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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ミステリーの国際連帯」はあるのか・・・怪盗と名探偵は、国境を越えたか?

本当は昨日の「アバンチュリエ」と一緒に議論したい話だったのだが・・・
これは今回の号ではなく、先の号から。
ホームズ(作中のショームズは、自分的には脳内変換しています)はルパンの共犯者を突き止め、確保に成功したが、それを護送する自動車の運転手が実はルパン本人に摩り替わっており、そのままルパンはホームズを拉致、自分の配下の汽船でイギリスに「強制送還」しようとします。その一場面。

怪盗1名、名探偵1名。しかし、オトナ0名(笑)・・・という名場面であります。
自分がアバンチュリエに限らず、怪盗vs名探偵(「怪人vs名探偵」と表記されることも多い)というシチュエーションを愛好するのは、結局この対面する二人が似たもの”同志”でありお互いがお互いの最大の理解者であり・・・、原っぱで夕暮れにも気づかず夢中で鬼ごっこをしているような、そんなほほえましさがあるからだ、と思います。


さて、そこで話は「ミステリー読者、愛好者。そして執筆者」のほうに移る。
この前、くしくもノーベル文学賞が「日中作家のマッチレース」となり、合わせて「中国でも、村上春樹は大人気」という報道がされたのだが・・・それに合わせて「日本で人気のポップカルチャー」という報道もされ、そこで

「中国でも、『名探偵コナン』がダントツに人気」という報道がなされた。

「中国 コナン 人気」などで検索すると、下のリンク以外でもさまざまな資料が出てくる。
http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/51853087.html
http://j.people.com.cn/94475/7638826.html

これ自体はまったく不思議ではない。ときどき、自分の子供のころの感覚を失って「小難しい理屈、トリックの謎解きを求めるミステリーって、コドモがよろこぶのかなあ?」と思ったりするが、コドモは喜ぶのだよ。それは小学三年の冬、図書室から借りて家で読むのももどかしく、子供向けに翻案されたホームズものと、もうひとつはウイリアムアイリッシュの「暁の死線」の翻案を読んだ記憶を思い出せば十分だった。(しかし、なんでアイリッシュなんかを最初に選んだのかなあ?)

密室殺人であれ、厳重な警戒下からのダイヤ盗難であれ・・・そんな謎に、パイプをくわえるなり、あるいは薄汚れたトレンチコートをはおった探偵、刑事が挑む・・・それにワクワクさせられる人種に、国境はなく、また歴史の差もない。

中国は推理小説に限らず、すべての娯楽、エンターテインメントが毛沢東や四人組の狂気によって「反資本主義」の色眼鏡越しに検閲されたタイムラグがあるだろうが・・・「子供向け犯罪ミステリー」が何の問題もなく受け入れられ、それが十数年の人気を保ったことは、中国がいまゆるぎない「大国」であることの原因でもあり、結果でもあると思う。

ミステリー黎明期の興奮と熱気と。

日本でも不思議なもので・・・いや不思議でもないのか。
明治維新と文明開化で瓦版以上に安くて詳しい「新聞」が生まれると、瞬く間に「新聞連載小説」がそのキラーコンテンツになった。
デュマ「三銃士」が1844年、ユゴーの「レ・ミゼラブル」開始が1845年。新聞小説は数十年の創意工夫、熟成を経て、満を持して日本に殴り込みをかけたわけだ。

その中に推理小説もあり、いまだに「ああ無情」というレ・ミゼラブルの題名訳が人口に膾炙している黒岩涙香もいろいろ海外ミステリを翻訳した…と、子供のころ読んだ中島河太郎の「推理小説の読み方」(ポプラ社)にあった。
http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=51300060

