きのう、こんなまとめを作ったです。
「節分の豆は鬼にぶつけるのでなく、ばら撒けば鬼が数えるのに熱中してしまうのだ」…との説から派生した、各種考察 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1077806
節分の豆は「ぶつける」んじゃなくて「撒く」んですよ。鬼はなんでも数えてしまう習性があるので、家の周りに撒かれた豆を見るとつい数えてしまって人を襲うことを忘れてしまうの。鬼にぶつけて撃退するんじゃないんですよ。
— ヤギの人 (@yusai00) 2017年2月3日
たいへん楽しかった。
なぜ楽しかったかというと・・・・・
そのまとめの中にも含めたけど
@yusai00 @CSambo
— gryphonjapan (@gryphonjapan) 2017年2月4日
へえ、悪魔がついものを数えてしまい、それで仕事しなくなる…といえば細かい籠の目がそうで、だから「かごめかごめ」だという話が帝都物語であったな。
青空文庫の南方熊楠の文章にもないかな?
プチプチも悪魔払いになるかも(笑)
https://t.co/deHEYDgVTb 補足資料
— gryphonjapan (@gryphonjapan) 2017年2月4日
「九字」の意味が伝わりにくいと思ったので、視覚化(漫画化)した。 pic.twitter.com/AA7VrMsNJP
※この絵、ちょと間違い。九字の印でできるのは「3×3」のマス目じゃないね。引く線は「5×4」、外周を除くとマス目は十二個だった。
えー、南方熊楠 節分 豆 で検索したら
— gryphonjapan (@gryphonjapan) 2017年2月4日
黒潮の文化誌
著者: 日高旺
が引っかかった。
ふむ、帝都物語経由で知った知識もだいたいこんなだ。邪眼にまつわる話だったな pic.twitter.com/aSKi6RDVUw
あ、南方熊楠が節分と豆について書いたのは「十二支考」のうち「蛇」の回か!! / “南方熊楠 十二支考 蛇に関する民俗と伝説” https://t.co/Urzg6Z2amy
— gryphonjapan (@gryphonjapan) 2017年2月4日
「帝都物語」は、怪人加藤と実在著名人たちの、歴史を縦軸にした伝奇的抗争も面白かったが、司馬遼太郎の歴史小説の「少しく余談」と同様に、小説の中にちりばめられた(もちろん小説に合わせた脚色もあろうが)オカルティックな解説が体操面白かった。
それは「五芒星」(☆マークの線が入ってるやつ)がドーマンセーマンともいい、魔除けの紋章でもあることや、「かごめかごめ」を籠目籠目と読むなど、つまりは、日常の何気ない風習や紋章を「ここではないどこか」「通常ではない何か」にヴァーチャルに変換できるものでした。
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http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20161227/p1
5位 「ポケモンGO」に「VR」。現実世界を「ここではないどこか」とつなげる技術が本格化
ポケモンGOは、実際にはやっていないし、ここでも紹介していないけど、ただ!現実の、何の変哲もない世界を、バーチャルな世界において「ここにはモンスターがいるんだぜ!」「ここは闘技場だぜ!」と”見なし”て、そしてそれが現実社会に「人が殺到する」というなどの影響をもたらす、というのが、実に面白いSF的な何かを感じたのであります。
それは自分のSF的想像力の源泉となっている「ドラえもん」で描かれたから、そう感じたのだと思う。
(略)
そんなに最近の例に限らなくても、まさに「赤毛のアン」のものの見方がそうですよねhttp://www001.upp.so-net.ne.jp/meisaku/meisaku/anne/anne_s.html
……アンは得意の想像力を発揮し、馬車の上から見える林檎並木には「喜びの白い道」、バリーの池には「きらめきの湖」など、次々と名前を付けていきます。(略)…樺の木立を見たアンは、そこがまるで緑の屋根を頂いた大きな東屋のように見えました…アンの想像力でこの樺の木立はアイドルワイルドと名付けられました。こんなかたちで現実を、想像力のフィルターを通して別世界にみていく。
民俗学も、自分にとっては、こういうたぐいのもの。
