だいぶ前のゴング格闘技の話を、時間ができたので語りたいと思う。
まず最初に。特集「チームドラゴン”強さの掟”」については触れるなああああああああ!!!!!
語るべきはこちら。
ジョシュ・バーネットが語る 映画、プロレス、格闘技に通底するリアリズム
このインタビュー(聞き手は堀内勇氏)は、アルロフスキー戦の少し前だけど、この試合自体が一種の「レジェンド枠」に広義で入る試合でもあり、もう少し気楽に、映画出演の話やプロレス、漫画の話などを中心に展開されている。よくよく考えたら奇妙なのだが、すでにこのスタイルは確立されており、またそもそも需要があるっぽい(笑)。「仕様です」としか言いようがない。
そして、プロレスに関して話題になったのが…ことし6月の
珠玉の名勝負か、「体操やダンスの類」か?新日本プロレス・リコシェvsオスプレイの大空中戦に議論が沸騰 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/982035
リコシェvsオスプレイやばすぎ笑
— Soma (@Box0426Ts) 2016年5月27日
人間ちゃうやん笑笑 pic.twitter.com/84M2umEtZ9
オスプレイで賛否両論(軍事ではない) - 男の魂に火をつけろ! <戦争映画ベストテン受付中> (id:washburn1975 / @washburn1975)
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についてです。
皆さまよくご存じでしょうが、ジョシュ・バーネットがもっとも好きなプロレス団体は、ノアを僅差でかわして、”最強”高田延彦が率いたUWFインターナショナル。U信者です。Uヲタです。
その視点で語るリコシェvsオスプレイなので、そこはそういうものだと思ってください。
そしてジョシュ・バーネット自身もプロレスをやっているけど、またそれはそれで別として。それに本題はここではない。少し別のところにある。
「まず、2人とも驚くほどアスレティックで、高いスキルを持っていて、その技はファンタスティックだった。でも…僕個人の意見としては、ちょっと振り付けをやりすぎだね。そのせいで動きの全てが最初から決められているってことが丸わかりになってしまっていた。もはやレスリングとは言えないくらいの度合いで振り付けをやっているから、これならダンスやアクロバットを見ているほうがいいとも思うんだ。」
―オールドスクールなプロレス観からすると、あり得ないと。
「うーん、別に彼らの動き自体に文句を言いたいわけじゃないんだよ。レスラーならどんな技をやったってかまわないし。ただそれを自然に見せることが大切なんだ。スタントショーじゃないんだから。僕はそういうのを見たいときは別にプロレスじゃなく、シルク・ド・ソレイユとか、すべてがあらかじめ台本通りに進むものを観に行くよ。僕はプロレスでは、2人のアスリートが必死で戦うところを見たいんだ。結果が決まっているものを見ているという事実を、思わず忘れさせてくれるようなもの、あたかも本当の戦いを見ているかのように思わせてくれるものを見たいんだ」
―サスペンション・オブ・ディスビリーフ(虚構への疑念をその場では忘れること)を持たせることが大切ってことですね。
サスペンション・オブ・ディスビリーフ。
Suspension of Disbelief
(虚構への疑念をその場では忘れること)
実はこの言葉、聞いたのは初めてではない。
『週刊プロレス』のあの人気連載「ボーイズはボーイズ」が、ついに単行本化!「プロレスが大好きな人は、みんな、“プロレスラー”である」。そんな素敵な序文が始まる、ファン垂涎の一冊。
「プロレスは人生の縮図」(武藤敬司)という言葉のとおり、60人超のプロレスラーたちのリアルな生き様を、ときにおかしく、ときに切なく、つづっている。20年以上にわたって選手の一番近くで見続けてきた著者だからこそ描けた、プロレス本の最高傑作!
