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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

とり・みき氏が考える「ギャグ」と「コメディ」の違い

上に書いたように、ふだんのPCが使えずに代用でやっていて難しいのは画像の張り付けや検索、リンク張り、などだ。

…だから逆に、その機会を利用して「活字本からの引用」をしておこうと思う。自分、スキャナーとか使わず手打ちでの引用だし。
また、最近ちょっと整理をしたら「あっここにあったか」というなつかし本が出てきたのだ。そこには何度もうろ覚えで引用した話などがあり、それの原文を書いておくと自分もあとあと便利だ。

コメディとギャグはどう違う?とりみき理論

これ、何度かこのブログでは引用していたのだが、原文が「とり・みきの大雑貨事典」に出ていた。

とり・みきの大雑貨事典 (双葉文庫)

とり・みきの大雑貨事典 (双葉文庫)

ギャグ漫画とコメディ漫画の違いはなんだろうと考えたとき、前者は「漫画の文法や約束ごとをも笑いの対象にしている」ことがあげられると思う。換言すれば「作中人物が、フキダシもバックもベタもコマ割りも、そして自分もひとつの記号にすぎないと認識している」のがギャグ漫画なのである。
もっとわかりやすくいえば、コメディやストーリー漫画の登場人物は、手足がバラバラになってまた復活したり、コマやフキダシを破いたり、いきなり作中に登場した作者と話したりはしない。
この手のギャグを、私は漫画をかきはじめた頃、まったく無意識のうちに多用し、しょっちゅう編集者から注意を受けていた。私がこれこそがギャグ漫画の、いや漫画のもっとも面白い要素だ、と固く信じていた、まさにその部分を、彼らは「単なる楽屋落ち」「アマチュアリズム」「内輪受け」などと呼んで嫌った。私は本当に驚いたのを覚えている。
なぜなら私に彼らのいう「楽屋落ち」を多用させた人物こそ、他ならぬ戦後漫画の創始者手塚治虫だったからだ。彼は自らが確立したそのスタイルを、だからこそ単なる記号に過ぎぬともっとも認識していた漫画家だった…(後略)

この本は「モノ」を事典風に紹介する見出しからエッセイを書くという形式で、手塚治虫のなかで一冊をあげるならやはりこれ、と言って「大洪水時代」を紹介するなかでの文章だ。
単行本は1993年に発売されたから、手塚が1989年に亡くなってほんの数年のときの文章であった。
このギャグとコメディの違いに関する定義、自分は「SKET DANCE」に出てくる、漫画家志望で漫画好きが高じた結果、作中でこの「マンガ文法」を自由自在に操れるようになったある意味最強の存在であるマロン先生を見るたびに思い出していたのである。