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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

終戦記念日は大戦の終わり?…いや「占守島戦争(8/18)」「根本博の乱(8/19)」のプロローグである…

これは過去記事紹介と、そこからの「再放送」にて。

8月18日「占守島戦争」

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ゴーマニズム宣言占守島の戦い

ウィキペディアの「占守島の戦い」参照。

占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1945年8月18日〜21日に、千島列島北端の占守島で行われたソ連労農赤軍と日本軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が占守島に上陸、日本軍守備隊と戦闘となった。21日に日本軍の降伏により停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大人数もろとも拉致・シベリアへ抑留された。

そういえば「占守島」のはてなキーワードって最初は自分が作ったっけ。
これは数年前、小林よしのりゴーマニズム宣言」シリーズの何かで漫画化されてまずそれなりに話題になった。

【追記】調べたらここに収録。

よしりんはしばしばバランスの欠いた議論をするものの、知らないうちに戦記漫画家としてのストーリーテリングや描写力は相当なものを身につけていて、この漫画も読ませる迫力は大いにあったと思う。



そして今年は、何しろ大ベストセラー作家がテーマとして取り上げた。
将来は何らかの形で映像化される可能性もあるだろう。

終わらざる夏  上

終わらざる夏 上

終わらざる夏  下

終わらざる夏 下

(略)
この占守島の戦争は、いろいろな面で特殊なものだ。
戦略上は別として戦術上は勝利といってもいい展開をした・・・いや、ここをそのままソ連軍が無血で占拠したら、北海道へ向けてそのままどんどん侵略を続け、他の例から考えるとそのまま併合したり傀儡政権が立ったかもしれないから戦略上でみても、戦後の日本にはたいへんな功績をもたらした。


そして名分論でいえば、このソ連軍は20世紀三大虐殺者の一人、ヨシフ・スターリンが領土欲に駆られて送り込んだ軍であり、それを迎え撃つ防衛戦争という点では珍しく”日本の正義の戦争”でありえた(もちろん、日本のいわゆる”昭和戦争”の大半に大義が欠けているか、少なくともまだら模様だからこそ「珍しく」という言葉を使っているのです。その島はもともとアイヌが…まで広げると違うが、ハワイの米国支配の歴史はまた真珠湾攻撃とは別だろうし)。


だが、今は日本政府も民間も「占守島の防衛戦争に立ち上がった勇士を称える」というような催しを大々的にやるというようにはなっていない。
これはまぁしょうがないですね。

そもそも8月のメディアのテーマは「反戦」。
読んで字の如くで戦争反対、そして「戦争の犠牲者を悼む」のですから「占守島で日本軍が戦闘をせずにそのまま武装解除され、戦闘は回避(※この可能性も確かにあった)されたら最悪だった。この島で戦争が始まってよかった!!」とは言いがたいフンイキ(笑)。
実際、せっかく玉音放送が流れて命拾いした直後に再び銃を取らざるを得ず、島に散った戦死者たちがいる。彼らにとっては、その後のソ連軍支配がシベリア抑留などいかに過酷であろうと、この戦闘が北海道のソ連圏化防止に貢献していようと、「自分にとってはそこで無抵抗のまま武装解除してほしかった。戦争反対」となるだろう。
A:防衛戦争であってもB:侵略戦争であってもC:ナントカ共栄圏建設の戦争であっても戦争は悲惨で回避すべきなのか。それとも最初のAだけは武器をとって立ち上がる”べき”なのか。
(後略)




8月19日「根本博の乱」

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邦人のタテとなりソ連機甲部隊の侵攻を阻止したわずか一個旅団の戦争。敗戦を迎えてなお、ソ連・外蒙軍から同胞を守るために軍・官・民一体となって力を合わせた人々の真摯なる戦いを描く感動作。

こういう本がある。
また、自分がその名をこの「乱」命名した、根本博に関してもいくつかの評伝本があるという。

在留邦人4万人、無事日本に帰還!その恩義を返すため、将軍は、漁船で台湾へ向かった…。60年の歳月を経て今、明かされる日本人司令官の知られざる生涯。

経験談も交えたある人の回想が、このブログに記されている。

http://blog.goo.ne.jp/misky730/e/813ef9fa8717358b3e2791b158a55a16

根本司令官は悩む。大本営の「即時停戦、武装解除受託」命令に従えば、ソ連軍は張家口に殺到し、引き揚げ直前の邦人は大混乱に陥り、市街は地獄絵図となる。ためらった末抗戦を決意、支那派遣軍総司令部に打電した。「八路軍及び外蒙ソ軍侵入は敢然これを阻止する決意なるも、もし、その決心が国家の大方針に反するならば、直ちに本職を免職せられたく、至急何分のご指示を待つ」という職を賭しての抗戦の決意を報告した。
綿密な邦人脱出計画この根本司令官の決意はいち早く丸一陣地を死守する響兵団の将兵に伝わり、士気は一気に高まった。根本司令官は張家口を満州の二の舞にはさせじと立ち上がった。

八月二十日、多くの住民に通達されたのは、「治安が悪化して今晩一晩情勢が悪いので、一晩分の非常食を持って国民学校に集まれ!」というもので、住民は学校へと急いだが、その途中で出会った人達から、「学校ではない、駅に行っている」と声がかかった。駅に着いたら、「早く汽車に乗れ、大きな荷物はここに置いて行け、後から送る」という。
駅前には家財等が山と積まれ、着の身着のままの住民は駅構内に停まっている貨物列車に急いだ。駅前の荷物は持ち主の元に戻ることはなく、列車が発車した後、荷物は現地人が略奪した。「引き揚げ命令」でなく一時避難」としたのは、身一つで素早く引き揚げきせようと、わざと出したニセ命令だった。嘘をつくことになったが、僅か二日間で四万人の残留邦人を引き揚げさせる苦肉の策は見事、図に当たった。

