INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「同性愛者(同士)は、見ていればなんとなく分かる」…事実か、科学か、偏見か?「国籍」「民族」なら?

シャーロック・ホームズの話と、先日twitter上で偶然見かけたツイートで話をつなげます。

八雨 ‏@Yasame49 10月26日
妹がすごい単語見つけた pic.twitter.com/8K3IZP45NH


RETWEETS
8,609
FAVORITES
3,451

なんだ、8600リツイートって(笑)
それはともかく、このへんてこな俗語を、BやLの方面の女性と関係があるよーなないよーな俗語を、まじめに考察するのです。それも「ポリティカル・コレクト」の概念からだ。

名 *1ゲイダー ゲイ探知能力:同性愛者たちが同性愛傾向のある人を本能的に見分けられるとされる能力.
gay+radar  http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/35186/m0u/

さて。問題は「あるのか、ないのか。」であります。
まず、「本当はそんなもの無い」ときを考えてみましょう。
これは

「同性愛、ゲイの連中(ここが丁寧に「ゲイの方々」でも同じ)ってのは、外から見てれば、なんとなく分かるんだよ。雰囲気とかさ」
 
であっても、
 
「いや俺たちノーマルにはわからないんだけど、ゲイ同士はね、なんというか『本能的』に見分けることができるらしいんだよ。特殊能力っていうの?」


であっても、ポリティカルにコレクトではない。偏見であるということになる。
それが「ゲイダー」なる、実際に存在しない虚構の概念を語る差別者どもの姿、ということになろう。
自分は少し前まで、まずゲイダー的なものが「無い」という前提でもって、下のように「ゲイは(ゲイ同士なら)外から見分けがつく」という考え方自体を”差別・偏見”箱に入れてきたのでした。

しかし!…えーと、そこからはツイートしてたのでそれを再掲載します

これ丸谷才一氏がデズモンド・モリスを引用しまじめに考察してるんだよな。で、無根拠ならPCに反する偏見,だが事実ならPCに反しない。その境界として興味持った。
 
このツイートの補足 さっき紹介した丸谷エッセイは「月とメロン」。
ここに紹介文があった http://samsara.at.webry.info/200806/article_1.html
  
http://samsara.at.webry.info/200806/article_1.html … 
『 丸谷才一が近刊のエッセイ(「月とメロン」文藝春秋)で、デズモンド・モリスの「マンウォッチグ」を引き合いに出して、ゲイが「なんとなく感じでわかる」ゲイの見抜き方の不思議について書いておりました。 』
 
「ゲイはゲイ同士、雰囲気やしぐさでなんとなく分かるものだ」という主張は、それなりに根拠がある事実として語っていいのか、それとも偏見か。「外見はそっくりでも、XX民族/○○教徒はなんとなく分かるものだ」という主張も、しぐさや雰囲気などでわかるのか 
 
というのを以前から考えてたところに、@Yasame49 氏の紹介画像があったのでメモ書き。あとでもう少しまとめた記事にしよう。

タカハシ ‏@sand_lander 22 時間
@gryphonjapan 強豪高校柔道部に入った人の話ですが、入部直後はスカウターのごとく立ち振舞いから強さをある程度判別していたとの事。それに通じる話ではないでしょか。

当て勘をはじめとする「勘」そのものも、基は”立ち居振る舞い”などから無意識に判断をしたけど、自分でも明確に説明できない、という傾向があるかもしれません そのへんの議論をまとめる予定 @sand_lander

丸谷氏のこの「月とメロン」はむしろ「投石的人間」「首狩り族の唄」とかを語りたいのだけど、まあそれはそれ。
当該作「デズモンドとラモーナと赤ん坊」から引用する。
あ、一部は写真にしとくね。これ、本当に彼がこういってるんですよ、と証明したほうがいいので。


このつぎのページを引用すると

「なんとなく感じでわかる」とのはどういうふことなのか、知りたくてたまらなかつたけど、見当もつかない。ところが今度「マンウォッチング」(※デズモンド・モリウの著書)を読んで、この疑問が解けたんです。
(略)
※以下はモリス説の引用

 たとえば、同性愛の男性は、グループ特有の動作を示す。しかし、このグループに属する少年でも、初めからそういった動作をしていたわけではない。彼の行動は学校の友達とほとんど変らなかった。しかし、ひとたび大都会における大人の同性愛者のグループに加わると、たちどころに、特徴のある動作を身につけてしまう。
 手首の動作が変わり、歩き方や立ち姿も違ってくる。首の運動が大げさになって、頭をふつうの位置よりも後ろのほうへ動かす回数が増えてくる。唇を突き出した姿勢をとり、舌の運動がよく見え、また活発になってくる。
 同性愛の男性は、わざと女性らしい行動をしていると考えられがちであるが、正確にはその動作は女性的ではない。それは女性に同化しているのではなく、同性愛の男性に同化しているのである。
 もともとは女性をまねたものだったのかもしれないが、ひとたび同性愛グループの中でそれが確立されると、次第に女性離れを起こし、また、何度も男から男へと伝わったためにますます変化する。そしてついには、同性愛者としての特徴を作り出してしまうのである。

単純なもんで、丸谷才一氏がデズモンド・モリスを引用したとなると「ゲイダー」概念は「偏見差別」のゴミ箱から取りだされ「科学的な事実。あるいは少なくともひとつの学説」として鎮座ましますことになる。