を読んでいたところ、この言葉を紹介されていた。
フミサイトー氏にそれを語ったのは、テキサスの生ける伝説、テリー・ファンクである。
…テリーは、プロレスとかかわっていくうえでいちばん大切なことは
"サスペンション・オブ・ディスビリーフ Suspension of Disblief"
であると力説する。これはひじょうに日本語に訳しにくい表現である。
サスペンションはぶら下げること、ぶら下がっている状態、保留、延期、(略)一時的中止、停止、休止を意味する名詞で、動詞形はsuspend。ディスビリーフは信じないこと、不信、疑惑、懐疑、怪しむこと。
19世紀のイギリスの詩人・哲学者サミュエル・テイラー・コールリッジの”ウィリング・サスペンション・オブ・ディスビリーフ”という有名な言葉は、日本では一般的に”(小説などの)虚構を信じること”と訳されている。これ以外に翻訳のしようがなかったのかもしれない。
テリーの口ぐせの”サスペンション・オブ・ディスビリーフ ”をやや強引に日常語としてのニュアンスに変換すると、「信じない心、懐疑的な気持ち、疑問に一時停止のボタンを押すこと」となる。
もっとわかりやすくいえば、ほんのしばらくのあいだ、疑いや先入観をすててリングの上を眺めてみること。そうすると、いまそこにあるプロレスと自分の関係がはっきりとみえてくる。
(P55-56)
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味わい深いことばだが、
ジョシュと堀内氏の間で、リコシェvsオスプレイに絡んで、なぜこの言葉が出てきたか、その文脈を考えると、またさらに「底が丸見えの底なし沼」たるプロレスの沼は深くなる。
ジョシュがプロレスラーとしてどのていどのパフォーマンスを見せているかはともかくとして、IGFで彼はアントニオ猪木からアドバイスを受けている。
その”猪木イズム”を紹介すると、こういうことだそうだ。
イノキサンが大切にするのは、ものごとを大げさに誇張し過ぎて、バカバカしくしたりしないことなんだよ。リアルな感情、リアルな激しさを、目でストーリーを語って表現するんだ。気持ちやものごとを、一見しても明らかではないように、でも集中してみていればよくわかるような形で魅せるんだ。僕は(プロレスの)試合で攻撃を受けても、腕を空中に放り出してクレイジーな顔を創ったりしない。
そこまで相手の技にセルする(痛がる)ことなく、ダメ―ジを受けたことをリアルに表現するんだ。
なるほど……
連想は次々に飛んで、アメリカでトップを取ったムタこと武藤敬司が、「アメリカンプロレスvsストロングスタイルっていうけど、猪木さんの試合って典型的なアメプロなんだぜ」と暴露?したことがあった。
なるほど、確かに勧善懲悪で無敵のヒーローを演じた猪木のプロレスは、典型的なアメプロだったかもしれない。
ただ、自分は半分わかったようでわからなかったのね。やっぱり何か違うんじゃないか?と。
でも、このジョシュが猪木から教えられたことをまた聞きしてわかった。猪木は確かに、リアクションが当時のアメプロ(フレアーやレイスやテリーを想定されよ)より、自然っぽい感じだったんだよ。特に「痛い、やられた」「スタミナ切れだー」「コノヤロー」的な感情のリアクションにおいて!!
これは「歌舞伎と新劇の違い」っぽいと言ってもいいかもしれない。
2024年のこの書き込みももらっておこう
アントニオ猪木って、試合中の動きだけではなく、こういう「一瞬も目を離さずに敵が持ち上げたロープをくぐってリングに入る=それほど油断のならない強敵だ」という演出や演技の緩急がズバ抜けてるんだよな。まだ何もしてないのに場内が最高潮になる https://t.co/baoT5vXQRf
— CDB@初書籍発売中! (@C4Dbeginner) August 13, 2024
そしてそれを,さらに、さらに突き詰めたのが
「UWF」と言っていいわけで、現在Numberに連載中の「1984年のUWF」は、そういう表題でありつつ第二次UWFとかも書いているが、要はそういうものであったろうし、だからこそ「これが本道なんだ」意識を持つこともできたのではなかろうか。
Uインターでは、自然に見せるために、うっかり当てて勝敗が変わったりしても責任を問われない「当たっちゃったらごめんルール」なるものを導入し、それほど「リアルに見える」技を追及しようとしていた、ともいう。
だからリコシェvsオスプレイは精神的UWF継承者たるジョシュ・バーネットに言わせると
あの2人が相手の技を受けたときに大げさにセルをし過ぎだし、同時に次の展開に進むために全くセルをしなかったりした。そのあたりが過剰すぎるから、2人は振り付けにおける次の展開にすすむための正しいリズムを守り、お互い正しい場所にいようとしていることが丸わかりになってしまったよ(後略)
