ビッグコミックで連載中の、尾瀬あきらの落語漫画「どうらく息子」では、作中で落語のストーリーを劇中劇、漫画として再生する場面が出てきます。
で、今回は上方落語「まめだ」を紹介していましたことよ。
なぜ江戸落語の登場人物がこれをやるのか、というと、ネットで見て感動した二つ目落語家が、師匠にも内緒で大坂まで行って学び、ついに高座にかけた…、ということになっておる。
わし、上方落語にそんなに興味がなかったので、この作品は存在もしりませんでした。
作中の紹介によると、三田純市氏が、米朝のためにかき下ろした作品だということです。
そしてストーリーはウィキペディアにネタバレありで、オチまで描かれている。
wikipedia:まめだ
どうらく息子版の話から、印象的なところを抜き出そう。
これぐらい貼らないと、伝わらないのだ、関係のスジは目をつぶってくれ
そして、ラストの意外にして詩的、絵画的な結末につながる。
あれ? 尾瀬漫画のアレンジ?で、さらに良くなってない???
youtubeでは2本動画があった。
のだが、正直、尾瀬漫画のちょっとしたアレンジは、名人桂米朝の話そのものより、さらに深くいい話になっているように見えるのだ。
まず、息子が親に膏薬を塗ってもらうシーン、これで貝と膏薬の関係が、膏薬なんて知らない若い人にも一発で分かるし、親子の人情や善人ぶり(そこから、子供のたぬきへの聞き手の同情にもつながる)がわかる。
そして、「一銭勘定が合わず、足りない金の代わりにイチョウの葉が入ってる」「子どもがひとつ買いに来た」という話を、この親子「楽しそうに」会話している、ここがアレンジだ。ここ、自分が聞いたバージョンの米朝落語では無い。
たぶん、ここでは「一杯のかけそば」でも使われた「善人がささやかな慈善(サービス)を、困ってる人に、知らないふりしてやってあげる」というニュアンス(明確には言ってない)を漂わせているのだろう。
そして、「勘定が合ってる!」というわらいどころの場面、親子が実に「心配そうに」「慌てている」。小さい子が来なくなったことも米朝落語では「それでええがな、はやく飯にしてえな」と、息子はあまり心配していない…
そして、最後に親子「まめだ」の死に立ち会う。
この場面、特にオチの情景が「絵」で描かれたことは、やはり日本文化の一大財産であろう。
(だからそのコマを画像で紹介するのは自粛した)
「まだこどもの小さい動物と人間」「いたずらによる当初の対立関係」「小動物の買い物」「ひそかに関係がある」…という話は、新美南吉の不朽の名作
「てぶくろを買いに」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/637_13341.html
「ごんぎつね」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/628_14895.html
の世界と、通じるものがあるような気がする。
感動のかなりの部分は尾瀬アレンジの成果かも?という問いも含めて(米朝以外の別バージョンで、これに似た解釈があるのかもしれない)、一読してほしいものです。
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