昨日は「興亡の日本史」というシリーズの一冊を紹介したが、今回は「日本の近代」シリーズ。それもその「付録」である。16巻「日本の内と外」。

- 作者: 伊藤隆
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/02/01
- メディア: ハードカバー
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ここに付録として、16巻を執筆した伊藤隆氏と作家・上坂冬子の対談がある。
ここで、重光葵の話が出てきて、上坂氏が、大東亜会議での重光の位置はどのようなものだったのでしょう?と問うと、伊藤氏はこう答える。
伊藤 重光はナチスとの提携などに反対していましたし、ましてや共産主義者と手をつなぐなどとんでもないと考えていました。彼がイギリス大使だったころ、ロンドンから「三国同盟などもってのほかだ」という電報を打っています。
重光は昭和18年に東條英機改造内閣の外相に就任しますが、もう戦争はやめることができる状態にない。「やめます」といったところで相手側は「無条件降伏」を求めているのですから。それで重光は負けることが必至であるとすれば、せめて日本の歴史的立場を明確にしなければならないと考え、大東亜会議を開催し「アジア解放」を高らかに歌い上げたのです。その後、重光は木戸幸一らと終戦工作に乗り出しています
上坂 (略)断末魔の叫びを挙げているように表向きは見えるのですが、重光にとっては深い考えの置き土産だったのですね。
伊藤 ええ。重光は戦争に勝てるなどと思っているわけではありませんから、あくまで大東亜会議は、戦後日本が「あの戦いに正当性があるのだ」というための置き土産なのです。
…もし伊藤氏の見立てがその通りなら…、すげえなあ、と思う。外交官というのはこうもタチが悪いのか、と(笑)。
・この戦争は負けるな
・じゃあせめて「大義名分」だけは残しておこう。どうせ負けたら実行が問われることはねーし
・タテマエと美辞麗句に沿った「会議」を開催する
こんなの、よっぽどタチの悪い人間じゃないと思いつかないし、思いついても実行しねーよ(笑)
似た例は無いかと考えてみたが、まず近代国家が無条件降伏を前提とするような敗北を間近に控える、という状況があまり無いし、また「大義名分」にそこまでこだわるというのも近代的な…いや、そうでもないかな?
まあ、自分に知識が無いせいだろう、あまり前例的なものは考えつかない。
強いて言えば、90年代初頭の湾岸危機・湾岸戦争の時にフセイン政権が、それまであまり熱心ともいえなかったパレスチナ問題をアピールし始めたのがちょっと似てるかな、という気がする(笑)。
ま、そんなわけで、どうせ負ければその手形は不渡りの空手形になると承知の上で(だからこそ)高い額の小切手にさらさらとサインをした大日本帝国。それに付き合わされる当時のアジア指導者こそいい面の皮だが、そこはキツネとタヌキで、それを分かりつつもアピールの場、まさに(独立の)正当性を構築する場として乗っかった、したたかな指導者もいよう。
そんなことを「重光葵が大東亜会議を開いたのは『どうせ負けなら大義名分を置き土産にしよう』と考えたから」という伊藤氏の見立てでつらつらと思ったのだった。
その置き土産は奏功したのかどうか、こんな本が90年代に出版されていた。

- 作者: 深田祐介
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1994/11
- メディア: 文庫
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