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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

統一教会信仰「犬猫の結婚」に喩えて佐賀大に賠償命令。これって「反ヘイトスピーチ」?

一から十まで興味深い。
あまり多くの報道が無い中、ある意味これはスクープ記事とも言える。

統一教会信仰侮辱、佐賀大に賠償命令−地裁
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2670516.article.html
 
 佐賀大の20代の女子学生(当時)と両親が、統一教会の信仰を侮辱され、脱会を勧められ信教の自由を侵害されたとして、50代の男性准教授と大学側に440万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、佐賀地裁…(略)
大学に約9万円の支払いを命じた。
 判決によると、准教授は……研究室で、当時ゼミ生で学内の学生信者団体代表だった女子学生に、統一教会の教義を批判し執拗(しつよう)に脱会を勧めた。合同結婚式を通じて結婚した両親を「犬猫の結婚」と…(略)准教授の発言は不適切で「信仰の自由を侵害する」と指摘。
(略)
一方、准教授との会話を無断で録音していた女子学生の目的が、大学によるカルト対策への攻撃材料にするためだったと認定し、「精神的苦痛はさほど大きいものとはいえない」とした。
 准教授の発言は職務で行われた「公権力の行使」に該当し、国家賠償法の規定に沿って同大に賠償責任……
2014年04月26日更新

大川隆法の霊言」「カルトの子」「我らの不快な隣人」などで有名な米本和広氏のブログで、訴状が読める。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-334.html
この訴状によると
『夫婦生活は「強姦するのと同じ」であって,原告ら家族の生活は「犬猫の暮し」』とも語ったとか。


訴状や判決報道で「似ている」と思ったのは…例のザイトクカイだ。
朝鮮学校朝鮮総連金王朝北朝鮮全体主義体制)の組織的、体制的なつながりが実際にあっても、生徒児童を「お前らはスパイの子だ」というのが事実としても大間違いだし、侮辱以外の何物でもないのは議論するまでもないだろう。そりゃ賠償金も取られるさ。

同様に、あの脱税王・文鮮明が作ったカルト集金集団としてのムーニーが唱える、合同結婚式の教義がいかにバカっぽく聞こえても、それで集団結婚した家の子の前で、その人の親を「犬猫の結婚」と言い放てばそりゃ賠償金も取られるさ。
あ、並べて紹介すると問題点は分かりやすくなったかな。


ひねっていえば「この岡山大准教授は、教壇の上のザイトクカイであり、ザイトクカイは路上の岡山大准教授である」とでも言えようか。
ちがう?
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2670516.article.html
にて問うた。

「録音」の問題も、批判か侮辱(宗教差別、マイノリティ差別=ヘイトスピーチ)かの問題も、法哲学的には興味深いな。/実際のとこ、この准教授の発言は「ヘイトスピーチ」ですかね?

まあ「ヘイトスピーチ」という定義じゃなくても、べつにいいや。


ただ、一般的な教義としての集団結婚を、世俗の立場から、あるいは他宗教の教義の立場から「あれは犬猫の結婚に等しい」と一般的に批判する。それはまた別の話であろう。
同性婚、同性愛や中絶をカソリックや、あるいは福音派の一部は今でも教義的には”罪”とする。
ああ、同性愛についてはイスラムもそうか。
彼らが一般的にその信念を語ったり、反対運動を行うのまでをとめると、また別の宗教弾圧になるだろう。
実はいまの日本の名誉毀損が−−たとえばフランスとは違って−−、個人への名誉毀損をのみ対象としているのは、ある意味、一般的な教義批判としての「統一教会合同結婚式なんて、犬猫の結婚と変わらない」という余地を残す……という意味もあると思われる。


ただ、一般的な教義の批判だとするなら、米本和広氏がいうように

(※これは米本ブログの、コメント欄の書き込み部分)
教え子が、好ましいと思えない団体に入り、活動している。
 これを教授が学生に、「否」と言うのは何ら問題ないと思う。
 教授が、その団体のよくない点を示し、「こういう所だからやめた方がいいよ。」と言うのは信仰の自由は侵してないと思う。
(信仰も自由だが、反対意見を言う自由もある。但し、反対意見と一緒に「(脱会しないと)卒業させない、単位をあげない」と言うと脅しなので、脱会の強要、信仰の自由を侵すことになる。)
 だけど、合同結婚式を行った両親を「犬猫の結婚」と言うのは、その人の存在意味まで否定しかねない言葉である。

 正鵠を射た指摘だと思う。
 ところが、森准教授は統一教会の「よくない点」を示したのかどうはわからないが、教義批判まで行っている。これは許されるべきことではない。 (略)…価値中立性がとりわけ求められる国立大学の教員が、自分の価値観から特定の団体を批判することは許されることではない