なんで上でホームズ番組を紹介したら、関連してこれになるかというと、ホームズが大好きなあのハッタリ…初対面のワトソンに「あなたはアフガニスタンに行っておられましたね」というアレ。
あれのお話でホームズが凄いのは、推論したこと(当てたこと)以上に「自分の推論をいちいち言葉でたどって説明できる」ことなんだろうな、と。
全体のしぐさや視線や立ち居振る舞いや言葉遣い…などなどから、その人を推測するのは、そのへんの噂好きおばちゃんでもやっているし、むしろ得意だ(笑)。ただ、そういう細かいデータから「この人はXXXXXだろう」という推測は、たしかにできるのかもしれないが、それをホームズならざる凡人は言葉で説明できない。そうすると「なんとなく」「雰囲気がねえ」としか説明しようがなくなる。
 
 格闘技でも結局、天才的なボクサーや空手家は「あ、相手のこの目線、この手のあげ方だと、1秒後に大きく踏み込んで右ストレートを打ってくるな。おれじゃ俺はこう重心を動かして、相手のストレートに合わせてカウンターを……」というふうに、何かの情報、根拠に基づいて行動している可能性が高い。
だが、あの一瞬の攻防でそういうリクツは本人にも言語化できないし、回りに雷電スピードワゴンのような名解説者もいないから(笑)、「当て勘」という表現になってしまう。

「当て勘」っていったい、なんだろう?(佐野哲也twitterより) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120902/p2

「勘」というのは本当にあてずっぽうでも超能力でもなく、本当は微細なビッグデータを処理した上での推論なのに、それを自分で言語化できないということなのではないか。


しかし、そうなると打撃の当て勘とかは問題ないが、人物像を推論する場合、その判断材料の中に「こんなしぐさをするのは同性愛者だろう」とか「こんな立ち居振る舞いはXXX人に違いない」というデータベースがあって、それが偏見や差別に基づくものだったときにどうなるんだ? という話も出てくる。
 
なんか堂々めぐりな気もするが…もともと堂々巡りを呼び込む、計測不可能な部分がある話だからしょうがないのか。
なにかを「推論」する際、特に「XXをするのは○○だろう」という推論に、かなりの確率で出てくる問題、危険性かもしれない。

アンネの日記」破損事件〜「誰がやったのか」の推測議論などを中心に - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/633324
 
事件・犯罪に対し、どこまでが「(合理的)推論」で、どこからが偏見か? …の再論 -
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140304/p3 
 
ある事件が起きた時の、犯人の「推測」「テロ事件」認定に関して(「アンネの日記」問題)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140223/p3

「民族」も、雰囲気でわかるのか?わかると思うのが偏見か?

ジョン・スタインベックは、アメリカにはアメリカの顔がある、という。社会と風土が生んだものである。
それどころか、かれはあるとき、オクラホマの少年に、
「あんたはカリフォルニア人だろう」
と当てられたそうだ。スタインベック自身も、たいていのアメリカ人について、彼らの顔つきや身がまえ、歩き方によってどの州の人間かということをあてることができる、といっている。
司馬遼太郎アメリカ素描」)

アメリカ素描 (新潮文庫)

アメリカ素描 (新潮文庫)


そもそもの話として「本屋で『いつも』大便をしたくなる謎」パターンがある。本の雑誌で以前「【いつも】本屋にいくと大便がしたくなるのはなぜだろう。本屋には便通を促す効果があるのか」という楽しい議論があったが、敢えてマジレスでこたえると「その何倍も、本屋にいったが大便はしたくならなかった…という事例のほうが多いのだが、そっちは忘れてしまう。『したくなった』ときのほうが鮮明に記憶に残る、というだけ」というのが結論だといわれてる。

ゲイダー」の正体も「なんとなく相手をゲイかなと思ったら、本当にゲイだった」の何倍も、「ゲイとうたがったが違ってた」例が多いがそっちは忘れてしまう、ということかもしれない。
スタインベックも、「出身州を外見で当てることが出来た」例ばかりが印象に残り、違ってた例は忘れていたのかもしれない。文豪もそんなことがあるのか、と思うだろうが、これはふつーの人間ならままあることなのだ。


しかしそれでも、外見、見た目、しぐさの観察・・・によって国籍や民族、あるいは出身州が分かるということが「ある」とスタインベックもいう。
クリミア国人か、ウクライナ人か、ロシア人かは難しいかもだが(笑)


ちなみに中国留学経験のあるかたから、私は「どうみても中国人に見える」と太鼓判を押されたことがあるが、それは「服のセンスが一昔前」という意味だった(笑)。服の流行、これはあるし、合理的推論だな。
また、さる女性の韓国人女性の見分け方は一に「化粧のやり方」で大体分かる、という。どこに違いがあるんだァァァァ!!!と叫びたいが、明確な違いがある…んだそうだ。もちろん流行だから、韓国製の化粧品をつかって韓国風の化粧をする日本女性もいればその逆もあるだろう。


さて、どうしたもんかね。
差別や偏見は無くすべきだが、差別だ偏見だと批判することで、実際にそこに「存在する」ものを無かったことにするのも、科学的精神からは避けたい。
ゲイダー」は存在するのか、「カリフォルニア州人らしさ」は存在したのか。



うーーーーー、ここで最後に南伸坊ちくま文庫「顔」のあるページを紹介した方のだが、見つからない!!あれがオチになるとならないとじゃ大違いなのに。
それは後日の宿題として、見つかり次第紹介します。

顔



そして最後に

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

関東大震災の直後に響き渡る叫び声、ふたたびの五輪を前に繰り返されるヘイトスピーチ。1923年9月、ジェノサイドの街・東京を描き現代に残響する忌まわしい声に抗う―路上から生まれた歴史ノンフィクション!

*1: