INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

明日発売の「週刊ポスト」は井沢元彦の小説「恨の法廷」を復刻掲載らしい。/&「小泉純一郎都知事論」

案外明日発売の雑誌広告というのはネットにも載っていないようで…新聞休刊日の関係で普通その日の朝刊に載る広告が1日早く載ったわけだな。

とにかく、そういうのがあるらしい。
ライバル誌・週刊現代は「安倍昭恵独占インタビュー 夫への『違和感』を告白 スジガが違う 秘密保護法、原発輸出 増税・・・」といったものが載ってる。


しかし、それにしても異例中の異例だろう、既に20年以上前の作品だったはずで、しかも単行本にも文庫にもなっていた小説を、おそらく今は絶版だろうとはいえ、もう一回、「生き馬の目を抜く」ような週刊誌が再録するっていうんだぜ。

ことし後半、大手の総合週刊誌が次々と韓国批判の特集を、メイン企画のような形で登場させていた。企画自体は年間50回ざしを出す中でネタ切れの週もやまほどあるだろうから、驚かないが、それが何度も繰り返されるということは・・・おそらく「セールス」の面で驚くような(好成績の)結果が出ていて、「じゃあこのネタ、第二弾やりましょう!」な展開になった、と考えてまちがいない。
どうしてこうなったのか。 もちろんこのテーマは何度も出版物には出てきたけど、少なくともメーンストリームに出ることはなかった。それは内容の賛否や水準というより、「そんな話題に一般の人は興味がない」という高いハードルがあったからのはずだったが。
いつのまにこうなった、といえば、「韓国の存在感が高まったからこそ、週刊誌で批判記事がメイン企画になりえる」という逆説も確かにある。
時代はこうやって変わるのだろうな。
後は女性週刊誌が、どうなっていくかが気になる。もう多少はこういうテーマも扱ってるだろうか。

井沢元彦「恨の法廷」について

どこかに文庫本が転がってるような気がするけど、どうせ見つかりそうも無いので記憶と検索で書く。

高速道路でスピンし大惨事となった…高沢次郎が目覚めた部屋は、奇妙な空間だった。そこは天国でも地獄でもなかった。発端は韓国人・林(リム)の発砲だった。高沢が輸出した製造機械に粗悪部品が流用したためトラブルが頻発し、林の会社がたちゆかなくなったのだ。林は逆怨みした。そして銃撃…奇妙な部屋は歴史糾問の場と化し、日韓双方に分かれて民族の角逐を追究しはじめたのだった。異色問題長篇小説。

わけわかんねー紹介だな。

もう少し内容を箇条書きで書くわ。
・大事故にあった数十人の人々(日本人、韓国人を中心にいろんな立場や階層の人がいる)が、不思議な”異次元”の世界に迷い込む

・そこは神様というか閻魔大王というか、天帝というか・・・そういう人が支配する場で、歴史上の偉人や英雄、文人も自由自在に呼び出せる。
 
・なぜそうなったか忘れちゃったが「日韓の歴史問題をここで討議したまえ。歴史上の人物を、参考人として適宜呼んであげよう」という話になる、という・・・


井沢氏のデビュー作からそうだったけど、
シチュエーションとしては非現実的な設定や小道具を持ってきて、その上でミステリーを書くという、まあマイナーな分野だけど、以前からあった「SFミステリー」でした。

議論の展開は、まさにこの前通算1000回を迎えた「逆説の日本史」(そっちのことをブログで紹介したかったが)で時々関連したテーマが出てくるので、ある意味それを読むほうが分かりやすいだろう。つーかもう明日雑誌が出るのに。詳しく書いても意味ねえし。


ただ、よく言うところの「嫌韓の歴史は2002年、ワールドカップ共催から始まった」というのが本当なら、「恨の法廷」はそれをずっと前に用意していたことになる。
さらに言えば、このへんはリアルタイムで覚えているが水野俊平氏が現地韓国で研究していたという地の利を生かして「あっちのメディアや出版物ではこんなの書かれてまっせー」を報告しはじめたのと、軌を一にしていたはずだ。
黒田勝弘氏は、ある意味ずっと芸風は一緒だけど「花札は韓国の文化だっていわれてるよ」とか「桜は日本の象徴だ、だから伐採しろなんて議論があったが『実は桜の起源は韓国だ』で騒動が治まりました。ははは、変な国ですね」みたいなリポートをちょこちょこ書いてた。
  


こういう部分に踏み込むことを、井沢氏はかなり確信的にやっている。
「一昔前の日本知識人は、ここを黙っていたと思うが、自分は新世代なので敢えて書く」という話を、司馬遼太郎氏を引用して単行本の「あとがき」で書いてたから間違いない。
それは一種の平等意識で「昔の世代が、韓国に『気をつかう』のは真の平等ではない、自分たちは平等、対等にあちらと違う意見をぶつける」という気負いね。
実は90年代、そういう”使命感”がこういう論者には確かにあったように思う。実際、そういう使命感が無ければこの種の話題は「火中の栗」だった。



ただ、たしか記憶によれば「コリア系の若者が暴れるのも、就職差別が背景にあることもある」とか「まず大前提として、併合で独立を奪ったことを日本側は謝ってはどうかな(実際謝罪する)」というシーンなんかも登場したはずだ。

そういうところが2013年の「嫌韓」がどう受け止めるのかはちょっと気になる。



あ、思い出した。
たしか「小泉純一郎都知事選に出れば700万票をとって脱原発知事が誕生する」みたいな話がトップ記事。