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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

一つのIf〜「ヒトラー『我が闘争』は皇国日本に無礼ぢゃ!」と、日独同盟の阻止は出来なかったか?(本日放送・映画「山本五十六」より)

はじめに、長い余談。(飛ばしてもいいです)

■間もなくアニメが始まるという「まおゆう」と平野耕太ドリフターズ」って隣接ジャンルやねん。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130104/p2

については多くのブックマーク、ツイートなどをいただきました。最初に放送される「TOKYO MX」の視聴者は、既にごらんになられたでしょうか。
ところで、上記エントリー記事から、はてなが自動的に紹介してくれる関連テーマ紹介機能をいろいろ飛んでいると

■ある作品が車輪の再発明かどうかは受け手によるんじゃないかなー
http://d.hatena.ne.jp/alphabate/20130105/1357380441

というのがあって。そこでこの作品を
紺碧の艦隊的な未来技術・未来知識チート
 
勇者が魔王を討伐しに行ったら、そこにいたのは現代の知識(と言うより中世から現代までの知識?)を持った魔王で、その魔王に協力を持ちかけられて世界を変えていく…
 
と、定義・紹介されていました。(片方は引用)
広く言えば、自分が紹介した「ドリフターズ」も含めそういうジャンル、でしょう。当方のエントリのブクマで類似作として挙がったのが「JIN−仁」でした。

はっきり「タイムスリップ」「タイムマシン」、あるいは「時間ループ」という舞台設定だと分かりやすいのですが、異世界設定でも、要は主要人物の知識や技術が一歩も二歩も進んだ”未来”のものである、その技術や知識を、遅れた過去(異世界)の妨害や無理解、ハンデを乗り越えて実際に生かせるか?
 
……これはだれが元祖か、誰がどのパクリかを論ずる必要もない、膨大なジャンルのあれこれでしょう。
ジパング」「僕はビートルズ」「遥かな街へ」「未来の想い出」「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」……ええい、多すぎて出し切れないわ!


で、これはそういう問題にとどまらない。
なぜならもちろん、「君が、わたしが、実際にタイムスリップしたとき、どういう技術によってその時代(異世界)で生き残っていくか」という深刻な問題に関係してくるからです(笑)
この話題は一回書いた。

村上もとか「仁−JIN」から〜 さて私たちはタイムスリップしたとき何の技術を見せられるか?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110421/p2

のだが、私はいろいろと考え続け「この技術で、タイムスリップしたときにその世界で食っていこう!!」というのをいくつか新たに考えだしました。

同リンク先のコメントには某理系マッドサイエンティストが「17世紀に飛ばされても、写真機を作れる」などと豪語しており、そのへんもムム、ちょっと詳しく…な話なんですが、この「実際にタイムスリップした時にどうする?」第二弾は、また別の機会に記事にさせていただきたいと思う。

では、そのマクラを置いておいて今回の本題に入っていきます。

「日本近現代史を、小さな力で大きく変えられる If 」の一つ…「ヒトラー・ドイツは日本人も差別してるじゃないか!」で日独同盟をご破算にはできなかったか?

上のマクラ部分で書いたSF的If、「俺個人が、昔にタイムスリップした時にどう食っていくか」については、いいアイデアを思いついたのでひとまず安心した(後日、皆さんにもお伝えしましょう)。
 
さてそうやって過去の世界で落ち着いたところで……その後、「日本の歴史を、ものすごく小さな力で変えるには?」という考察をしていく。

そういう話だと、やっぱり昭和戦争に至るまでの戦前というのが、なんとなく気になってくるのですね。といっても、徒手空拳、何者でもない人が、そう簡単に社会を動かせるとも思えない。SFじゃないんだから(自己否定)。

と、いうところで・・・、書いてる現在は6日午後7時直前、あと二時間か。本日の「日曜洋画劇場

http://www.tv-asahi.co.jp/nichiyou/

2013年1月6日(日) よる 9:00 〜 よる 11:24 放送
聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-


誰よりも、戦争に反対した男がいた…。今明かされる衝撃の真実!
豪華キャストが集結、空前のスケールで描く歴史超大作がテレビ初登場!


1939年夏。支那事変勃発から2年、支那を支援する米英と対抗するため、陸軍は三国同盟締結を主張。国民の多くも強大なナチスの力に熱狂し、新たな軍事同盟に希望を託していた。
しかし、海軍大臣・米内光政(柄本明)、軍務局長・井上成美(柳葉敏郎)、そして海軍次官山本五十六役所広司)は「世論」に対して敢然と異を唱えていた。「日本がドイツと結べば、日本の10倍の国力を持つアメリカと戦になる…」。
その後、三国同盟問題は棚上げとなり、山本は聯合艦隊司令長官に就任するが、ナチス国防軍ポーランドに進攻。欧州で第二次世界大戦が勃発すると、再び三国同盟締結を求める声が沸騰する。その流れに抗しきれなくなった海軍大臣・及川古志郎は・・・(略)