そして、ここが肝心というか分岐点なのだが、自分はこういうものを「実際にご利益、呪いがある」「神や悪魔が実在する」という方面にはいかなかったんだよな。
逆に、『ほほう、こういうふうに民族はそれぞれ宗教の設定を考えたのか」、という感じで、むしろ無神論的傾向に拍車がかかった。
そういう点で、自分は小中学校のどこかで「比較神話学」や「比較宗教学」を教えておいた方がいいと思う。
しかし、その前に諸星大二郎(マッドメン)があったのだった。…わが諸星大二郎体験
だが、自分の「民俗学(比較神話学・宗教学体験)」は、やはり伝奇SF漫画にルーツがある。
いずれも中学・高校生のころ
・SFマガジンに連載中だったとり・みき「山の音」を読む
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・映画化をきっかけに、既に出ていた「帝都物語」を読む
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・呉智英「現代マンガの全体像」で、諸星大二郎の初期の伝奇・神話系作品を紹介、それを読む・星野之宣が「ヤマタイカ」に続き「宗像教授伝奇考」をコミックトムに連載、それも読む
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これで、大体の方向性が固まったのだろう。あと山本七平氏は「聖書考古学」的な立場に立ってたから、そこかしこに「聖書物語の、こういう神話の形はバビロニアからあり…」みたいな解説があったから、それも影響したのかな。
実は
諸星大二郎自体は、小学校のころから知ってたの。
それは筒井康隆編「XX年SFベスト集成」に、2回も入っていた実力派のSF漫画家だということでした。
ただ!!
幸か不幸か、そこで選ばれた作品は、デビュー作「生物都市」と、日常ホラー「不安の立像」で、残念ながら偶然にも、神話や伝説に題材をとった作品ではなかったのです。
そのころは少年ジャンプ、サンデー、マガジン…そしてコロコロだけが自分の漫画世界で、その外に何かがあるとも発想してなかったような気がする。
美味しんぼとかエリア88が、ビッグコミックなんとかという「大人向け」雑誌に連載されていると、かろうじて認識していたのかなあ。
しかし、その後呉智英氏の「現代マンガの全体像」で、「生命の樹」という、キリスト教に題材をとった作品が「最高の文学に劣らぬ感動」と絶賛され…これは大学に入ってから、ようやく読めたのだったかな。
しかし…そこからもう一回だけ、話が一転する。
その後、諸星大二郎の作品を追っていたら、自分がさらに小さい、小学校低学年か中学年ごろに、床屋で偶然読んだ作品が、諸星大二郎のものだとあとから確認できたのだった。
それが「マッドメン」でした。
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もうひとつなんだけど、
— gryphonjapan (@gryphonjapan) 2017年2月4日
何かをぶつけるというよりばらまいて、それが足止めになって、悪魔の追手から逃れる…という神話も世界各国にある、と諸星大二郎の漫画「マッドマン」で読んだ(また弱いエビデンスを…)
この時も物理的に妨害するというより、それに気を取られてる間に逃げるっぽいんだよね
これを「呪的逃走」というらしい。
http://aloopholeinmydreaming.tumblr.com/post/8418662631/%E5%91%AA%E7%9A%84%E9%80%83%E8%B5%B0
呪的逃走
神話、昔話の型のひとつ。異世界から逃走するために、3つの物を投げて追っ手をまく。
イザナギ・イザナミ神話では、イザナギが黄泉の国から逃げる際に「髪飾り」「櫛の歯」「桃」を投げる。
ここに伊耶那岐命、見畏みて逃げ還る時、その妹(=妻)伊耶那美命、「吾に辱見せつ。」と言ひて、すなはち黄泉醜女を遣はして追はしめき。ここに伊耶那岐命、黒御鬘(くろみかづら=植物を輪にして髪の上にのせる魔よけ)を取りて投げ棄つれば、すなはち蒲子(えびかづらのみ=ブドウの実)生りき。こをひろひ食む間に、逃げ行くを、なほ追ひしかば、またその右の御角髪(みみづら)に刺せる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引き闕きて投げ棄つれば、すなはち笋(=竹の子)生りき。こを抜き食む間に、逃げ行きき。
