朝日新聞2013年7月8日記事。
お、これはネットにあった。
■「平家が最初に幕府」 大河ドラマ考証者が論文集
http://book.asahi.com/booknews/update/2013071200002.html
昨年のNHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証を担当した高橋昌明・神戸大名誉教授(日本中世史)が、論文集『平家と六波羅幕府』を出した…
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。「武士による最初の政権は、平清盛が打ち立てた『六波羅幕府』だった」と主張してきた高橋さん…(略)。
京都の六波羅を拠点とした平家一門は、平治の乱(1159年)で源氏を打倒し、諸国の武士を統率して天皇の住む内裏を守護するとともに、国家の軍事警察権を掌握した。
高橋さんは、最高権力者の清盛が京都から離れた福原に住むことで王権からの独立性を守り、軍事警察権を行使する手法は、そのまま源頼朝の鎌倉幕府に引き継がれたと指摘。「頼朝の政権を幕府と呼ぶなら、清盛の政権もそう呼ぶべきだ」と唱える。
2007年に出した『平清盛 福原の夢』(講談社選書メチエ)で「六波羅幕府説」を初めて本格的に論じた。
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自分は『足利義満の勘合貿易は「遣明使」と呼んでいい。』
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111124/p5
とか、
『高句麗の歴史は朝鮮史でなく、中国東北部の歴史とみるべきだ』
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120617/p3
なんて議論を既に知っている。
ようはこの種の議論は「そこにある事実を、どう見なすか、どう定義するか」という話なのだ。ことに「幕府」はもう教科書にも反映されたように、これまでの元祖たる鎌倉幕府だって「幕府をこれからひらくよーん」と自他が認識してたわけではないそうで…
だから「1192つくろう鎌倉幕府」ももうなくなった。
源頼朝が征夷大将軍になったこと、
藤原氏や義経の追討令を受けたこと
守護地頭を置くことを認めさせたこと…すべてが渾然一体となって、「あれ?この政治体制って『幕府』じゃね?」とあとから分かった(定義された)んだから。
だから「平家幕府(六波羅幕府)が存在したんだよ!だって武家が支配体制を作った、ってことでは鎌倉と一緒だし」って言われたら、なるほどたしかに一笑にふすわけにはいかない。
ただ、「六波羅幕府」が今後どれぐらいに定着する概念なのか…これは今後の議論をまつしかない。
ただ、「新概念はいろいろとあとから定義していい」、という一例として、なかなか面白いというか典型例として興味深いですよね。
こんな記事もみっけた。同じく「平清盛」で考証をしていた本郷和人氏の反応が記されている。
http://blog.livedoor.jp/sawarabiblog/archives/52027421.html
高橋説では、鎌倉幕府の本質を「国家の軍事部門の担当者として、諸国の御家人を率いて内裏を警固する=大番役を務めるところ」にあるとして、その点でいえば平家も国家の軍事警察担当部門を担当していた、としています。大番役というのは京都を警備する役目のことですが、大番催促という権限を行使していたのが何よりも清盛が先行していたことに着目します。本郷氏は、大番役は限られた時代にしか存在しないことから、反論されています