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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

『古典落語は著作権でなく著作隣接権なので、基本「上演50年」で保護期間が切れる』…えーっ?1965年以前は基本フリー?志ん生も円生も…?

元日は「フリードメイン・デイ」であります。
今年は谷崎潤一郎江戸川乱歩がフリーになり、そして…残念ながらTPPによって、じきに約20年間、この宴は凍結されるであろうということを感じつつ、”最後の?”おまつりを、フリードメイン界隈では楽しみました。

ところでそんな中、当ブログの大晦日記事

いよいよ(著作権上の)「江戸川乱歩・解禁」カウントダウン!プロモーションビデオ作った/ほかの作家や「落語家」はどうかな? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151231/p2

において、こう書いた。

落語家さんの音源は、保護期間70年なんだろうか?

ここに、有名噺家の、生没年一覧があるが…
http://homepage2.nifty.com/Curious-G/starthp/subpage98.html
自分は50年だと思ってたけど、ついこの前、70年になったよね、映画が。
落語の・・・いまは時代の制約上、該当しそうな人物は、せいぜい以前のお粗末な録音機械による音源しかない。50年なら違うんだけどさ…
しかし、70年に映画の保護期間が延長されたのは、2003年の法改正によってだよな・・・落語が映画と同様、と確信する根拠がまだないんだけど、仮にそうだとしても、その前の物故者は50年か…ややこしい。

しかし、コメント欄にて

みちん 2015/12/31 11:20
落語家の場合は新作落語であれば、原著作物として死後50年間の保護。著作権の切れた古典落語であれば、噺家は著作者ではなく実演者ということで、著作隣接権で保護されることになり、保護期間は上演が行われてから50年。一方、落語を録画した映画の著作物は公表後70年ですが、その著作権は映画の著作物の製作者に帰属するものであり、演じた落語家が著作権者とないはず。音源だと著作隣接権のみの上演や録音から50年でフリーとなるのでは。

えええええっ!!
ほんまかいなー!!!

落語ちうのは基本、まず「録音」の壁がある。
気軽にレコードなどに落語を吹き込むようになるには、まず録音技術の発達してからの話で(戦前の録音もあるけど、雑音とか音質は当然ながらね…)、しかも名人は長命の人が多いからね(長命だからこそ、今でも名の知られた名人として活躍する時間があったのだから当然だろう)。


しかし、落語家の古典落語は、著作隣接権なので「上演から50年」となれば、俄然、話がかわってくるがな。

いや、まず、それを確認しよう。
専門家サイトは…著作権情報センター(以下「CRIC」)公益社団法人の見解は以下の通り。

http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime4.html
著作隣接権の保護期間

実演 実演が行われたときから50年
レコード レコードの発行(発売)が行われたときから50年
放送又は有線放送 放送又は有線放送が行われたときから50年

ん、よくわからないのはその落語をライブでやったのが1950年で、それが1970年にレコードになり、2001年にCDになりました…という場合はどうなんだろうな。
でも、ゆっくりCDにすれば、CDの発売時期から権利が生まれる、なんてことは常識的にあり得ないだろー。やっぱり初演からだよな。


そして1965年より前、志ん生は…

1953年(昭和28年)7月1日 - ラジオ東京と放送専属契約を結ぶ。
1954年(昭和29年)7月1日 - ラジオ東京と放送専属契約を解除し、ニッポン放送と放送専属契約を結ぶ。
1956年(昭和31年)
6月 - 『なめくじ艦隊』発行。
12月 - 芸術祭賞受賞。演目は「お直し」。
1957年(昭和32年
2月 - 落語協会の会長に就任。戦後4人目の会長。
4月 - 次男・強次入門。
1961年(昭和36年)12月15日 - 脳出血で倒れて入院する。
1962年(昭和37年)
3月1日 - 退院。以降、自宅で療養する。
11月11日 - 新宿末廣亭で高座復帰。
1963年(昭和38年)7月 - 落語協会の会長を辞任する。
1964年(昭和39年)
4月 - 『びんぼう自慢』発行。
11月 - 紫綬褒章受章。