 
統一教会の「教義」批判と「行動」「組織』批判の違い。それを分離できるか。。
これはこの批判者の指導が、個人として語るのと、実際に裁判で認められたように「佐賀大の職務」だったときでもまたかわってくるだろう。ただ、大学が公的な仕事として「のぞましからざる組織からの勧誘や活動に対し、生徒への警戒や注意を促す」ためにお粉運ら、後者への批判のみで十分だし、説得力もあるだろう。
実際、今回の判決は、この当事者の暴言(ヘイトスピーチ?)を厳しく批判したものの、ようは「統一教会は危険ですよ、そこから距離をおきなさい」と大学が公的に指導してもいい、と認めた点では大学にとってはありがたい話だ、という指摘もあるのである。

佐賀大学事件”で大学のカルト対策の正当性を認める画期的判決―佐賀地裁
http://dailycult.blogspot.jp/2014/04/npo.html
 
…地裁は、原告の請求額のごく一部を認めたものの、統一教会の所業の違法性を指摘、大学のカルト対策について「大学は学生に対し安全配慮義務を負っている」「霊感商法等の社会問題を起こした統一教会に対して適切な表現を用いて批判的な意見を述べることは社会的相当性を有する」と言及し、大学のカルト対策の正当性を認めたのだ。
(略)
……「適切な表現を用いて統一教会やその信者に対して批判的な意見を述べること」が「社会的相当性を有する」と判断したのだ。

大体において、司法のような第三者は当然、とくに宗教的教義の真・偽には立ち入らない。だからこそ、外形表現としての「暴言、侮辱表現」に判断を頼るしかない。
この准教授への処分はまぬがれないだろうが、そういう侮辱表現(をする人)を外して、大学が洗練と検討を加えた統一教会(勧誘)への警戒呼びかけ…あるいは中核派なども入るかもしれない(俺の個人的な経験としては、この二つが大学内でもっとも活発だった「反社会的集団」だった)。それは大いにやればいいだろうし、その任にこの人物が耐えられなかった、ということだろう。


というときに「マキャベリBot」を偶然読んだのだが

https://twitter.com/Niccolobot/status/460504936619335681
@Niccolobot 「ある人物が、賢明で思慮に富む人物であることを証明する材料の一つはたとえ言葉だけであっても、他者を脅迫したり侮辱したりしないことであると言ってよい。なぜならこの二つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである

ちょとまて、理由付けがおかしい(笑)

師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」 (岩波新書)にあった、ちょっと難しい話

この前、はてなブックマークで上がっていたこの書評が詳しい。

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20140423#p1

ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書)

ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書)

この本の中に、ちょっと乾いた笑いを引き起こした、個人的に印象深い箇所があったので、この本からではなく別の論文から紹介しませう。

http://apc.cup.com/apc201001_12_13.pdf
湾岸戦争の最中、ある平和運動家が、自分の車に、ヴァイマル共和国時代の文筆家、クルト・トゥホルスキの「兵士は人殺しだ」という警句を貼って、「民衆扇動罪」に問われた。トゥホルスキは、1931年8月4日に発行された『ヴェルトビューネ』で、「4年間、国中で人殺しが義務とされ、30分もそこから離れるのを厳しく禁じられた。私は人殺しと言ったか? もちろん人殺しと。兵士は人殺しだ」と論じていた。
 1994年9月19日、連邦憲法裁判所は、この活動家に無罪を言い渡した。それは、「言論の自由」を擁護したからではなく、歴史的引用の明示を理由としたものであった。この判決に、連邦軍や保守派は激しく反発、2日後連邦議会は、「人殺しのレッテルの容認は、兵士から法的保護を奪い、兵士の人間としての尊厳を損なう」という抗議決議を可決した。

あっはっはっは(乾いた笑い)。
さあ、皆さんも。
まあ、「あくまで歴史の文章からの引用だ」ということで結果的に無罪ならいいのかね。
ただ自分は、日本の反戦的な、平和主義的な文章のなかでこの「兵士は人殺しだ」という表現は何度も見てきた、という記憶がある。
自分は、そんな主張には賛成しないから、そういう表現も使わないだろうし、これが仮に日本で同様の法規制が敷かれて、同様に裁判になっても、仮にその裁判で有罪になっても一向に直接的な影響はないとは思うが、間接的に自由を狭める懸念はあると思っている…のだが、いかがだろうか。


やはりこの本で〆ようかな。

白い服の男 (新潮文庫)

白い服の男 (新潮文庫)

横領、強盗、殺人……こんなたぐいの犯罪は一般の警察にまかせておけばよい。わが特殊警察の任務はただひとつ――人間が作り出す平和の虚妄性を痛烈な皮肉をこめて描く表題作。男っぽく言葉づかいのぞんざいだった妻が一夜あけるとすっかりしとやかな女になっていた――軽妙なタッチで医学の進歩の盲点を衝いた『月曜日の異変』。ほかに、『老人と孫』『テレビシート加工』など全10編。

そして
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140428/p6
へ続く。