佐野哲也twitter・2012年8月27日
(格闘家の佐野哲也さんのtwitterアカウントは一回、移転しています)
https://twitter.com/t2ysano
佐野 哲也 @t2ysano
土曜のブロガー会で「当て勘って何?」という話題がありました。なので格闘技をかじった自分なりの意見を言ってみたり。「防御ってシステムを無意識的に崩せる人じゃないですか?」と。
さらに言えば「当てるのが上手い人」の一段階上に「急所(顎やコメカミ、レバーなど)に上手い人」がいる。と。コンビネーションや相手の攻撃を読んで技術的に行うこともあるだろうけど、「なんとなく」それができるのが「当て勘」かなと僕は思います。
続・当て勘について。相手に打撃を当てるためには乗り越えないとならないのは防御。その防御をくぐり抜ける方法を意識的に行うのが「技術」で無意識的に行うのが「当て勘」かなと思います(さっきの繰り返し)
防御はガードだけでなくステップバックやスウェイ等に加え間合いの取り方も含まれると考えます。それを打開するために上下に攻撃を散らしたり(総合や組み技があるものは組み際離れ際も使ったり)、間合いの詰め方に変化をつけたり。
顔面だけでも真っ直ぐ(ストレート)と横(フックや回し蹴り)、下からの攻撃などの打ち分けもあったり(ホーリーランドやオールラウンダー廻にもそんな描写ありましたね)。
で、当て勘がある人ってのは「あ、ここ空いてるじゃん」といきなり当てることができる人ではないかなと。金田一少年が難しい設問をパッと解いちゃうみたいな形で。
じゃあ、「観戦者は技術か当て勘かを判別できるのか?」となりますが、無理だと思います。意識的か無意識かは当事者しか分かりませんし。だから当て勘という言葉が当てはまるかは当人に後で訊かないと分かりませんし。
あと身体能力が高い(攻撃や動きのスピードやパワー)のはどっちって話ですが、それは意識的(強いって分かってるから)なので前者の「技術」に含むものとします。
ということで「技術」も「当て勘」もないプロレス・格闘技好きブロガー(KO勝ちほとんどない)が思ったことを書いてみましたー。
とまあ、勝手にブログのエントリにしちゃうのだが。
「『当て勘』か、技術が高いのかは外から観てもわからない。」という命題(というか選手本人の証言)は興味深い。
いちど「当て勘」という言葉の発生時期、語源的なことが気にになって、ここで書いたことがあったのですが・・・
「当て勘」という言葉はいつ広まったか?命名者は誰か?(日曜民俗学)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110524/p2
ここでも
「でも考えてみると当て勘って不思議な言葉だね」
「技術の説明、ちゃんと理がある打撃の技をこの言葉で安易に説明してしまうきらいもあるよね?」
「でも実際に『当て勘』というしかないようなセンスの持ち主がいるのも事実」
てな議論をしていました。安易に説明するときに「勘」という概念は持ち出しやすいんだろうね。
夢枕獏の・・・格闘小説じゃなくて伝奇小説「陰陽師」に、こういったくだりがある。
岡野玲子の『陰陽師1』(P.83-85)の中で、安倍晴明は
「この世で一番短い呪とは何だろうな」
と友人につぶやいた後、
「名だよ」
と言います。さらに、このように呪について説明しています。
「呪とはようするにものを縛ることよ
ものの根本的な在様(ありよう)を縛るというのは名だぞ」
http://blog.livedoor.jp/yoki/archives/15564804.html
「”呪” とはなんであろう?」
すると晴明は、庭に咲く花を指差して答える。
「あそこに花が咲いているであろう。あれに人が”藤”と名を付けて、みながそう呼ぶようになる。すると、それは”藤の花”になるのだ。それが最も身近な”呪 ”だ」
概念・定義、ということでもあるけどね。
そこで行われたことは白虎隊も五稜郭の戦いも変わらないのに、明治維新をどう定義するかでこんなに違う。
共産党系の講座派は、明治維新後の日本を絶対主義国家と規定し、まず民主主義革命が必要であると論じた(「二段階革命論」)。これに対し、労農派は明治維新をブルジョア革命、維新後の日本を近代資本主義国家と規定し、社会主義革命を主張した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%AB%96%E4%BA%89
何が違うのかわからんちゃわからん。