円生は…

1953年(昭和28年)7月 - ラジオ東京(現・TBSラジオ&コミュニケーションズ)と専属契約を結ぶ。
1954年(昭和29年)12月 - 本牧亭圓生独演会。以降人形町末廣でも開催し1969年(昭和44年)まで開催。
1957年(昭和32年)3月 - 新宿区柏木(現在の北新宿)に転居。
1959年(昭和34年)6月 - ラジオ東京との専属契約を変更してNHKにも出演する様になる。
1960年(昭和35年
10月 - 芸術座で菊田一夫原作・脚本・演出「がしんたれ」に俳優として出演。
11月 - 「首提灯」で芸術祭文部大臣賞を受賞。
1964年(昭和39年)
3月31日 - 2代目三遊亭百生が死去。
落語協会副会長就任。
1965年(昭和40年)8月 - 落語協会会長就任。副会長は8代目林家正蔵

文楽は…

1953年(昭和28年)出口一雄に請われ、ラジオ東京(現:TBS)と専属契約。
1954年(昭和29年)第9回文部省芸術祭賞受賞(落語家で初めての受賞。演目は「素人鰻」)。
喉のポリープ除去の手術を受ける。そのため、この年以前に収録された口演の音源はこれ以降よりも声の艶が良いと言われている。
1955年(昭和30年) - 落語協会3代目会長就任。(前任は元師匠8代目桂文治)。
1957年(昭和32年落語協会会長職勇退(後任は5代目古今亭志ん生)、最高顧問就任。
芸談『あばらかべっそん』出版。
1961年(昭和36年) - 志ん生、脳溢血に倒れる。この年、文楽は入れ歯を入れたため、以降は声が悪くなったと言われる。
1963年(昭和38年) - 体調が万全でない志ん生に代わり落語協会会長に再度就任。
1965年(昭和40年) - 落語協会会長職勇退(後任は6代目三遊亭圓生)、最高顧問に再度就任。

落語家とラジオ局が専属契約を結んでいた、ラジオ落語の黄金期に演じた噺は、ぜんぶ著作隣接権フリーのコンテンツっぽいじゃん…

いやあ…いきなりそう言われても、「10億円あなたにあげます」といわれたようで、ぴんとこないわ。


というか、ならば今知った俺なんかより、もっと詳しい落語マニアは、すでに動いたりしてない?
志ん生」や「円生」で検索したら、「フリードメイン 志ん生落語」とか出てきたりしない??


なんで、そういうのが無いんだろう…?という一抹の不安を抱きつつ、
「やっちゃっていいの?1965年以前の古典落語音源は、フリードメインとして、自由に何でもやっちゃっていいの?」

と皆さんに聞いておく。
2016年はおずおずと、その方面の活動に足を踏み入れるかもしれない…・・・。

はてブは参考になったのだが…いくつかの新説あり

・落語は話者がアレンジするから「著作権」だよ派
・まくら部分には、著作権があるんだよ派
・実演家の著作隣接権と、レコード製作者の著作隣接権が別になるよ派
・1970年までちがう条文があって、「亡くなってから30年」なんだよ派
(※これでも、要は1985年前に亡くなった人になるから…かなりの名人がフリードメイン?)

id:myrmecoleon 調べたら、1970年の改訂の前の旧著作権法だと実演家は著作者扱いで死後30年の保護だったらしいので、50年以上前でも死後30年たってない落語家の実演はまだ保護されてるらしい。


うん、わかんなくなった(笑)。こうなりゃなぞを提示するだけにするので、結論はどなたか出してくれ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/gryphon/20160104/p3

追記 こんな意見も

「権利の保護期間」の話題に興味がある人は、こちらの記事もご覧ください

ウルトラマン50年。「キャラクター」の保護期間っていつまで?ゴジラも。(個人の創作ではなく組織が創作した時) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160105/p2

ある意味、続編?です。