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にて
- 作者: 小谷野敦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/02/01
- メディア: 単行本
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そこで、この本の記述に対比させる形で岡田英弘氏の説を紹介していた。
ここは史観の問題とも言えないことはないので、ご参考までに。岡田英弘は、
「元朝は、東アジアの多くの地域を統合した大帝国だったが、一番重要な地域はもちろんモンゴル高原で、中国は元朝の植民地の一つにすぎなかった。その中国を統治するための行政センターが大都(北京)であり(後略)」
まあ中国大陸の文明文化が極めて特殊で
「周辺民族が中原を制覇」→「そしたらその民族が中国文明に染まる」→「その王朝が滅んだら、おやおやその民族の拠点も”中国”に吸収されたよ」という謎の拡大の仕方を続けた地域だ。
だから笑い話で「豊臣秀吉が明を征服していたら、逆にそれによっていまの日本が中国の一部になっていた」というネタがあって・・・
秀吉が成功していたら、次のようなことになったかもしれない。
大[だい]
中国の王朝の一つ。
日本族のヒデヨシが高麗を滅ぼし、明を併合し、都を寧波に移し、17世紀初頭国号を「大」と号し、ヒデヨシは初代皇帝「太宗」となった。以後、高山、琉球、呂宋を攻略。天竺まで兵を進めたが、酷暑の風土に耐え切れず敗退−−(略)…(そして)「大」が成立すればかなり高い確率で次のようなことになった可能性がある…
日本[にほん]
現在の中華人民共和国日本省(省都大阪)に存在した独立国家のこと。17世紀初頭まで中原からは「東夷」と呼ばれた蛮族の地だったが、英雄ヒデヨシ(大の太宗)が出るに及んで中原を制し、以後中国の一部となった。ちなみに『源氏物語』はもともとこの国の古典で、昔は日本古語で書かれており、現在のように中国語となったのは18世紀以降のことである−−
- 作者: 井沢元彦
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/12/17
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この架空歴史シミュレーション、「軍事的に征服されても文化的に支配者を征服し、最後はその征服者の領土を自国に組み込む」中国のひとつのスタイルをわかりやすく実感させるには非常に効果的なのではないか。
ただ、そのばやい年表の書き方がややこしくなる。
実は昔、うちの学校には小中学校とも世界史年表のでかいのがはってある教室があって…で小学生のときは隋、唐、宋、元−とシンプルだが、中学だったか高校だったか「(中国の)南北朝」とか「五胡十六国」とか「三国」とか年表がすっきりしなくなった。始めは違和感があった。シンプルにどの時代も中国は一国だと思ってたからな。
でもオトナの頭で考えれば、大陸は十分国が乱立できる余地があるし『XXX年、いまの中国にあたる国は?』といってもそう簡単にどの国が代表かわからないのは当然だ。
で、もう一歩進めて
<13世紀後半の中国大陸には『元』という国があった。>
と解釈するか
<13世紀後半の中国大陸は、全土がモンゴルの植民地となっていた>
と解釈するかだ。
そうすると、清朝ももちろん
<女真族が中国大陸全土を植民地にしていた>
となるやもしれぬ……。
そしてまあ、これは事実関係は同じでも”解釈”によって変わってくる話。何度も書いているが「足利義満の勘合貿易は”遣明使”と読んでもいいのではないか」というような解釈に近いような。
過去記事参照
■「足利義満の勘合貿易を『遣明使』と呼んでいいのではないか」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111124/p5
あるいはそこのある遺跡は同じなのに、”解釈”によって万里の長城が伸び縮みするという・・・
■日本の教科書や資料集、万里の長城の長さをどう書く?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121031/p4
そんなお話として面白いのだが、解釈の話だからまあ結論は出ないわな。