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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「スクールカースト」という言葉はすっかり定着したっぽいが、はや語源も初出も不明になりそう(・・・だったが手がかりを得た(追記))。

スクールカースト・語源・造語・研究・調査】【日曜民俗学
上の「『当て勘』という言葉はよく出てくるが、よく考えると正体不明だなあ」という話に関連して。
スクールカーストという言葉が、どうも最近はすっかり市民権を得た・・・は言い過ぎでも、市民権を得つつあるなあ、というのが、自分の感覚的な実感。
とくにお堅い「WEBRONZA」では論考の見出しにまで取られていたっけ。
著者は松谷創一郎氏で、新著では章の見出しにも「スクールカースト」という言葉を使っているそうな。

http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20120827/p1
2012/08/27/Mon
■[another view]1991年のスクールカースト:映画『桐島、部活やめるってよ』公開&拙著『ギャルと不思議ちゃん論』出版記念

 今月11日に吉田大八監督の映画『桐島、部活やめるってよ』が公開され、25日に拙著『ギャルと不思議ちゃん論』が出版されました。

ギャルと不思議ちゃん論―女の子たちの三十年戦争

ギャルと不思議ちゃん論―女の子たちの三十年戦争

 『桐島、〜』にかんしては既に『WEBRONZA』誌で「“スクールカースト”を精緻に描いた『桐島、部活やめるってよ』」という論考を書いたり
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/2012081800008.html

、ネットストリーミング番組『WOWOWぷらすと』(これはもしかすると今後YouTubeにアップされるかも?)や、『ニコ生PLANETS・8月号「徹底評論:夏休み映画SP」』で話しました。
 (略) さて、僕がこの『ギャルと不思議ちゃん論』で唯一残念だったのは、この映画『桐島、部活やめるってよ』について言及できなかったことです。試写状が来なかったのでタイミング的に仕方なかったのですが、本書とこの映画はとても関連が深いのです。
 どの点においてかというと、もちろんそれはスクールカーストについてです。『ギャルと不思議ちゃん論』では、「スクールカーストと2000年代」という項目を置くほどに言及しているのですが

少なくとも出版社の編集者が「スクールカーストってなんですか?そんな変な言葉、読者には伝わりませんよ!」というような状況じゃなくなったみたいですね。


自分が「スクールカースト」(という用語の定着)にことさらこだわるのは、ほぼまったく同じ概念を説明する言葉として「スクールポリティックス」というのを自分で思いついて使っていたからなんだよね。
バクマン。」連載開始時に初登場させたから2008年。

バクマン。は「スクールポリティックス」(略称スクポリ)を描けるか
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080826#p4

ウィキペディアの「スクールカースト」によると、2007年にすでに書籍にこの言葉が紹介されている(ネットではもっと早い?)そうだから後発ではあるんだろうけど、まあベータビデオの開発者の100万分の1ほどの悲哀を味わった(笑)。昨年、この用語戦争の敗戦をみとめ帰順しています(笑)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110220/p7

そんなわけもあって「スクールカーストという言葉(概念)は定着したなー」と感心しています。上エントリに書いたように、夢枕獏のオカルト小説をもじっていうなら

「あそこに学校内で、目に見えない序列や人間関係があるであろう。あれに人が”スクールカースト”と名を付けて、みながそう呼ぶようになる。すると、それは”スクールカースト”になるのだ。それが最も身近な”呪 ”だ」
(元ネタ http://blog.livedoor.jp/yoki/archives/15564804.html )

ということでもあるかもしれない。

こういう、ネットスラングなどの言葉がちゃんと定着するかどうかを
しょうこりもなく「新語サバイバル」という言葉で定義したが、この言葉自体がサバイバルできそうもないのである(笑)。

■「言うだけ番長」(前原誠司)は政治の世界に定着するか?サバイバル新語を考える。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111224/p2

でも「言うだけ番長」はけっこう生き残りそう。


で、「スクールカースト」を造語した・・・定着させたのはどこの、だれ?いつごろ??
ウィキペディアにあるように「2007年に教育評論家の森口朗が著書『いじめの構造』で紹介」したことが、一番の手柄ということでいいのかな?今の時点ならまだ証言者、・・・登場の場を覚えている人がいると思うんだが、そういう方は語ってください。

いじめの構造 (新潮新書)

いじめの構造 (新潮新書)

あ〜る、鳥坂先輩涼宮ハルヒキョンってスクールカーストではどこに位置づけられるの?

