INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「スタンディングオベーション」と「ブーイング」、日本に定着した時期は?「〇〇コール」の抑揚の由来は?【日曜民俗学】

首相の呼びかけで自民議員が起立・拍手 衆院議長は注意
http://www.asahi.com/articles/ASJ9V5K7MJ9VUTFK012.html
 安倍晋三首相が26日の衆院本会議で行った所信表明演説で、領土や領海、領空の警備に当たっている海上保安庁、警察、自衛隊をたたえた際、安倍氏に促された自民党の議員たちが一斉に立ち上がって手をたたき続けたため、約10秒間、演説が中断した。大島理森議長は「ご着席下さい」と議員らを注意した。

馬場・維新幹事長「自民党議員全員の拍手、異常な光景」
 安倍氏は演説で「現場では夜を徹し、今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている」と強調。「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけた。これに自民議員らが呼応して起立。安倍首相も壇上で拍手をした。

 安倍氏と自民議員らの行動について、民進党幹部は「品がない。国会のルールを無視した最悪のパフォーマンス」と批判。日本維新の会馬場伸幸幹事長は「ちょっと異常な光景だ。落ち着いて真摯(しんし)に議論をしあうという状況ではなく、自画自賛をするためにやっていると、言論の府ではなくなってしまう」と懸念を示した。生活の党の小沢一郎代表は「異様な光景だ。今までも日本の議会では見られないと思うし、北朝鮮中国共産党大会みたいなアレで、ちょっとますます不安に感じた」と語った。


この記事のブクマもおおにぎわい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJ9V5K7MJ9VUTFK012.html

さっそくtogetterまとめも作った。

「2016.09/26 衆院本会議・所信表明演説での拍手」をめぐる賛否両論 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/1029469

んで、その是非は盛り上がっているので他に任せるとして「スタンディングオベーション」について

民俗学的興味というとアレだが、そもそも「拍手の時に立ち上がると、一段上の敬意を示す」というのが一般化したのっていつでしょう?
スタンディングオベーションという英語でないと表せないことから、「日本では」最近導入された気がする。実感としても80年代…いや90年代でもまだだったような気がするなあ。
と思う。「ブーイング」も90年代に一般化したもので、その前は「カエレコール」だったはずだ(プロレスの例)


でも、欧米の文化を知っている人には常識だったとも思うな。クラシックコンサートの場とかは80年代は縁がなかったからしらんのだが、そういうところでは一般的だったりしていたのかもしれない。
こういうときは、検索などによって「スタンディングオベーション」とか「立ち上がって拍手」とかが出てくる記事を遡り、そこから探すというのが一番いい手な気がする。
だがまぁ、やらない。
皆さんは個人史として「立ち上がって拍手するというのは、ただの拍手よりもう一段高い称賛・敬意を示す」というのを知ったのはいつ頃ですか??


「ブーイング」が日本に定着したのは1990年代前半である!!(プロレス限定)

 
自分はコドモゴコロにこれを見て「ブーイングってなんだ?」「なんで豚みたいにこいつらはぶうぶう言っているの?」と悩んだもんだった。
たしか親に「ブーイングってなに?」と聞いたが、親もしらなかったなあ。
まあ、これはすべて私がものしらずだっただけかもしれない。

ただし、当時の日本には「ブーイング」に相当するものが、別の形で存在していたのだっ。

そう、「カエレコール」である。
一説には、ラッシャー木村を総帥とする国際はぐれ軍団が新日本参戦を表明したとき、選民意識と排外主義に染まった新日本プロレスのファンたちが、自然発生的に生んだともいわれる…が、まあそんな特定ができるとも思えないし、俗説であろうか。いや、しかしあり得るかもしれないな…。


追記 学生運動由来説。


ともかくカエレコールは完全に定着し、ブーイングなど入り込む余地は無かった。
マシン軍団を率いた若松市政は自らのコスチュームに「KA E RE」を縫い付け「俺様こそは、カエレKAEREのワカマツさまよ!」と名乗っていた(…と、「プロレススターウォーズ」にある。)

(この背中に「KAERE」の文字がある)

