岡崎久彦氏が亡くなった。
安らかなることを。
いい読者ではない…どころか著作は1、2冊ぐらいしか読んだことないかも?でも90年代やゼロ年代にはいろんな討論番組で顔を見ていたな。アングロサクソンとの同盟をかなりみもふたも無く語り、日本保守層の反米保守と親米保守の対立を”可視化”させる効果などもあったかと思う。
ただ、亡くなったこの機に紹介したいのはおのへんの話でなく、読売新聞に今年夏掲載されたインタビュー連載「時代の証言者」である。これのシリーズはまとめると一冊の本になるぐらいの分量で、実際に藤子不二雄A氏の証言は単行本にもなった。
藤子氏インタビュー連載中の僕の感想と、その後の「琥珀色の戯言」の単行本書評を紹介しておきますね。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100709/p8
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110519/p2
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120926#p1
まあ本題に戻ると、とにかくこの「時代の証言者」に今年の夏、岡崎氏が登場していたのです。逝去から考えると、実に貴重な機会であった。
自分はずっと読んでたわけじゃなく、たまたま読んだだけなんだけど「えっ?」と思った記述があったのです。
第18回目の記述。タイトルは
「石油交渉 ソ連に打撃」
いろいろ背景説明は複雑だが、高値で石油価格を維持しようという
サウジの路線がうまくいかなくなり、徐々に安値販売を、特定国に対してやりはじめた。それに対して、日本もその安値販売(ネットバック)に加わりたいとの声があり、当時サウジ大使だった(のかな?)岡崎が、力技で実現させた。
その交渉が1985年にまとまって、メディアに報じられると、なにせ有数の原油消費大国での値引き販売実現だから…
そうしたら、石油価格が1月から毎月1ドルずつ下がって、秋には10ドルを切った。致命的な打撃を受けたのがロシア。そこでペレストロイカが始まった。どうせ石油は下がってソ連は解体したのでしょうが、サウジでの私の仕事がソ連解体のきっかけを作ったと思っています。
私の仕事が世界情勢にわずかでも影響を与えたのは生涯たった一回、これだけですね。
うーん…意外というか、実はこれだけじゃないんだよ。
『ソ連崩壊というのは自由を求める民衆の叫びやら、アメリカ大統領レーガンの指導力というより、石油の市場価格がかなり安くなる「逆オイルショック」が起きたために、実際のところは産油国として生存していたソ連が立ち行かなくなったのが主原因だ。ということは、ソ連を崩壊させたのは増産に踏み切ったサウジアラビアの国王だ』という議論、どこかで耳にしていたのですよ。
さあ…どうなんだろうね。
それを岡崎久彦氏が「サウジと日本の安売り交渉をまとめたのが俺」と誇るのはまあ、ひとつの自慢話として置いとくとしてもね……。
ベルリンの壁などに代表される「自由の勝利」が中東でもっとも宗教的、抑圧的な神秘主義体制に君臨する専制君主の意向ひとつ、原油のバルブを締める広げるに左右されるという仮説は、ひとつの歴史の逆説として、真偽を含めて検証してみたい疑問だ。
ソ連時代の政府内部資料などもいろいろ見られるものもあるだろう。
天下の行方が、関ケ原の合戦のときはたしかに無能で狭量な小早川秀秋に握られた、みたいな話の気もする(笑)
岡崎氏の逝去報道で、そのことを思い出した。
読売新聞「時代の証言者」は、有料の「読売プレミアム」で読めるようだ。
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/list_SERIALIZATION%255fWITNESSES