いま、あらためて「スクールポリティックス」のほうで検索して過去記事を読んだらふと思った疑問
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090116/p4

学校の中での「全校公認トリックスター」という地位は、それこそ生徒会長とかインターハイ全国優勝とか、周辺高校をすべてシメた番長連合の総長とか、女性だったら全校一のマドンナ…というのに負けないぐらいに魅力的で、「なれたらいいいなぁ」と思うような存在なんだ、ということなんじゃないかな。

「あ〜る」に関してよく聞くのは「この漫画を読んで本当に光画部(もしくは別の「XX部」。すべて文化系)をつくっちゃいました」・・・「不思議ちゃん」とか「中二病患者」とかそういう用語も後に作られるようになっていく。

でも、『平凡であるぐらいなら、思いっきり「奇人」になりたい』『奇人として扱われたい』そういう欲求って、やっぱり若者の間には普遍的にあるものじゃないかしら。

これ書いたとき、まだ「涼宮ハルヒ」を実際に読んでいなかったというアレだが(笑)、今は数シリーズ読んで、主人公が「キョン」君であることは把握しています。


たまたまリンクしたところが「不思議ちゃん」論の著者だったことも因縁だが、このへんの関係はどんなものでしょうかね。たとえば春風高校に「桐島」はいないのでしょうか、それともカメラを光画部以外に向けたら、やっぱりいるのでしょうか、

【追記】貴重な当事者証言を頂いた!!!

コメント欄より!

森口朗 2012/09/02 10:21

スクールカーストという言葉は、はてな界隈で流行った言葉であり、それを紙レベルのメジャーメディアに初めて取り上げたのは私です。その前に国会証言で東大教授の本田由紀氏が「スクールカーストというものが存在している」という趣旨の発言をしています
新潮新書の編集長(当時)が「スクールカースト」という言葉を使うことに消極的でしたが、それを押して納得していただくことができたのは本田氏証言があったからです。
ちなみに私がはてなで「スクールカースト」の存在を知ってのはmasao氏のネット内論考を読んだことがきっかけだったので、彼に「あなたがこの言葉を最初に使ったのですか」と質問したところ、masao氏はアメリカのハイスクールにおける校内序列に似た状況が日本にもあり(但しアメリカほどマッチョに人気がある訳ではないですが)、それを「学校カースト」と名づけたのは自分だが、それがスクールカーストという名で定着したといったことをおっしゃっていました。
 ということで、誰が「スクールカースト」の名づけ親かは存じませんが、それがメジャーになった顛末は以上の通りです。

【さらに追記】この証言を参考に国会会議録を「スクールカースト」で検索すると、見つかりました!!
165 衆議院 青少年問題に関する特別委員会 3号 平成18年11月16日