コメント欄より

Poet 2016/09/27 10:19
自分も「カエレコール」を初めて聞いたのは、国際はぐれ軍団だった気がします。
マクロスでカイフン兄さんが軍隊にカエレコールをしていたのは1983年で、ちょっと後か。
ライブやコンサートで観客が立つのは、多分、大昔からあっただろうけど、クラシック以外では、拍手だけというお行儀のよさはなかったでしょうね。
1986年に行った谷山浩子のコンサートで、「私のところでは、みんな立ち上がったりしなくていいですよ。ファッショみたいだって抵抗がある人もいるでしょ?」とか言ってました。


これがいつブーイングになったのか? だいたいでいうと「田上明がメインイベンターになりかけのころ」。
そして最初は、ネタ半分だったのですな。

だいたい、経緯はこのヤフー知恵袋にかいてあった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1132912091
Q:昔の全日本プロレスの映像を見てたら、パンチパーマの田上明が観客から大ブーイングを浴びていました。昔の田上社長ってヒールだったのですか?




ベストアンサーに選ばれた回答
yamennnamannさん 2009/11/1315:25:38
田上って動きがとろいというかもっさりしてるというか。今ではダイナミックTとか田上火山なんていわれてたけど、その昔、鶴田や他の四天王に比べて田上が出てくると試合の流れが微妙に変わってました。一つランクが落ちる感じ。
鶴田とタッグ組んでるときもやられっぱなしで不甲斐なかったんですね。
最初はしっかりやれよ、みたいな意味でブーイングされてましたが後にお約束になりました。田上が技をだせばBoo! タッチを受けて出てくるだけでBoo!
落とせコールや重低音ストンピングのような全日本の楽しみ方の一つになっていたので本気でブーイングしてたわけではないのです。

私はあのパーマにBoo!でした。


その後、さらに若手の小橋建太や菊池毅を攻めまくる側になったこともあって、
福沢朗アナは端的に
「強いからブーだ!!!」
と、意味を読み替えて表現。そりゃうまいごまかしだなー、と自分は思ったものでした。


この結果、カエレコールはすっかり廃れ、お約束としても、本気の抗議としてもブーイングが主流となった…はずだが、そうでもない。まだ営々とカエレコールは続いている。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-12105.html

ことしのことだったが、ここで「カエレコール」か「ブーイング」にするか・・・・・・・こういうのはどうやって決まっていくのだろう。


カエレコールはこう形を変えている、ともきく

http://wikiwiki.jp/livejupiter/?%B5%A2%A4%EC%A5%B3%A1%BC%A5%EB
プロ野球の球団を保持する親会社は鉄道系が多かった(特にパリーグの南海・阪急・近鉄西鉄)時代、例に漏れず本拠地は親会社の路線*1沿いに存在していた。
そのため相手チームに対する野次、または自虐として電車に絡めて野次るパターン(電車コール)が生まれ定着した。

近年ではエール交換の関係から相手側の心象に配慮、殆ど行われなくなっている。
例外としてオリックス主催ゲームのうちバファローズ対ホークス戦のみ、お互いに野次を飛ばし合っているようである*2。

例 Edit

(相手チームピッチャー交代時)
「さよなら、さよなら○○(相手のピッチャー名)○○電車で早よ帰れ!」
(相手チームの選手がエラーをした時)
「やった、やった、またやった! ○○やった、またやった! ○○電車で早よ帰れ!」
(チームが勝った時)
「勝った、勝った、また勝った! 弱い○○に、また勝った! ○○電車で早よ帰れ!」
(チームが負けた時)
「負けた、負けた、また負けた! 強い○○に、また負けた! ○○電車で早よ帰ろ!」



また、1992年の高校野球選手権大会・星陵高校対明徳義塾高校の試合で発生した松井秀喜の5打席連続敬遠の際には、第3打席から「弱虫コール」、「卑怯者コール」、「勝負コール」が、試合終了後に観客から勝利校の明徳義塾に対して校歌をかき消さんばかりの「帰れコール」が沸き起こり、敬遠の是非とともに観客のマナー問題として大変な物議を醸した事も有名である*3。

そもそも我々のコールは「イ・ノ・キ!」「マ・エ・ダ!」「ミ・サ・ワ!」「カ・エ・レ!」でも、なぜ「あの抑揚・音程」なのだろう?「U・S・A!」のパクリ?