この、「推理小説」が日本に上陸したときのワクワク感たるや、どんなものだったのだろうね・・・。と、それを感じさせてくれるエピソードがある。


日本美術史に名を残し、英語による日本文化紹介でも大きな功績を残す岡倉天心が、子供が英語学習でホームズものを使い始めた、と聞くと「うむ、自分もその本を楽しく読んだものだ。ひとつ長編を読んでやろう」と、原書を持ってこさせて(ちゃんと第一作「緋色の研究」であるところが大したもの。)すらすらと即興で和訳講談に及んだ。それが出来る英語力と日本語力はどんな高レベルか想像も付かないが・・・

そして、ご存知の通りこの作品は二部制になっている。
岡倉 「さて、めでたく犯人は逮捕された。このあとは、この恐るべき犯罪を生んだ過去の因縁が語られるが、夜も遅いし明日にしようか」
 
岡倉の子供 「そんなのやだ!!今話して!!」
 
岡倉「・・・じゃあママさん、もう一本お銚子つけてくれ(チラッ)」

岡倉の妻は主人の健康状態を心配し、家では一晩に一本という決まりを普段は厳守していた。しかし、このときばかりは妻もホームズ譚の結末が気になり(笑)、追加の一本がめでたく天心の前に並んだ。

そして文字通り”味をしめた”天心、その後も「四つの書名」「ホームズの冒険」などを順次即興翻訳で聞かせては、多めの晩酌を楽しんだ、そうである(笑)。



この話は小林司東山あかねの最強コンビが編集したアンソロジーにあったのだが、何しろこの二人のホームズ本は多すぎて思い出せない。1980年代半ばには出ていた本なのだが・・・元は岡倉本人の回想らしいから、探せば初出も出てくるだろうけど。


でも、この岡倉宅で繰り広げられた、ワクワク感に満ちた宴・・・推理小説の原始的な、根源的な魅力もあるけど「いま、ここに、今までどこにもなかったエンターテインメントが繰り広げられている!」という、そんな歴史的感覚もあったのじゃないだろうか。
それが戦後の「手塚マンガ」や「SF」、70年代の「劇画」、80年代の「ゲーム」「ライトノベル」などにもあったのかもしれない。そして80-90年代の「UWF」「総合格闘技」にも。


ミステリーはいかに世界を超えるのか。世界を変えるのか。

さて、ここから話題が変わる・・・というかようやく本題を迎える。今までのが前フリだという、おそるべき構成である。

自分も我流ながらオリジナルの研究論文(未査読)を発表しているからシャーロキアンは一応名乗れるはず。これね↓

==シャーロク・ホームズ  「最後の事件」の真相に関する一考察==
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110911/p2 

だが、さて一歩進んでパスティシュをつくる、となると・・・架空・実在をとわず同時代人とからめたり何なりは簡単なのだが、トリックが思いつかないんだよね。

正確にいうと、自分の中では2つほどトリックは考えたことがあるが、客観的に分析すると、まあ、あまり出来のいいトリックではないと見なさざるをえない(笑)。


推理小説の魅力は、トリック以外にもあるが(後述)、やはりトリックは大きな大きな、核心的な魅力だ。

・・・で、この「推理小説でトリックをつくる才能」というのは、司馬遼太郎が「軍事的天才の才能は、各民族の歴史で一人か二人いればいいほうで・・・」といったアレじゃないけど、あまねく世界に散在しているものなんじゃなかろうか?と。
要は、「コナン」で目覚めた中国人の推理作家がいま現在、もしくはアフリカのボツワナ共和国でいま現在、あるいは台湾で、トルコで、ブルガリアで、ニカラグアで・・・
 
つまり各国の「推理小説エリート」のトップに立つ作家というのは、どれも一流の斬新なるトリックを生み出していて、ただ単にそれが伝わってないだけじゃ、ないのだろーか・・・と思ったりするのです。

ここで、読売新聞の今年5月1日の文化面記事を紹介したい。
「日本ミステリー 米で台頭」と題する記事で、以下箇条書きで要約

・米国ミステリー賞の最高峰、エドガー賞東野圭吾氏の「容疑者Xの献身」英語版がノミネートされた
・2004年には桐野夏生氏の「OUT」がノミネートされた
・2009年、ビズ・メディア社が伊藤計画の「ハーモニー」を翻訳、P・K・ディック賞ノミネート
桜坂洋氏のライトノベルAll You Need Is Kill」がハリウッドで映画化