参謀辻田新太郎少佐は豊川市にお住まいで、戦後はずっと農業に従事され、請われても自分は人前にでるような者でないと頑なに拒み続けた。
昭和五十三年六月に楷行社から『殿軍(しんがり)響兵団の対ソ戦記』という印刷物が出版されたが、これも、「主だった関係者が鬼籍に入り、古稀を迎えた自分が今、書かずんば、この事実が永久に歴史の裏側に埋もれてしまうに違いない。事実をそのまま述べ、独立混成第二旅団の実績を、後代に残さんとするもの」と参謀は端書きに記した。

兵団は、寒北の野に潰ゆとも 敵には渡さじ四万の同胞

豊川市のお宅をお訪ねした時に参謀殿は静かに仰言った。「英霊となった八十余名の部下達を始め全員を無事連れて帰りたかったがそれが出来なかった。そんな私が表に出る立場にはない」と。丸一陣地の戦闘時の心境を表した詩は引き揚げ者の胸を打つ。

〔兵団は、塞北(さいほく)の野に潰(つい)ゆとも敵には渡さじ四万の同胞〕

戦後参謀は敵前撤退した八月二十一日を英霊の命日と定め、毎年自宅に祭壇をしつらえ、そこには英霊の御名前を記した霊璽簿を捧げ、戦地で参謀を助けた愛馬の名前も書き記し祈っておられた。


2013年に、4月28日を「主権回復の日」といて式典が行われた時「当時、そこに含まれなかった沖縄、小笠原、奄美を無視する行いだ」と批判があったと記憶しているが、それと同様に考えれば、8月15日に戦没者を慰霊するのは、この「根本博の乱」や、「占守島の戦い」での戦死者を無視する行いではないか、という論議もありえるかもしれない。

現に、これらの戦いは、70年という区切りでも、政府の公的な追悼は無いようである。
(略)

本来「民間人を守るため停戦命令を無視する」軍は肯定できるか?

ねえ。
だから自分は、内蒙古の戦いを「根本博の乱」と呼んでいるのだ。「叛乱」だとね。つまりは

…敕命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從をして、誠心誠意活動して來たのであろうが、既に天皇陛下の御命令によってお前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは敕命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。

と、当たらずといえど遠からず、な立場なのだ、彼らは…。


そこで思考実験として「銀河英雄伝説」5巻からの”二次創作”を。

銀河英雄伝説〈5〉風雲篇 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈5〉風雲篇 (創元SF文庫)

「お気持ちはよくわかります。でも、もしそんなことをしたら、悪い前例が歴史に残ります。軍司令官が自分自身の判断をよりどころにして、政府の命令を無視することが許されるなら、民主政治は最も重要なこと、国民の代表が軍事力をコントロールするという機能を果たせなくなります。ヤン提督に、そんな前例がつくれると思いますか」
シェーンコップの口もとが皮肉にゆがんだ。
「それでは聞くがな、もし政府が無抵抗の民衆を虐殺するように命令したら、軍人はそれに従わねばならんのかね」
ユリアンは、はげしく亜麻色の頭を振った。
「そんなことは、むろん許されません。そんな非人道的な、軍人という以前に人間としての尊厳さを問われるようなときには、まず人間であらねばならないと思います。その時は、政府の命令であっても、そむかなくてはならないでしょう」
「………」
「でも、だからこそそれ以外の場合には、民主国家の軍人として行動しなくてはならないときには、政府の命令には従うべきだと思います。でなければ、たとえ人道のために立ったとしても、恣意によるものだとそしられるでしょう」
シェーンコップは、ポケットウイスキーの瓶を意味もなくもてあそんだ。
「坊や、いや、ユリアン・ミンツ中尉、お前さんの言うことは全く正しい。だが、そのていどの理屈は、おれにもわかっているんだ。わかっていてなお、言わずにはいられないのさ」
「ええ、よくわかります」
それはユリアンの本心だった。
(徳間文庫版5巻 340-341P)

田中芳樹を撃つ!」サイト古参兵のひとりとしても、銀英伝が総体として読み継がれれて行くであろう古典であることや、そこから数々の思考実験ができる傑作であることを疑ったことはない(※そのへんを高く評価する必要のない作品は別にある(笑))。


だからここで当方の”二次創作”は、ローゼンリッター隊長に、こう質問を追加させよう。

では中尉に、もうひとつ追加で質問だ。あの金髪の軍隊ならその心配はないだろうが、相手の軍隊がその実績や性格上、もし物理的な抵抗を行う存在が無ければ、猛然と占領地になだれこんで民間人への攻撃、略奪、暴行をとめどなく行うだろう……と推測する合理的な理由があったとする。
この時に、停戦命令をわれわれが受けた場合は、自分が手を下すという意味の虐殺はないが「ほかの虐殺をだまってみている」という意味での責任が生まれるかもしれない。
そんな場合はどうすべきかね?

と。
よかれあしかれ、「スターリンの軍隊」に直面した占守島内蒙古の日本軍は、客観的にそういう状況だった、と言っていいのではないか。

そこで、なんと答えるべきか。書いている自分も結論は用意していない。


もしここで、無条件に「それは善です」と言ったら、PKOにおける「駆けつけ警護」や南スーダンにおける「友情の銃弾」にも関係してくる、ことも指摘しておきたい。

(後略)