池内恵氏が、この前のアカデミー賞について書いていた。この中で、少し前から気になっていた話に触れられていた。
「トランプの影」と戦ったアカデミー賞が中東とイスラーム世界に与えた3つの賞:池内恵 http://www.fsight.jp/articles/-/42048
あちゃー、一瞬だけ公開されて、あとは会員のみか……では、ほんの少しだけ抜粋する。
…また、助演男優賞は「ムーンライト」に出演したマーハシャラ・アリー(Mahershala Ali)が受賞した……ただし詳細を見ると、(映画作品と演技の評価とは全く別に)政治・宗教的には複雑な問題を含んでいる。
すでにパキスタンでは「イスラーム教徒が受賞した」とツイートした外交官が批判を受けて削除に追い込まれている。なぜならばアリーが入信したのがアハマディー教で、これは欧米では有力なものの、イスラーム教を多数派とする国の多くでは背教的 ... 一般の認識では背教者(それは死罪の適用を原則とする)と認定するかどうかのすれすれといっていい。 ... 布教は圧倒的多数のイスラーム教国で容認されておらず、各国で携行が必須のIDカードの必須項目の宗教欄に記載が認められないことが通常である(なお、イスラエルのハイファにアハマディー教の巨大な寺院がある)。
ここからはかなり箇条書きに
・アハマディ教は、教団創始者を預言者、救世主として信奉し、実質的にはムハンマドを超えるものとして扱っている
・しかし、実はその教義は非常に「近代的」。諸宗教に融和的で穏健。
・一つの理由は、近代的・欧米的価値観では「うーん」となるようなイスラームの教義を、この<預言者アハマディがこう言った>で上書きできるから。
・だから海外で非常に評価され、今回の俳優アリーのように、先進国での入信者が多い
・しかし当のイスラーム圏では、非常に肩身の狭い存在、異教…というより異端扱いで、公的にも容認されないし、ID登録でも「ムスリム」とはされない。
・・・・・・・・・・・・・・では、アハマディの考えをみてみよか。
ウィキペディアは非常に記述が簡単なのでスル―し、公式ページを
http://www.ahmadiyya-islam.org/jp/
アハマディア・ムスリム協会は、待望の救世主がカーディヤーンのミルザ・グラーム・アハマド師(1835年〜1908年)という名で再臨したと信じる、唯一のイスラーム教組織である。アハマド師はナザレのイエスの比喩的な再臨であり、預言者、ムハンマド(彼に神の平安あれ)にその出現を預言された神の案内者であると主張した。アハマディア・ムスリム協会は、神が宗教戦争を終わらせ、流血を非難し、また道徳、正義そして平和を復活させるために、イエスと同じようにアハマド師を遣わしたと信じている。アハマド師の出現は、かつてないイスラーム教復興の時代をもたらした。彼はイスラーム教の正しい本質的な教えを力強く擁護して、イスラーム教から狂信的な教義や習わしを取り除いた。彼はまた、預言者ゾロアスター、預言者アブラハム、預言者モーゼ、預言者イエス、預言者クリシュナ、仏陀様、孔子様、老子やグルーナーナク【皆に神の平安あれ】を含む、偉大な宗教の創始者や聖人たちの崇高な教えを認め、それらの教えが、一つの真のイスラーム教に如何に収束したかを説明した。
アハマディア・ムスリム協会は、一切のテロ行為を断固として拒否する最も有力なイスラーム教組織である。一世紀以上前にアハマド師は、攻撃的な「剣によるジハード」はイスラーム教に入り込む余地はないと強く明言した。その代わりに、彼はイスラーム教を守るために、流血のない、知性に訴える「ペンのジハード」を行うように信者に教えた。このために、アハマド師は80冊以上の本や数万通の手紙を書き、数百回の講義を行い、多数の公開討論に加わった。彼の厳正かつ合理的なイスラーム教の擁護は、従来のイスラーム教徒の考え方をぐらつかせた。イスラーム教を復活させる努力の一環として、アハマディア・ムスリム協会は、イスラーム世界の地域からの激しい抵抗に直面しても、アハマド師の節度と慎みのある教えを広め続けている。
同様に、それはモスクと国家の分離を是認する唯一のイスラーム教組織である。一世紀以上前にアハマド師は、正義の人と同様に忠誠な市民になることで、宗教と政治の両方の尊厳を守るように信者に教えた。彼は聖クルアーンの見解の不合理な解釈と、イスラーム法の誤用を戒めた。彼は絶えず、生きとし生けるものの権利の保護に対する関心を表した。イスラーム教徒共同体は現在も、宗教およびその他の少数派のための、普遍的な人権と保護を提唱し続けている。それは女性の権利獲得と教育を擁護している。その会員は世界で最も法律を遵守し、教養がある熱心なイスラーム教徒に属する。
モスクと国家の政教分離!