だが、「A選手は、お馴染みのみごとな当て勘でKO勝利!」と書くことが、一種の”呪”なのかもしれないなあ、と思ったり。
だが一方で・・・
当て勘=「距離を切り取る力」=「空間把握能力」か?(仮説)
自分がまとめたtogetter「2012年1月の青木真也」に、ムエタイについて青木が語る場面がある。
■togetter「2012年1月の青木真也」
http://togetter.com/li/239807
きゃ!(b^ー°) RT @aliveacademy: 青木vs北岡を何度も繰り返し観てるが、とにかく青木真也の「空間を切り取る能力」は素晴らしい。正に理想形だ。
a_ok_i 2012/01/01 13:46:15簡単に言えば距離感でしょう RT @Frigid_Star: 「青木真也の「空間を切り取る能力」」とはどんなものなのだろう。たとえば
a_ok_i 2012/01/01 14:59:37距離感って簡単にいうけど地道な練習しないと身につかないんだよね。ミット打ちが一番大切。
a_ok_i 2012/01/01 15:09:01ムエタイは距離の競技なのです RT @Frigid_Star: @a_ok_i ムエタイの強豪はみな距離感がいいなと思います。
ここで「距離を切り取る能力」という言葉が出てきたのが、その後「ウルトラ怪獣トーナメント」超獣代表にバキシムが出場したことにつながるのは内緒だ(笑)
■もしウルトラ怪獣が最強決定トーナメントを行うなら、組み合わせはこうなる(断言)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120328/p1
余談はどーでもいい。
空間を切り取る能力、ということでいえば・・・たとえば外科医が、血管や神経をイメージしてメスを動かす、あれはどうなのだろう?
「ゴッドハンド輝」では、医者が細いひもを結んだりすることで「空間把握力」を鍛えるというトレーニングがよく出ていた。空間把握力というのは鍛えて鍛えられるのだろうか。
さらに飛ぶと、「空間把握力」で良く出てくるのが「方向音痴」との関係。そして車の車庫いれだって、要は車の横や後ろのスペースと車の距離の把握なのだろうから、この能力に近い・・・・のかな?????・
そもそも、「空間把握能力」「空間認識能力」ってのも新しい言葉のような・・・
ウィキペに頼ろう
ウィキペディアの「空間認識能力」
空間認識能力(くうかんにんしきのうりょく)とは、物体の位置・方向・姿勢・大きさ・形状・間隔など、物体が三次元空間に占めている状態や関係を、すばやく正確に把握、認識する能力のこと。空間認知(くうかんにんち、英:Spatial Perception、独:Raumwahrnehmung)、空間識(くうかんしき)、空間知覚(くうかんちかく)の能力をいう。
球技等で狙った場所にボールを当てることや、飛んでくるボールを掴むこと、もしくは二次元に描写された地図を見て、その地形の構造を把握する能力、これが空間認識能力に当たる。
生物が生きていくのに必要な、外敵から身を守ったり、迫り来る危険の度合いを測定するといった能力も、空間認識能力に関係するといわれる。
空間認識能力は、視覚・聴覚など複数の感覚器の協力で成立し、右脳によってコントロールされる。人間ではその脳の構造上、女性より男性の方がこの能力は高いとされる。アクロバット飛行を行う航空機のパイロットは空間認識能力に優れているが、女性のパイロットが少ないのはこの為である。
また、小学校などでの運動会で行われている「玉入れ」競争をすることは、単に楽しむためだけでなく、空間認識能力の発達具合を確認するという意味も含まれている。
空間認識能力を高める方法 [編集]
三次元空間に存在する自分と自分に相対する物品の中で過ごすことにより空間認識能力は高められる。
子供の頃なら、野山や野原で遊ぶことで空間認識能力は自然に身に付くが、現代の子供が野山や野原で遊ぶことは少なくなっている。そのため、空間認識能力を高めるには、屋内で可能なトレーニングを行う必要がある。
空間認識能力は目を開けている状態よりも閉じている状態の方が活発に稼働する為、目の前に置いてある物を取るなどの日常の中で何気なく行なっている作業を、両目を閉じて直観を働かせて行なうだけで、空間認識能力は鍛えられる。
では仮説(なんの調査もしないで言うのは仮説じゃなくて妄想だ)。
「一流の空手家、キックボクサーなどの打撃格闘家に方向音痴や『クルマの車庫いれがヘタ』という人はいない」
実例、反例ありますでしょうか。