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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

出生前診断が実施された欧米諸国で、ダウン症判定の胎児の中絶率は…「70〜90%」

すこし前に、ブクマが多数ついたはてなブログ記事。

■海外でのダウン症出生前検査後の妊娠中絶率について
http://d.hatena.ne.jp/aggren0x/20130629/1372470239

欧州での実際の出生前検査後中絶率は以下のとおりで、全体として90%弱が、出生前検査後妊娠中絶を選んでいると分かる。アメリカでの調査は、州別になっていて…・・・地域集団ベースの複数の研究をまとめると67%(61-93%)が出生前検査によるダウン症診断後中絶を選んでいる。

重い話だ。なぜかといえば・・・自分のブクマより

(前略)・・・「知ることができる」という新しい可能性を人が得て、そこから何かの「選択」を迫られる・・・100年前、50年前の親になる人々が、知らなかった苦悩。

・・・・・・ただ、「出生前診断」に関して、自分は警戒感を示す論に多少の違和感を感じている。というのは
「産む、産まないは女性の権利」(プロチョイス)
という主張・・・もちろん、これに反対する「プロライフ」論も、自分は宗教的意味も含めて相応の理を認め、最後は社会の「選択」となるとは思っている。だが自分はプロチョイスだ。
だが。・・・いや「だから」だな、この場合の接続詞は。
「産む産まないは女性の権利」から敷衍すると「(出生前診断で)調べる調べないは女性の権利」という論理一択にどうしてもならざるを得ないのだと思うのだ。
もちろん「夫が検査を望む、妻は望まない」「祖母が望む」などの軋轢も出てこよう。だが、「社会が出生前診断は倫理に反する、といって規制する」というのはやっぱり無い方向だと思うな。今現在の規制も、解除されていくのが正しい方向だろうし、検査に公の助成が得られてもしかるべきだろう。技術も精度を高め、もっとカジュアルに、普通の身ごもった未来のお母さんが、受けたいと思ったらそれを妨げる外部条件は何も無い・・・という方向が望ましいと思う。


中絶の「脱道徳化」はどこまで進むべきなのか。どう評価すべきなのか。

リンク先も冒頭で
「事実について述べるのみです。この件について特定の意見を表明するものではありません。」
としている。
中絶を罪だ殺人だとやっている某キリスト教国家と日本が違う土壌であるのはよかったが、ただ中絶をどう道徳の中に位置づけるのか、これは難しい。
2点ほどある限られた場面では、非宗教的な意味で中絶は好ましくないとする議論はできる。
1・中絶は手術であり、母体へのダメージ、精神的ダメージがあるので。
2・そもそも避妊行動をしておけば、中絶を避けられるので。

ただ、この議論ではカバーできない話もある。今回紹介している「ダウン症の可能性が検査で分かったあとの中絶」はカバーできない側だ。

その場合、中絶は・・・「1」「2」を除くと・・・・多少の無理はあっても、「いい」や「悪い」どっちにも組みしない、価値中立的なものと皆が「見なす」ことをしないと、本当はいけないのかもしれない。
つまり、こういう話を「重い話だが・・・」と受け止めるのではなく、「ああ、そういう選択もあるのだろうね、さもあろう」とさらりと、ニュートラルに受け取る「べき」なのかもしれない、ということだ。

というのは、最近ある現役スポーツ選手が出産を公表した際、
「最初はみなさんに反対された時もあって、自分なりに一生懸命…いちばんは母にですけど、話して、スケートよりもその子の命のほうを選んだ」
と表明した。
めでたいことであり、圧倒的に暖かい応援がとんだのは当然だったろう。
そのときの反応の中に・・・彼女を賞賛する声の中で「まだ結婚していないとか、本人に他の目標(オリンピックなど)があるという理由で妊娠した子供を中絶するのは(道徳的な)罪であり、産むのが正義、人の道に沿った行為」というニュアンスも(ごく一部だが)個人的には見てとったのだ。
出産するか、しないかというのをやはりその女性なり、夫婦の中で決め得る、というプロチョイスの立場からは、仮にこのスポーツ選手が、『この子の命よりスケート』を選択しても・・・いや、『この子のいのち』という用語の選択自体にひとつの道徳的判断が入っているよな・・・だから難しいんだよなあ。・・・まあ上のような事態になっていたときも「それも彼女の選択」とニュートラルに、今回の出産と同じ比重で励まし、応援している風潮であるべきだろう。そうなっているのか、どうか。これはIFの話だが。

遺伝子カウンセリング・・・「選択」の前に(公が乗り出し)「知識」を与える必要性

平成25年3月9日
「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査」についての共同声明
http://www.jsog.or.jp/statement/joint-communique_20130309.html
(略)
3. 今後、出生前遺伝学的検査には、今回のような常染色体の数的異常に関する検査以外にも種々の遺伝学的検査が開発されることが予想される。このような検査を用いた出生前診断では、十分な遺伝カウンセリングが行われる体制の整備が必要であり、私たちは、わが国における遺伝カウンセリング体制のより一層の普及と充実のために努力する所存である。

本来なら・・・その女性が検査結果を聞いた後、どういう選択をするかに対しては、自らが学び、判断すればいいことではある。ただ、やはり重要な問題であること、今後に関しての医学的な知識には詳しい人も疎い人もいること、などを考えると、知識を伝えることを仕組みに組み込んで、一律に「教える」という仕組みは作ったほうがいい。ベクトル的には「女性手帳(仮)」と同じではあるんだけどさ。

出産(産婦人科)を描く漫画「コウノトリ」が先月1巻発売。

コウノドリ(1) (モーニング KC)

コウノドリ(1) (モーニング KC)

出産は病気ではない。だから通常の出産に保険はきかない。産科医療は怪我や病気を治す訳ではない。なので通常の出産に産科医は必要ない。だが、何かが起こりうるから産科医は必要なのだ──。年間約100万人の新しい命が誕生する現場の人間ドラマ、開幕!
モーニングで大好評だった「未受診妊婦」「切迫流産」「淋病」「オンコール」を収録。