楽譜に取るとどういう音程になるのかな?
上に挙げたコールの音程ってわかりますよね。「イー ノー(↑) キ!」って感じの。大体三文字が基本形で、「フー ジ ナミ」とか「バ ー バ」とか、ほかの字数はやや変形する。

しかし、「応援」なんて自然発生的で、バラバラであるものが、なぜにこんなに統一され「イノキコール」も「マエダコール」も、安倍首相への「カエレコール」も同じ音程になったのでしょうなあ。
そして「U・S・A!」コールと基本、音程同じですよね??
USAコール発祥の時期なんてとんと調べようがないから、放置するしかないけど…、
「これだけ抑揚が同じなら、どちらかがどちらかに伝播したのだとわしはにらんでおる!!」(宗像教授風)。
そもそも応援文化、チャント文化なんて、日本はアメリカや欧米の後塵を拝するに決まってるんだよ…そうとうにはっちゃけたプロレスや格闘技の会場だって「まるでお通夜だ」とか、逆に「こんなに集中して静かに見てくれるなんて!本当の敬意がある」と戸惑われたり感激されたりするし、映画においてことし「シン・ゴジラ」が「発声可能上映」をやったのは画期的だったが、そもそもアメリカでは場面場面での歓声、拍手、応援が結構ふつうのことだったりするらしいし…(伝聞)


でも「いーけないんだ、いけないんだ」や「・・・ちゃーん、あーそーぼー」みたいな「抑揚のスタンダード」はできやすく、いつしか伝わっていきやすいのかもしれないな。
いや、「自然発生、同時多発」である可能性もあるわけで…



「ブーイング」や「スタンディングオベーション」が(日本の)辞書にいつ載り、どう説明されていくかも材料になるだろう。

http://www.weblio.jp/content/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0
ブーイング [0] 【booing】三省堂 大辞林
音楽会やスポーツで,観客が声を発して不満の意を表すこと。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/190173/meaning/m0u/
音楽会・演劇・競技会などで聴衆・観衆がぶうぶう言って不満や非難を表すこと。また、その声。「―を浴びせる」
出典:デジタル大辞泉

辞書に載っているのはこれだけか、近年収録されたのか、どうか。欧米では普通だったから、昔から載っていてもおかしくないが、最近収録されたというのも自然ではある。


興味深いのはウィキペディアでも「日本では近年広まった」と書かれていることだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0
ブーイング、スタンディングオベーションいずれも欧米圏での風習だが、近年では日本でも普通に見られるようになっている。
いわゆる「帰れコール」もブーイングの一種

スタンディングオベーションは二語だから、ふつうの辞書に載っていないのはしょうがない。ウィキペディアは…

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AA%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
1743年、ロンドンでヘンデルのオラトリオ「メサイア」が時の国王ジョージ2世の前で演奏された際、その中の1曲であるハレルヤ・コーラスを聞き、その素晴らしさに圧倒されたジョージ2世が立ち上がって拍手を送り、その行為に周りの観衆もつられて立ち上がり拍手を送ったことが、スタンディングオベーションの起こりとされる。このように、スタンディングオベーションとは、自らの感動や賞賛の念を素直に表した行為である。
日本では諸外国と比べてあまりスタンディングオベーションは見られないが、日本国外のアーティスト曰く、日本人は大人しく、ライブなどで立ち上がることはあっても、その他の公演でスタンディングオベーションが起こることは殆ど無い。評価していない訳ではなく、立ち上がった際に他者に迷惑を掛けない様に気遣った日本特有の行為である[独自研究?]。

ハレルヤコーラスの逸話は、昔読んだ中学の資料集に載っていた。
ただ「拍手した」とは書いてなく、「以降、ハレルヤコーラスの部分では聴衆が起立する慣例ができた」みたいな話でした。


と、いうわけで、今回あまり説明不要みたいな感じでニュースに登場した「スタンディングオベーション」、その反対のブーイングとも合わせて「気づけば浸透していた」ものでしょうけど、あらためてその歴史をたどってみたら、(個人的には)おもしろうございました。


コメント欄より

nyah 2018/06/18 09:34
ブーイングを日本で初めてテレビ番組内でやったのは、ローラーゲームの司会をやっていたミッキー安川さんだと記憶してます。
当時は、確か自分が小学生だったと思うので、50年から55年前だと。
Wikipediaで、調べたら1968年から70年にテレ東で放送されたとなってました。