且後には、その八はしらの雷神に、千五百の黄泉軍(=悪霊邪鬼)を副へて追はしめき。ここに御佩せる十拳剣を抜きて、後手に振きつつ逃げ来るを、なほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に到りし時、その坂本にある桃子三箇(もものみみつ)を取りて、待ち撃てば、悉くに逃げ返りき。
ここに伊耶那岐命、その桃子に告りたまひしく、「汝、吾を助けしが如く、葦原中国にあらゆる現しき青人草(=人民)の苦しき瀬に落ちて患ひ惚む時、助くべし。」と告りて、名を賜ひて意富加牟豆美命と號ひき。
これが、「日本神話とパプアニューギニアで共通している!!」と指摘するコマが、印象に残っている。
というのは、日本神話のほうは「たけのこがにょきにょき生えてきたので、追ってくる鬼がそれを食べている間に逃げた」と書いてあって、コドモゴコロに「いやタケノコが邪魔で追えないとかじゃなくて食べちゃうのかよ。そんなサボりしてないで追えよ、相手を」と思ったのですよ(笑)。
それはともかく、こういう形で、離れたところの神話に共通性がある…これが「同祖説」や「交流存在説」になるか、「人間の考える物語のパターンはどれも同じ」と考えるかで、また描く絵も変わってくるのだが、それはともかく、そこに幼心に「知」を感じたのだろう。
すごく印象に残ったまま・・・・・・・・・この作者は、小学生の目からは「消えて」しまい、「SF集成」や「生命の樹」で再会したときは同一人物とは気づかなかったのでありました。のちにマッドメンを知った時は「あの子が、以前会っていたおさななじみだったとは」的な驚きでしたな(笑)
「知の巨人」立花隆氏、最近まで諸星大二郎を知らなかった
週刊文春の今週号書評欄で、立花隆が、諸星大二郎というすごい作家を初めて知った(大意)と書いていて驚いた。呆れる一方で、70歳を超えての好奇心を尊敬もするし、無知を表明できる率直さをうらやましくも思う。
— ogawab (@ogawab) 2017年1月27日
「週刊文春」立花隆のコラム。諸星大二郎を初めて知ったと書いていて、こっちの方がビックリ。博覧強記の読書家・立花隆も漫画には弱いか。そういえば去年、蛭子能収の漫画を初めて読んで「天才(かキチガイ)」と絶賛していた。
— 大塚浩成 (@OhHironari) 2017年1月26日
ちなみに今回のコラムでは、『諸星大二郎の世界』(平凡社)を紹介。
立花隆が諸星大二郎を今まで知らなかったぽいの、なんら責めることもない話なんだけれど、あの知の巨人ですら知らないジャンルというのがあるっていう点については、すごい衝撃を受けるなあ。
— karedo (@susumu_karedo) 2017年1月30日
週刊文春をチェックした。立花隆氏は『諸星大二郎の世界』を読んで諸星大二郎を初めて知ったようだが、あれを初めての諸星大二郎にするのはいかがなものだろう。あれはファン向けの本だから。
— 怪人バルバリ博士 (@DrBaruBari) 2017年1月29日
立花隆、かわいそう。
— 招き猫(Noriko K) (@kyounoowari) 2017年1月29日
70まて諸星大二郎知らんかった…人生、無駄に生きてきたんちゃう? https://t.co/eSIDlESDiG
立花隆でも諸星大二郎を知らなかったりするのか。世の中には優れたエンタメが多すぎて、全てをカバーするだなんて無理なんだから、「ええ!◯◯を知らないの?」とか上から目線で言うのやめたほうがいいよね。自分が知らない時も見栄張らないで素直に受け止めるの大事だよな
— だちょう (@gorgias86) 2017年1月30日
あれだけの本マニアの立花隆が諸星大二郎を知らなかったとは驚きだ。
— Boop&Nipper (@h07kei) 2017年1月28日
立花隆氏は、自分のフィールドはノンフィクションに絞り込んでいるので(時間的に限界もあるので)、フィクションには手を出さないという方針の人です。なのでいかに有名な作家でも知らないわけですが、今回諸星大二郎を読むきっかけが何だったのかは興味深いですね。 https://t.co/KOwoETUGzL
— 伊吹秀明『猫耳戦車隊』新装版発売中 (@hiibuki) 2017年1月28日
立花隆、80近い(1940年生)近いから、諸星大二郎知らなくてもしょうがないとは思う。なお、「耳をすませば」の演技で驚かせてくれたときはまだ50代半ばだったようだ。
— hajime (@k_parepu) 2017年1月28日