自分は歴史書やノンフィクションで、世相などを象徴させるために紹介される時事的な歌や詩、川柳などが大好きで、それを保存するようにしている。
アラブの春は、宗教勢力の反動を呼び、中東は未曾有の混乱に陥った。“あの「革命」は徒労だったのか?” ムバラク政権崩壊から三年。人気の絶えた広場に再び降り立ち、革命の意味を模索しながら無残な失敗とも思える出来事について考察する。著者の堪能なアラビア語は、人々の本音を次々と引き出す。ジャスミン革命と紫陽花革命の比較等、3.11後の日本を考える上で示唆的な内容も含む。第12回開高健ノンフィクション賞受賞作。ジャスミンの残り香 ――「アラブの春」が変えたもの (集英社単行本)
- 作者: 田原牧
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/11/26
- メディア: Kindle版
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という本には、普通のルートなら決して日本では紹介されないであろう、アラブにおける時事的なソング、ある意味で「革命歌」といっていいような歌が多数翻訳されて、概要が紹介されている。
それだけでも資料的価値が高い。
「ある人々は踊り、他の人々は死んでいく。そしてパーティで聞こえる最も大きな声は沈黙だ」
「君の場にとどまれ 恐怖は君におののき、良心は裏切らない」
「健やかになりたいのなら 声をからすことを恐れるな」
この本自体はときどき
自分は周回遅れの学生運動に関わっていた。正確にいえば高校1年の時から新左翼系の運動に加わっていた。当時の新左翼運動はいまどきのサヨクのイメージとは随分違っていて、運動の盛りをすぎた分、先鋭化した爆弾テロや陰惨な内ゲバに明け暮れていた。ご多分にもれず、自分も大学で大手の政治セクトとののっぴきならない対立に巻き込まれ、運動から離れた (P27)
とか、とんでもない記述が書かれていてちょっとこっちが緊張するが。
反原発デモの「ぬるさ」をこう批判したりとか…
…デモは常に暴徒になりうる可能性を含んでいるからこそ、警告たりうる。そうした古典的な解釈が身体に染み付いているたぴの人間たちにとって、警察の過剰警備に文句一つ言わない「お焼香デモ」への参加は次第に難行でしかなくなっていた。
あと、ちょっと面白かったシーンとしては、シリア入国のためのビザを取るために悪戦苦闘しているとき、現地の「元帥」のコネが使えそうだということになり、あちらからの条件は「盆栽を持ってこられますか」だったという挿話。その元帥は、シリアの外相から日本政府から贈られた盆栽を自慢されてくやしかったので、自分も手に入れようとしたんだとか。ドラえもんののび太か(笑)
もうひとつ、1999年にPELPの伝説的な議長ハバシュと会見したときの思いで話も面白かった。もう、PELPにニュース価値はないので外国記者がめっきり訪れなくなっていたその時、筆者は側近から「ハバシュ翁を励ますために取材してよ」と頼まれたんだそうだ。
で、しかたなく、どうでもいいことを語るハバシュにお付き合いして「取材」したら、ハバシュは「ノートとペンでメモするだけか。なぜ私の一言一句をテープで録音しないのだ」と不満をもらした、というね…
なんかこういう人間くささも、アラブというなじみのない文化圏の人々も、同じ「人間の原理」で動いているのだなあと感心させられたところだった。