http://www.asahi.com/politics/update/0313/TKY201303120572.html
「主権回復の日」式典開催を閣議決定 安倍内閣
安倍内閣は12日、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権回復した4月28日に、政府主催の記念式典を開くことを閣議決定した。自民党は昨年の衆院選政策集で式典開催を明記しており、安倍晋三首相が式典開催にこだわった。
これに関しての東京新聞の社説を一例に。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013031302000122.html
主権回復式典 心の底から祝えるのか
2013年3月13日
一九五二年に講和条約が発効した四月二十八日。安倍内閣は「主権回復の日」として政府主催式典の開催を決めたが、米軍統治が始まった沖縄県では「屈辱の日」に当たる。心の底から祝えるのか。
この「日本本土などには主権回復の日だが、沖縄にとっては屈辱の日」という形の議論を読んで思ったことがある。
「占守島の戦い」というのがある。むしろ「日本・ソビエト戦争」とでもいうべきものかもしれないか・・・沖縄戦が先の戦争で「日本唯一の地上戦」と呼ばれるか呼ばれないか、という話にも関わってくる話でもある。
でも教科書には特に載ってないか。
詳しくはウィキペディアの「占守島の戦い」でもご覧ください。
国際法と二国間条約を踏みにじって一方的な領土侵略戦争を仕掛けてきた、独裁者(ヨシフ・スターリン)が牛耳る全体主義国家の軍隊に、民族の尊厳と民間人の安全を守るために日本軍が英雄的防衛戦争を行い、結果的に民間人の脱出などに寄与した戦争だった。
(ここだけ切り取るとそう言えてしまうというね。もちろん他の戦争、または戦争全体はそう呼べない、という皮肉である)
えーと、小林よしのりゴー宣シリーズでも・・・
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あるいは「張家口の戦い」というのがある。
自分は勝手に”根本博の乱”と呼んでいるけど(笑)。
まあこれは場所が大陸で、自衛戦争とは呼べませんな。しかし
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100818#p3
でも書いたが、「上からの武装解除を拒否して現地で戦いを継続し、民間人に脱出の機会を与える」ということの善悪はむつかしい。
詳しいことは
終戦時邦人四万人を救った“響兵団”
http://blog.goo.ne.jp/misky730/e/813ef9fa8717358b3e2791b158a55a16
という記事や
ウィキペディアの「根本博」
あるいは
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で、何がいいたいかというと、ここの戦いの意義や意味ということは余談で、それより以前の「日付」の問題です。一部では書名にもあるように、これらの戦いは当たり前ながら、ポツダム宣言受諾後、8月15日より数日後に行われている。
この関係者、とくに戦没者から見たら「8月15日に終戦式典、戦没者追悼式典を行う」というのは・・・おいおい早いよ、その日はまだ来るべき戦いの前段階だったよ、おれたちないがしろにされてるように思えるよ、となるんじゃないかな。
しかし、それに答えるとするなら、『そういうことは十分わかっているけど「全体でいうと」「おおまかにいって」という話があります。』ということでいいんじゃないだろうか。
現在の中国が、香港の主権をイギリスから奪回したのは1997年7月1日。
しかし中国は1949年10月1日の「中華人民共和国」成立を記念し、「10月1日」を国慶節としている。
今回の「本土は4月28日に主権回復をしたが、沖縄や奄美は回復しなかった。なぜその日を記念日として祝うのか」という議論は、こと日付の問題に限って言えば、そんな話に聞こえてならない。