自分はこの映画、劇場で見たが、特に特筆すべき新視点も、驚くような映画的場面もなく…さりとて破綻してるようなところもない、ありていに言えば平凡な作品だったという感想を当時は持った…。あ、監修の半藤一利氏の視点を反映して「軍人(山本)を弱腰だと批判し強硬論を扇動する民間言論人」を重要な登場人物としたのはあたらしかったかな。

だが、印象に残るくだりがある……。
この平凡な映画は、ごく平凡にコミカライズもされていました。
そこから引用しよう。
血気盛んな、三国同盟推進派の若手軍人を、山本五十六らがたしなめるシーンがあるのだが・・・

若手将校の「そんな話はありません!」は、原文にあるのに日本版には無かった、というオチ。

手塚治虫アドルフに告ぐ」でも、ヒトラーのアーリア至上主義と、現実政治で日本と「三国同盟」を結ぶ矛盾、については描写されていました。

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

実のところ…自分が歴史物語を読み始めた子供のころから、後知恵の強みで持ってこの疑問は以前から点灯していた。「なんぜ人種差別主義で白人至上主義のナチが、日本と同盟を結べたの? 日本のほうが怒らなかったの?」と。

まあ、その後、こう仮説を立てた。
「そりゃ、情報、言論の流通が制限された時代だからね。ほんの一部の人しかしらず、情報も統制されたんだろう…」と。実際に、戦前に「我が闘争」が日本語訳されたとき、きれいさっぱりこの日本民族2流論は消されていたといます。


ただ……映画の「山本五十六」が描写したように、少数派とはいえ三国同盟反対派、親米英派もおり、そこにはドイツ語を話すインテリもいた、言論人もいた。そして天皇機関説だ排日事件だと、権力を揺るがすような「怒れる大衆」を扇動できるほどには情報化社会にもなっていた。
そして何より、「ナショナリズム」「日本一等国論」の立場からのドイツ批判だから、当時の右翼主義もこちら側に自然と回るか、状況的に回らざるを得ない…。

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

「無礼千万 ヒットラの暴言」
「皇国侮辱に 怒り満つる」
「欧州の狂人 無知無道の愚著」
「断然 対独国交義絶せよ」


みたいな見出しが新聞紙上に踊り、親独派は失脚、対独同盟はご破算…となるか、と思ったのでありました。
そして、SF的に現代の知識、情報を持った人間が「小さな力で大きく社会を動かす」なら、この部分が一番あり得たんじゃないかなあ、と考えていたのです。
これは映画を見る前から考えていたことで、映画でその場面を見たときにあらためてその思いを強くし、本日その作品のテレビ放送、そしておとつい「まおゆう」の記事を書いたことで、いまこうやって文字に残している次第です。
 
もちろん、SF的想像をこのまま進めるなら、独伊と組んでの戦争と敗戦を回避できた日本が、実際に戦争と敗戦、その後の西側陣営化と高度成長を達成した現実の日本よりいい状況になることはまったく想定しにくいのですがね。


狂信的極右思想家「蓑田胸喜」??が(一時?)この「国粋的ナチ批判者」だった??(うろおぼえ)

ただ、4、5年前だったろうか…。
まさにこの「国粋主義的発想から、ナチスのアーリア至上主義を批判する人間がいた」という、どこかの雑誌の記事を読んだんだわ。
書いている人も、たぶん聞けば皆が名を知っているような有名な書き手だったという印象がある。
しかし、いつか書こう、調べようと思っているうちにそのへんをすべて忘れた。雑誌名も…

いま、蓑田胸喜という名前を出しているけど、これも実はネットで<戦前 ナチス 批判 国粋>とか、あらゆるキーワードをぶっこんで検索した仮説なんだ。(たぶん合っているだろうけど…) まあほかにはこの時代の国粋思想家は、平泉澄とか大川周明しか知らないしな。知らない人物の名前だったら、印象には残ってないはずだ。
ナチス思想批判』 原理日本社、1940年。
ナチス精神と日本精神』 原理日本社、1940年。
という本もあるらしい。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268325
でもこの「批判」って「純粋理性批判」とかの”批判”かもしれないしなー。画像で読む気にもなれないし。


そして
SF的想像をたくましくしても、蓑田胸喜山本五十六がタッグを組んで、新聞社や雑誌社とともにナチ批判の世論を扇動する構図はちょっと想像がつかない。


今の視点からはやっぱり理不尽、理屈に合わない気がするが、やはり現実というのはままならないというかなるべくしてなるもので、「我が闘争の日本蔑視記述がスルーされた」のも、歴史の必然だったのだろうかしら…。

なんて、ほんとにタイムトラベラーみたいな感想を持ってもしょうがないのだが。


おしまい。


あ、書き終えたらちょうど午後8時半。あと30分でテレビ朝日系列「日曜洋画劇場」にて「聯合艦隊司令長官 山本五十六」放送。