この苦言を、
さらに言い換えると
『プロレスは結果が決まっているかもしれないが、その決められた「ストーリー」はより自然に語れ。不自然なご都合主義はするな』
とも言えましょう。
ジョシュ理論さらに続き
別にトップロープからムーンソルトをやったって全然かまわないんだ。どうしてそういう攻撃をするのか、っていうのを明らかにすれば話の筋は通る。
お互い空中戦が得意だ、よし、ならば敢えて空中戦を封印して相手の苦手なグラウンドで仕留めてやる、という感じでストーリーを作ったりね。
でもあの試合にはその種のストーリーは全然感じられなかったよ。レスリングという点では何のストーリーも見えなかった。
実は猪木の究極のライバル・ジャイアント馬場も、そういう点での「ストーリー」の重要さを…どこで語ってたのかなあ。
「ダメなプロレスは、足を攻撃したら次は腕、とかそういうふうにつながりがないことだ。足を攻めた、相手はダメージを受けた、ならそこを集中して攻めてやる。こっちはその痛めた足をかばってこんなふうに防御して…みたいに、ちゃんと理屈が通っていなければいけない」
こんなふうなことを言ってたのですよ、
おもに「怪物」になる前のジャンボ鶴田への苦言として(笑)
攻防や勝敗の結果に「ストーリー」(理由付け)が必要だ、というのは、別の水脈である梶原一騎劇画にもあると思う。
で、これはホントーにリアルというわけでもなく、実際の現実世界においては格闘技や野球などのスポーツも、政治や経済も「なんかよくわからんけど、やってみたら弱い方が勝っちゃった」みたいな話ってあると思う。ラッキーパンチとかまぐれ当たりとかね。
でも、逆に格闘技漫画で
「A対Bの死闘!…理由は無いけどたまたま先にパンチが当たったのがAなので、Aが勝った!」
なんてのを書いたら、読者アンケートでも編集者のチェックでも「死ね」と言われるよね(笑)。
梶原一騎作品は、まさにそういう
「勝敗の理屈付け」が、過剰なまでに筋道を立てて
展開されているのが…残酷なる魅力!!
お疑いの向きは、「空手バカ一代」冒頭シーンで、拳でなく手首の骨を相手に当てる「弧拳」を、なぜその場で使ったかの理屈付け…
ここをご参照されたい…って、説明文まで梶原調になるこたねえやな(笑)
http://blogs.masoyama.net/?cid=8
…ニューヨークはスパニッシュ・ハーレムでの出来事から。
これは1968年に出版された「世界ケンカ旅行」にある、マージョリ・ドースンの弟、トミーが女絡みのトラブルで巻き込まれたところを、大山倍達が救出に行くというエピソードを漫画化したものです。 無論、こんな個人的な話に証拠がある訳が無く、真偽は不明。 しかし実は「呼び出された」、「刃物で斬りかかって来る」、「左太腿を切られた」というシチュエーションは別のエピソードで見る事が・・・・・・・
という、不世出の「大傑作」がリングで描かれたこのアンドレvsハンセン…ですが、”作者”の一員でもあるミスター高橋にはやや悔いが残る部分があるそうで。
本当は、あのアンドレ暴走の反則負けというのは
・アンドレ「ちくしょう!ハンセンのやつ、たぶんあのサポーターでラリアットの威力を倍増させてるな?」
・マネジャー「ボス、あんたもサポーターをどうぞ…ハイ」
・ミスター高橋「まて!! ハンセンは試合前から着用して、俺のチェックも受けたから許されるが、君は試合途中からなので、そのサポーターの着用はダメだ!」
・アンドレ「な、なんだと?あっちも着けてるじゃねえか!」
・ミスター高橋「それはルール上、そうなっていて…」
・アンドレ「ごちゃごちゃうるせえ!!!(ブチ切れ)」⇒反則暴走、レフェリーKO
という「ストーリー」に沿っていた。だが、リング上でのジェスチャーだけでは、この細かいルールに沿った物語の進行を超満員の観客にもお茶の間にも届けられず、それが残念だったという。
唐突に方向転換。この『サスペンション・オブ・ディスビリーフ』は、ゴジラでもガンダムでも、キン肉マンでもセガール映画でも同じではありましょう…が
『サスペンション・オブ・ディスビリーフ』…ええいめんどい!以下「SOD」と表記。
SODとは、本来はあり得そうもない、という疑いやシラケを、力技でいったん観衆に停止させ、力づくで陶酔させる…ということならば、猪木がジョシュに伝えたような「リアルに見せる工夫」は確かにその有効な手段。
そしてシン・ゴジラの、いかにもお役所的な対策会議の名称付けや、形式的な報告がならぶ会議も、実際の自衛隊の装備が登場する作戦やその攻撃手続きのディテールも、こういう猪木的なアプローチで成功したもののひとつなのだろう。
