http://meinesache.seesaa.net/article/301573385.html
アメリカのオバマ政権は、「We the People」というサービスをしています。どんなサービスかというと、ホワイトハウスのページで何か政策提言をして、提言してから1ヶ月以内に2万5000人の署名を集めると、政府から返答するというものです。
(略)
さてこのページでロックなことが起きています。大統領選の直後から前代未聞の提言が続々と立ち始め、盛大に署名を伸ばしているのです。それは「☓☓州に連邦からの平和的離脱と新政府の樹立を認める」という・・・
まあ一目で大統領選の「腹いせ」と分かるけど、2004年には逆の側が「(カナダと合併して)リベラルの『カナダ合衆国』と、保守の『ジーザスランド』に分離したい・・・」とか言ってたんだから、これに文句をいう筋合いもあるまい(笑)
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というか、南北戦争の時代からそもそも言われていた「州に連邦政府からの離脱、独立の権利はあるか?」という話が関係してるっちゃしてておもしろい。リンカーンはアメリカ史的には「奴隷解放の父」である以上に「統一連邦維持の父」であり、武力にも訴えたが理論上もいろいろ「なぜ独立は認められないか」という議論を構築し、訴えたんだよな。
http://dsssm.yukihotaru.com/sonotarekishi/cvilwar.htm
南部人の不安は対立の中で極度に高まっており、もはや冷静な判断は不可能であった。北部の世論は南部を非難し、ついには武力まで使いつつあるではないか。南部諸州は奴隷制なしでは崩壊するしかない。だとしたら、もともと「州」こそが基本単位であるアメリカにおいては、奴隷制を維持する為に南部諸州が「連邦」から脱退することに、何の不都合があろうか?
1860年11月6日の大統領選挙で、奴隷制廃止を党是とする共和党からリンカンが当選を果たした。それを見た南部の7州は次々に連邦を離脱し、「南部連合(正式にはアメリカ連合国)」を結成した。
しかし、これは北部人と大統領リンカンにとっては、許しがたいことであった。平和のうちに分離してもよいとは言わなかった。州の権利を優先させて分離することを許せば、いずれアメリカ合衆国は次々に州単位で分裂し、連邦の存在は地上から消滅してしまう・・・
民主主義国家の中での独立論議
カナダのケベック
・・・カナダからの分離主義的傾向が永年にわたってくすぶり、1970年には過激派「ケベック解放戦線」 (FLQ) のテロで州副首相が誘拐、殺害される惨事(オクトーバー・クライシス)も起こった。政治レベルでの連邦政府への反感も根強いが、独立を巡って1980年と1995年に行われた住民投票では、2回とも否決された。1980年の住民投票では独立反対の割合が約60%。1995年の投票ではモントリオール市民、先住民ならびにメティ(先住民との混血者)たちの反対票が勝敗を決したものの、反対票の割合は約50.6%と賛成と反対の差が縮まっている。カナダ最高裁は単なる過半数の賛成では条件に満たないとした
英国のスコットランド、ウェールズ、
スペインのカタルーニャ、バスク
イタリアの北部
チェコとスロバキア(実現)
沖縄もそういう論議がないわけではないが、上のものとは今のところ、リアリティの面で違う、将来はわからないが。