元はtwitterで書いたものをまとめた。一部増補。
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twitterで書籍紹介、一冊やっておきたい。
「吉田神道の四百年 神と葵の近世史」 井上智勝
- 作者: 井上智勝
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/01/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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まず、過去のブログ記事を紹介します。
「ご神体の霊言」(笑)…「霊が、引っ越してきたよと言ったんだ!」と言い張りゃ、言ったもん勝ちかも。 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140814/p4
そのもととなった、怪人アリャマタこと荒俣宏の書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000012.html
吉田神道の四百年 神と葵の近世史 [著]井上智勝
[評者]荒俣宏(作家) [掲載]2013年03月10日
■神使いの「仁義なき戦い」
…応仁の乱にともなう社会の混乱を利して、日本中の神を統率する「神使いの覇者」を目指した吉田兼倶(かねとも)の野望にあった。この人、社会と人心の荒廃に嫌気のさした伊勢のご神体が「神宮を抜け出して吉田神社の斎場所に飛び移ってきた」と称し、伊勢の権威を奪い取ってしまう…
この書評を前提にしつつ。
実際に読んでみると、神道の…というか、宗教がやっぱり「言ったもん勝ち」の世界だなあ、という点にほとほと感心させられる(笑)。特に神道はキリスト教ほど神学がきっちり論争されてないし(大まかには)異端審問や宗教戦争といったほどには陰惨でなかったから、そのまぬけさが笑って読める(笑)
既に応仁の乱で國が荒れた1489年11月19日、吉田兼倶というハッタリに満ちた神官に、後土御門天皇がとあるお墨付きを与える。「お伊勢さんのご神体が、吉田の心斎場に飛んできたぞよ」。ミカドは騙されたか、何かの陰謀に荷担したかは不明…だがこれで、あっさり吉田家が神道の頂点に立つ(笑)
吉田兼倶がそうまで勢威を持ち得た理由のひとつは、自分の神道は「元本宗源神道」であり、あいつらの「本迹縁起」「両部習合」神道より上であると、そういう俺TUEEEE設定をしたからだった。仏教に汚染されていない、まじりけなしのピュアモルト神道…根拠はしらん(笑)
この時代、司馬遼太郎が書くほどには、日本の民はルネサンス的でも合理的でもない。神仏をみな、まあ信じていた。だが…信じ方がちょっと不真面目になった感はある(笑)
簡単にいうと、神道の頂点に立った吉田氏に、各地の村々の住民が使いを送る。その理由は
「氏神様が村から2kmも離れてて歩くと疲れるので移転を」…。
「この地には、ゴマを作るべからずという禁忌(御嫌物)がありますが、高く売れるので作りたいと思います。その解除を」
「山伏を殺して金品を奪ったあとお祀りしたんですがやっぱり祟ります。何とかして」(横溝か!)
そして
「隣の村は『権現』なので、うちの村の氏神も負けない称号を」……ご都合主義すぎてふるえる要望ばかりだが、吉田神道はこれらの望みを丁寧に、金次第でこたえてくれる…神道界のブラックジャックだった(笑)。
依頼主には大物もいて、豊臣秀吉も神になることを希望。しかし「人が神になるには『怨霊』が原則」…。だが、それを芸術的に解決し、後年に影響を与える。
しかし豊臣⇒徳川の政権交替は、神の世界にも影響を与え、特に吉田にもおとらぬアヤシイ宗教家の天海が「権現か明神か」で、またも「言ったもん勝ち」をやりはじめる。吉田の設定だった大明神>権現を、アニメ化に当たって(ちがう)権現=大明神とし、実際に天下人・徳川家康が大権現になったのだから。
吉田神道はこの時、あからさまにおちぶれた。(ちなみに天海の議論は「山王一実神道」)
しかし、吉田神道は「一子相伝だった秘儀の高弟への伝授」などを武器に復活の時を伺う。その中の弟子には名君・保科正之もいたし、初代水戸藩主もいた。「天地明察」の世界とも重なるんですよ、ちょっと。
ここからの江戸時代の神道統一の動きは、宗教の成熟における必然とも見えるだろうし、地域独自の宗教を破壊した「文化大革命」と否定的にとらえるべきかもしれない(保科正之もこの点からみれば強引な破壊者かもしれない)。
その中で、吉田家は再び村々の鎮守に「正一位」などの位を与え復活する。
またたとえば、神道の神主が儀式の際に色付の着物を着るのは、吉田家から許可を受けた人のみでなければならない。そうでない神主は白い服を着なければならない。そんな利権とかも出てくる。
しかし、そんな中で後継者争い、分派誕生、そしてはるか昔は吉田家と同格だった神道家の復権…などが相次ぎ、神道界は、吉田家だけで牛耳れる世界ではなくなってきた。
冒頭に出たように、勝手に「ご神体が移動した」とさせられた伊勢神宮の神官は吉田兼倶を「神敵」と呼び、豊富な資料を持ち出して吉田家の主張で事実と違うところを考証していく(「神敵吉田兼倶謀計記」)
それを、学問好きの初代藩主・徳川義直の名古屋藩で花開いた古典考証の学派が継承し、広く広めていく…
(江戸時代初期の名古屋藩の「学問好き」はもっと調べたいところ。水戸藩にさきがけ、また水戸藩より学問的だったようだ)
その中でも面白いのは、「なんでそもそも吉田家が位を与えることができるんだ?」という問いが発せられた時の議論の展開だ。
「人に対してであれ、神に対してであれ、位階を授与するのは天皇だ。(略)吉田家の虚構が暴露されていくに従い、このような弁解も、疑いの目で見られるように…」(同書)
参考として、この話をご参照ください。↓幼い昭和天皇がカエルに「正一位蛙大明神」の神号を与えた話はやっぱりすごい。本日「昭和の日」。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/2015049/p3…
実は吉田家、この問いにはちゃんと答えを用意してた。
「いや、神様は前からその位を持ってるんです。ウチはその位を『確認』して証明を発行してるだけなんですハイ」
しかし、ライバルの関白一条兼香が致命的なツッコミを放つ!
「へーそっか。じゃあ現在の神の位、一覧にして提出してや」
なんと!!!これにて、脳内設定(と、依頼主の報酬)次第で神様に位を与える吉田家のビジネスは終わりを告げる。ちなみに正一位稲荷大明神は、その地域の氏神を勝手に昇格できなくなった代わりに、位の高い伏見稲荷の分霊を勧請することがブームになったゆえだとか。果てしない設定競争は続くのである(笑)
日本には幸い、アメリカや中東の原理主義者レベルで神道の神の実在や、この「神学」を信じている勢力は皆無といってよさそう。
その隙をついて、井上氏はとても軽妙に歴史を切り取っていく。そのへん紹介し切れなかったが、ものの描写や評価をするときの視点も、その文体も実にユーモラスで、その部分での評価だけでも最高級に評価できる。
文章が面白すぎて「東大教授の皮をかぶった講談師」と私が褒めている山内昌之氏や御厨貴を、もっとお笑い系にしたレベルだ。歴史上の人物の主張を再現する時、わざわざ大阪弁や広島弁を使うし。
そういう点でも楽しい本でした。(了)