ただ、リコシェやオスプレイのために弁じるなら、それは唯一のアプローチではなく、世界を文字通りどよめかせた、ど派手な空中戦が…それが不自然であることがわかっても、それ自体で「SOD」を引き起こすことも十分あり得るのではないか。
これは、自分は90年代、スーパーJカップの流れで新日ジュニアで、5対5のタッグマッチとかが組まれると、その10人のうち、最初にリングに落とされた選手を除く9人が次々と、その前に場外ダイブ攻撃をした選手めがけて華麗なダイブ攻撃をつなげる、というムーブを見たときに感じました。
個人的には、
「すげー!!」
と素直に思う心と、
「いや…でもこんなシチュエーション、いくら何でも不自然すぎるぞ」
と思う心…やはり昭和の老害か、どうだったろうな、45%―55%の割合で、後者のほうがまさってたという気がするが、前者100%のプロレスファンも確かにいたであろう。
そういうファンにとっては、ジョシュがいうところの
フラフラしながら、相手が仕掛けてくる必殺技の方に向かって自分から歩いていったのが丸わかりだったよ。オスプレイが必殺技を相手に見舞うというよりね。あれを見たら、なんでそうなるんだ?最初から振り付けが決まっているからだって思うだろう
というのも野暮な話となり、やはりそれ自体、その「相手が自分から歩いてくる」からこそ可能なスーパーな空中技こそが「SOD」だということになるわけですよね。
キン肉マンにおける
http://www.geocities.jp/ceratopism/Robin_Mask4.html
エアプレン・スピンから始まるあの技の序曲(プレリュード)!
そうだ、ロビン・スペシャルだぁ!
相手をぶん投げ・・・自らも追う・・・相手を落下速度で追い越さんとする。ここでロビン・マスク、ネプチューンマンにニュートンもビックリの返し技を喰らう。
ネプに鋼鉄の鎧を剥ぎ取られ、鎧の重みが加わったネプに落下速度で追い越される!
あるいは
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%9E%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96
にはさんざん文句を言ったが(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111126/p2)いまにして冷静に評価すればやはりこれも十分に「SOD」であったというべきだろう。当時の自分は例外的少数派だったと言わざるを得ん。
緻密な科学考証で、いかにもな物理的理由をつけるのもSODだが、あんなんでも逆方向からSODなのだ。
実際のアクションで生まれるものとは別に、
かっこいいポーズ、アングルや衣装に拘るのもこれまたSOD効果は十分ある。
ドリフターズの豊久の構えが「担肩刀勢」という構えとそっくり→偶然でした - Togetterまとめ http://togetter.com/li/939556
「対談 秘伝剣術 極意刀術」(BAB出版)なる本を読んでたら、笹の葉隠れという構えと、倭寇が使った担肩刀勢という構えが紹介されてて、実用性はともかくこれ超カッコいいな!でもこれどこかで見たことあるな!と思ったらヒラコー先生だった。 pic.twitter.com/AKC1g8Reut
— Nirone (@Via_Nirone7) 2016年2月16日
平野耕太 @hiranokohta 2016-02-17 22:02:01
全く意図しておりませんでした>RT
平野耕太 @hiranokohta 2016-02-17 22:03:43
刀をかつぐとかっこいい、と、「203高地」のあおい輝彦が言っていたので(言ってません)何となくそんな感じで、という・・・ pic.twitter.com/Nph6Gx6qeA平野耕太 @hiranokohta 2016-02-17 22:05:35
いやいやまて、いやまて、ちゃんとそういう武道とかの剣術とかの文献的な奴を調べて、描いたという、ていのほうがかっこいい
そうだそうしよう
拳銃を横向きにして撃ったりとか、
ハトがばーっと飛びたつのもSODではなかろうか。
アニメ・漫画でこれだけは見過ごせない銃の間違い 有名な間違い編 - 火薬と鋼 (id:machida77) http://d.hatena.ne.jp/machida77/20090104/p1
システマの拳銃横撃ちテクニック - 火薬と鋼 (id:machida77) http://d.hatena.ne.jp/machida77/20140324/p1
どうして銃を横に向けて構えるの? - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2142557841068601201