○本田参考人 過去との変化ということについて、私が思うところを、必ずしもデータできちんと立証されているわけではないんですけれども、印象として思うことを申しますと、佐藤俊樹さんという社会学者が、「「がり勉」の絶滅」という非常におもしろい論稿を書かれているんですけれども、昔は、がり勉でも、ある程度尊敬を受けて、学校の中で、学級の中で生きていくことができた。でも、今、がり勉は生きていく道がなくなっている。今、学校や学級の中で生きていくためには、もっとスマートで、ただ勉強がよくできるだけではもう生きていけなくなっていて、対人能力、コミュニケーション能力というものがとても重要になってきている。ただ必死で、周りと自分を閉ざして勉強だけに熱中しているような子供は非常にいじめの対象になりやすいということを指摘していらして、私もちょっとかかわったデータからそういう印象を持ちました。
 思うのは、今、若者のコミュニケーション能力が低下している、低下していると言われますけれども、実はそうではなくて、若者の中で求められるコミュニケーション能力の水準というのは極めて全体として高度化していて、その中で、かつては問題視されなかったような、ちょっとそれが劣っている子が非常に目立っていじめられるような傾向があるのではないかと思うのです。
 それは、多分、若者や子供の中では非常にさまざまな消費文化が浸透しておりまして、例えば、どういうゲームをするか、どういうテレビを見るか、何を着るか、どういう音楽を聞くかによって、さまざまに若者の中での多様性が増していまして、その中で、違う他者とどう関係を取り持っていくかということが昔よりも難しくなってきているからだと思うのですね。そういうごちゃごちゃした多様なメンバーの中で、どう受けをとっていけるか、おもしろいことを言ってまとめていけるか、リーダーになっていけるかということが非常に若者の中で要求されるようになってきているように思います。
 例えば、最近ネットの中でよく話題になっている言葉として、御存じかどうかわかりませんけれども、例えばもて系、非もて系という言葉を御存じでしょうか。だれがもて系で、だれが非もて系であるかということが物すごく若者の中で意識されるようになってきて、もて系の方が順位が高いわけですけれども、あるいは、場の空気を読めるかどうかということが、これも若者の中で非常に重要なテーマになってきている。あるいは、スクールカーストという言葉を御存じでしょうか。学校の中にインドのカースト制と同じような、そういう対人能力とか、どれぐらい巧妙にうまく振る舞えるかどうかによって、カーストのようなランキングができてしまっているということが言われているのですね。
 そういうことが対人能力において洗練されているかどうか、やぼったかったり暗かったりするのではなくて、仕切っていけるかどうかという能力において、今非常にシビアなランキングが若者の中に生じているということが、そういうヒエラルキー、階層制に基づいたいじめというものをふやしているのではないかと私は思っております。そういう対人関係やコミュニケーション能力が低下しているのではなくて、全体として水準が上昇していて、その中でちょっと劣っている子がいじめられがちであるということとともに、皆さん御存じのように、過去の長期不況の中で、日本社会は非常に厳しい若年労働市場状況に直面してまいりました。日本社会がどこに向かっていくのかということに関して、今景気が浮上している中でも、全体として、行く末に関する展望というものが失われている状況にあります。そういう中で、それを若者たちは非常に鋭敏に感じていると思います。そういう閉塞感が、そういう対人能力というか、今この場での人に対するさげすみみたいなものと合わさって、余計に苛烈になっているのではないかというふうに私は見ております。

id:TRiCKFiSH 2012/09/02 10:31

松谷ともうします。著書をご紹介いただきありがとうございます。
本のなかでは、「スクールカースト」は、学校内格差それ自体がポイントなのではなく(学校内格差自体は、上のエントリでも紹介したようにむかしから調査研究はあります)、このネットスラングが浸透したことが重要なのだという話を書いております。もしご興味ありましたお読みいただければと思います。

id:Masao_hate 2012/12/17 22:35

遅いレスになってしまい恐縮ですが、言及を発見してしまったので…

森口先生からも言及いただいているMasaoです。はてなキーワードスクールカースト」の登録者でもあります。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%AF%A1%BC%A5%EB%A5%AB%A1%BC%A5%B9%A5%C8

このキーワードを登録したのが2005年頃ですが、当時、自分のブログで自分の経験を元にスクールカーストやモテ/非モテについて頻繁に言及しており、それがトラックバックはてなブックマーク等を通して広まっていったという経緯です。

ただ、自分はそれより以前、90年代終盤にカルメン伊藤氏が自身のサイトで使っていた「学校カースト」という言葉をこの概念の下敷きにしています。
http://web.archive.org/web/20050212131433/http://www.246.ne.jp/~supercar/otasen03.html

スクールカーストの概念が言葉にされているのを私が見たのはこれが初めてで、自分が知る限りこれが語源と言っていいのではないかと思います。ただ、この言葉を知る以前から、自分の友人の間では「1軍、2軍、3軍」とグループに序列を作ることを中学時代(90年代中盤)にはやっていたので、 id:gryphon さんもおっしゃるように、以前から存在していた現実に名前が追いついたという感じなのだと思います。