こういうのは慶賀の至りだし、「一声かけていただけば、日本ミステリーがさらに世界を驚かせる用意はありますよ、ふふふ」と俺の功績でもないのにどや顔になるが(笑)、逆にこういうのを見ると「中国や韓国、南米のミステリー作家が書いた、あっとおどろく奇想天外で斬新なトリックのミステリーが既に存在していて、我々が知らないだけなんじゃないか?」という、逆の思いって感じませんか? 感じないですか。


まあ、そういいながらも実際にそういう翻訳ミステリーが出版されて、売れるかどうかといえば・・・俺が直接買うかも含めて責任はもたない。韓流ドラマはあれだけ輸入されているが、推理、刑事ドラマ的なものもあるのかな。映画ではいくつかあったね。


そんなアジア各国のミステリー史を紹介するサイトが

■アジアミステリリーグ
http://www36.atwiki.jp/asianmystery/pages/42.html

「ミステリーの国際連帯」を阻むものは・・・”風”か?

前述した「トリック以外の推理小説の魅力」について。

落語の話から。
今年でた、

噺家のはなし

噺家のはなし

にこんな一節がある。

立川談志は晩年の著作で「落語は江戸の風が吹く中で演じられるべきものである」と説いた。談志が「江戸の風を感じる演者」として五街道雲助を挙げ・・・(略)他にも意外な落語家の名が挙がっていた。橘家圓蔵だ。圓蔵は「江戸の粋」を感じさせるタイプではない。むしろ正反対の爆笑派だ。その圓蔵に「江戸の風が吹いている」と談志が指摘したことは、極めて大きな意味を持つ。

・・・「江戸の風が吹く、吹かない」はオールマイティーなぶん大雑把で、ただの雰囲気や好き嫌いになってしまうおそれもなきにしもあらずだが、しかし、そういいたくなる何かによって、その落語家の面白さ、魅力が決まる・・・という部分はあると思う。


ミステリーに際して、「江戸の風」に相当するものが何か、というと分からないのだが、仮に自分の原点であるホームズ物からとって「ロンドンの風」とでも呼ぶとしたら・・・BBCがこの前製作、日本で放送された、ホームズを現代物に翻案した「シャーロック」は・・・たしかに「ロンドンの風」が吹いていた、と思う。舞台が21世紀のロンドンだ、という意味じゃないぞ(笑)。
ミステリーをミステリーとして楽しめる雰囲気というか、背景へのリスペクトというか・・・やはり感覚的なものになってしまう(その限界も承知)が、そういうものがあった、という気がしましてね。
アバンチュリエ」も・・・「パリの風」とすべきだろうか・・・。それを感じるものがあった。

【追記】この「シャーロック」が日本で漫画化されたとか。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-656d.html


ミステリーはやはり、そういう何かがあったほうがいいのかもしれない。
だからまだ伝統のある英米ミステリの日本輸入ならともかく、世界各国の「ミステリー・エリート」たちの国境を越えた国際連帯が難しいのかもしれない。いや、もう始まっているのなら失礼しました、だが。

いっそ「国際トリック見本市」をやったらどうだろう?

「優れたトリックは世界共通」だと思うから、クイズやバラエティ番組の世界進出にあるように、その作品丸ごとでなく、アイデア部分、トリックの骨子部分だけ国際的にやりとりしたらどうなるだろう(笑)。
「XXXの風」をその国の風土に合わせてそれぞれの国の作家が書き、最後に「トリックは20xx年にA国の作家XXが書いた『○○○』から権利を取得した」と。それが突破口となって、XXの作品はその後直接翻訳されていくかもしれねーし。
 
実際のところ金田一少年もコナン君も、そういうマーケットがあったら大助かりじゃないか、と思います(笑)。