは〇〇〇の恥さらしよ…」だ!!