実は読書週間に合わせて、やってみたいこと、書きたい企画がいっぱいあったねん。
だけど既報の通り、ふだん使っているパソコンが使えずに代用手段で書いているので基本的なことはできるが、検索、画像張り付け、タグなどもろもろのことが非常にやりにくい。
それなので、以前「読書週間」の際に書いたことを再掲載することにしました。
読書週間の歴史
http://www.dokusyo.or.jp/jigyo/jigyo.htm終戦まもない1947年(昭和22)年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日〜11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。
そして『読書週間』は、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。
いま、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは、大きく変容しようとしています。しかし、その使い手が人間であるかぎり、その本体の人間性を育て、かたちづくるのに、「本」が重要な役割を果たすことはかわりありません。
暮らしのスタイルに、人生設計のなかに、新しい感覚での「本とのつきあい方」をとりいれていきませんか。『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。
ただ、今の読書週間になる前に1924年からはじまっていたそうで、そうするとことし(※最初に書いたときの年)は90周年となるそうな。
1924年に日本図書館協会が11月17日から11月23日までの「図書週間」を制定していた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E9%80%B1%E9%96%93
自分は「読書そのもの」に関してのことを、いろいろと書いてみたいと思っているし書いてもいるのだが、なんかメタになるので論じにくいな。ただいわゆる、このブログで擬似タグにしている【記録する者たち】の一つだと思っている。読書という行動も、読者という人も。
さて、それはそれで…。
表題にあるように、更級日記の作者・菅原孝標女さんは、読書週間のイメージキャラクター足りえるのではないか、と思っている。
このまとめがつくられた時は、先を越されたんでくやしかったねえ(笑)。
菅原孝標女のオタクっぷりまとめ - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2137773897344928501
このまとめを受けてだったか、twitterで一ヵ月後ぐらいに話題になったので、そのツイートはまとめておいたんだっけ。
平安のオタク物語 「更級日記」、そして源氏物語評価をめぐる”オタ論争”? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/563410
自分の家には(今はどこにあるかわからんが)NHKだったかな?
そこがふつーに、コミカライズしていたんだよな。
あ、やっぱりNHKだ
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ただ、ことし古典になっているのかな?
そして読売新聞「編集手帳」のコラムはしばしば…やっぱり現代的な感覚の少女として更級日記を紹介してたのである。ある意味準レギュラーで、このコラム子が「物語」の意味や楽しさ、読書の魅力を語るとき、何度も更級日記を引用しているのである。
たまたま、画像を保存している一編の、それも断片しかいまは紹介できないが、機会あれば編集手帳をまとめて再読し「更級日記」に関して触れたコラムをまとめて紹介したいもの。
※あとで、
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20141111/p4
にて紹介しました。
読売新聞「編集手帳」何年か前の10月4日付
夢にまで見た「源氏物語」五十余帖をようやく手に入れた。
「后(きさき)の位も何にかはせむ」。
何物にも代えがたい幸福感を、菅原孝(たか)標(すえ)女(のむすめ)は「更級日記」にそう記している
◆「昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり灯を近くともして」読みふける。自分はまだ器量もわるいが、いずれ女の盛りになれば「夕顔」や「浮舟」の女君のように…。
物語の世界に我が身を重ね、空想にふける乙女心がほほえましい
◆知識を蓄え、言葉を磨き、自分を見つめ直して…と、読書の効用は様々に語られる。
そう堅苦しく論じるまでもあるまい。平安時代の十三歳の少女が書き留めた、ぞくぞくするような胸の高鳴りこそが、何にも増しての醍醐味(だいごみ)だろう
◆ひと月に一冊も本を読まなかった児童生徒が小学校で10%、中学校で44%、
高校では67%もいた。
全国学校図書館協議会の昨年五月の調査である。活字離れが止まらない
<中略>
◆江戸幕末の歌人、橘(たちばなの)曙(あけ)覧(み)に読書の歌がある。「たのしみは そぞろ読みゆく書(ふみ)の中に 我とひとしき人を見し時」。秋の夜長に書物を開き、もう一人の自分に出会う人もいるだろう。
ただ…、菅原孝標女および「更級日記」って、「本を読んで物語の世界に遊び、教養をつけたので幸せになれました!!」って話じゃ全然ないんだよな(笑)。というかむしろ、その正反対(笑)。
それは時代の制約であったようでもあり、時代を超えて普遍的なもののようでもある(笑)。
だが、そんな不幸せも上等で耽溺する、堕ちていくのが読書ってモンだ、という開き直りの書としてむしろ読みたい(笑)。
どこが読書週間のイメージキャラクターなんだ(笑)。
むかしはある意味で、突飛な結び付け方だったのかもだけど、2014年の今となっては、「菅原孝標女 オタク」や「更級日記 オタク」という見立てはふつーのものになりつつあるね。
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https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sarasina2/1000kinenn_1.html
菅原孝標女生誕1000年記念特集
更級日記座談会 第1回 『更級日記』と上総
http://www.bb.banban.jp/s_3leaf-clover81/kobun.html#genjino
……源氏物語の「若紫」の巻を見て、その続きを読みたく思うが、家族はみんなまだ都になれていない頃なので、人にお願いすることもできず、自分で見つけてくることもできない。
とてもじれったく、読みたくてたまらないので、「源氏物語を第一巻からすべて読ませてください。」と心の中で祈る。母親が太秦(うずまさ)の寺にこもっていた時、私も母と一緒にいたのだが、このことだけをお祈りして…
(略)
私のおばにあたる人の所に行く機会があった。おばは、「とてもかわいく大きくなったわねぇ」などとほめてくれ、私の帰りぎわ、「何かおみやげにあげようと思うのだけど、実用的なものはあんまりでしょう? あなたがほしがっていると聞いているものをあげましょう。」といって、源氏物語の五十余巻が木箱に…(略)…それをもらって帰る気持ちのうれしいことといったらない。
今まで少しずつ断片的に読むだけで前後のつながりがわからずじれったく思っていた源氏物語を、胸をどきどきさせながら、第一巻から、人も入れず几帳の奥で横になって、何度も何度も引き出しては読む心地といったらもう、誰もがうらやむ皇后の位でさえ眼中にないほど……
(略)
源氏物語のことだけで頭の中がいっぱいで、「今は見かけもよくないけど、年ごろになったら超美人になって髪の毛もとても長くなるだろう。そして、光源氏に愛された夕顔の君や、宇治の大将、薫に愛された浮舟の君のようになるだろう。」などと考えていた心は、いやもう実に幼く、あきれたものだった。ああ、恥ずかしいこと‥