ブッダや孔子や老子やクリシュナの崇高な教えを認める!
剣のジハードでなくペンのジハード
なるほど、こりゃー近代的だ。近代的過ぎて「イスラムとは言えんよ、と周りがいうのももっともだなあ」とか「これだけ教義を変えるには、アハマドって創始者がムハンマドと同格かそれ以上ってしないとそりゃー難しいよな」とか、舞台裏が透けて見えなくもないが・・・・・・ですが、こちらがわ、無明の異教徒や不信心者から見れば「ほう、こういう教えがイスラムの中で勢力を拡大してくれれば都合がいい。どんどん応援いたしましょう」みたいな、それこそ不謹慎なことを思ってしまうのですけどね。
いやいやいや、そんなこちらの損得や都合はひとまずおいて、考えのスジに戻らねばならない。
うちのブログでは「自称・他称問題」と称しているのだが・・・・・・・・・
アハマディ教徒は、「世界各国の崇高な教えが、一つの真のイスラーム教に収束した」として、自らをイスラームを奉じるムスリムと自己定義する。
しかし、多くのイスラーム教徒が、「アハマディをイスラームとは認めない」とする。
そんなアハマディ教団に属する俳優がアカデミー賞を受賞したとき、例えば日本のメディアは「初のムスリム俳優の受賞」と報じるべきか、そうでないのか。
という感じで「俺はその件にはさわらねえ!」とやれればいいのだが。
しかし、そういう自称と他称のずれってそもそも日本の浄土真宗から創価学会から、「果たして仏教と定義していいのか?」と外野から言われる資格十分だよね(笑)
諸外国はどういうふうに処理しているのか・・・・・・・・といいつつ、結局は仏教の主流と離れた仏教を自認する教団を仏教と認定するとかしないとかは、イスラム教のそれとくらべてプレッシャーが大きくないこともまた事実だろうさ。
池内氏は、この俳優のアカデミー賞受賞前にも別のトピックでアハマディについて書いていた。
教団の評価などは当然共通しているので、そちらからも紹介しよう。
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10204047776993766
アハマディーヤ協会の信仰・思想と、それが日本で無邪気に「真のイスラーム教」として報じられることの両方が、今騒がれているテロの根本原因となる近代世界の根深いところでの価値規範上の対立構造を明らかにする要素を含んでいる。
まず、イスラーム教の、特にスンナ派の教義からは、アハマディーヤの教義は、その根幹の部分が、イスラーム教からの逸脱とみなされており、イスラーム諸国で宣教を行うことは多くの場合は困難である。そのことに一言も触れないこの記事は、イスラーム世界の宗教状況、イスラーム教の圧倒的多数から認められている信仰を正確に伝えていない。
アハマディーヤが逸脱とされるのは、預言者ムハンマドを超えるかのような救世主「ミルザ・グラーム・アハマド」が19世紀の英領インドに現れたと信じる部分である。7世紀のアラビア半島の預言者ムハンマドが人類最後の預言者と信じるイスラーム教の観点からは、それ以後に預言者に匹敵する能力を持つ人間が現れて、実質上啓示の内容を上書きしていくことをあからさまに信じることは、明確に背教…
(略)多数派から逸脱とされるアハマディーヤは、一般的にわれわれが宗教からの逸脱という際に想像する「過激派」「排外的」「暴力的」なものであるのかというと、そうではない。その正反対である。アハマディーヤは、この記事にあるように絶対的な平和主義を掲げている。諸宗教の重合・融合を信じる。
アハマディーヤの掲げる信仰は、日本の宗教観や、戦後の平和主義からも、「文句無し」に受け入れられるような内容が多い。
「救世主グラーム・アハマド」を信じる部分のみが分かりにくいかもしれない。しかしイスラーム教の文脈では、アハマディーヤにとって、「アハマド」への信仰があるから平和主義が可能になる
(後略)
そして自分は「自称・他称問題」として、過去に書いたり、まとめたりしてましたよ。
「自称・他称問題」の最難問だな…『「イスラム国」使わないで』と”エジプト軍事政権” -http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140906/p2
『私達こそ「真のXX教」』『いやお前ら異端、異教だ!』〜宗教などで本人の「自認」と外部の「評価」が違ったら? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/906229