梶原一騎つながりではないが、
この2本の記事に関する感想を書いてみたい。はてブ数を見て分かるとおり、大きな反響を呼んだ、「挑戦者ストロング」ブログの記事。
■夢が金に屈するところばかり見せつけられている
http://d.hatena.ne.jp/Dersu/20120503#p1
■作品とキャラクターの根幹を揺るがす無神経
http://d.hatena.ne.jp/Dersu/20120506#p1
最初の記事(「夢が金に…」)から引用、CMの動画も一緒に。
キリンビバレッジCM情報・キリンメッツコーラ「矢吹ジョー篇」
「あしたのジョー」はオレにとって大切な大切な、かけがえのない漫画だ。矢吹丈をはじめとする登場人物たちは、今も我が胸の中で生きている。個人的な思い入れは、到底ここで書ききれるものではない。一方で「ジョー」が国民的な人気漫画であること、知名度抜群のキャラクターが広告に使用された場合の効果のほども理解できているつもり・・・(略)2012年、今回は矢吹丈がハンバーガーやピザをむしゃむしゃ食べ、だけどキリンのコーラを飲むから減量もヘーキ、というわけだ。(略)…作家の魂が作品を生むとするならば、オレたちは死ぬまでにあと幾度、金が魂を踏みにじる場面を見せられなくてはならないのだろうか。作品に見いだした夢が現実の金に屈するさまを、何度耐え凌げば勘弁してもらえるのだろうか。
キリンは立派な大企業であり、当然ながら版権使用料を払い作者許諾を得たうえでCMを作っている。だからこのCMに問題はない。それが理屈だ、よく判る。だけどそれって、100兆円払ってモナリザを買っちゃえば、あとは焼こうが裂こうが持ち主の自由って理屈だよな。
(略)・・・キリンのような大企業が世に出すCMである。何十人、何百人の大人が関わっている、大きな仕事の筈だ。関わった連中、誰ひとり、このCMはファンの反感買いますよ、やめましょうとは言わなかったのだろうか(略)
なかなか、こういう迫力の文章は書けるものではない。それだけの思いとか熱量とかを感じさせ、無条件でウラーと叫んで賛同したくなる。というか、うちのブログの過去記事でも、主に「くまのプーさん」に絡んでディズニーに対して近い趣旨のことを書いていたと思う。
だが・・・この問題に対して近年の自分が少し考えを変えたのは、森田崇氏がルブランの原作をかなり忠実に再現する形のアルセーヌ・ルパン劇画「アバンチュリエ」の連載を開始し、そのつながりで「ルパンvsホームズ」についてのあれこれを再度調べなおしたからです。
そのとき、書いた記事がこれ。
■森田崇「アバンチュリエ」でルパンvs「ホームズ」?キャラ対決の古典 -
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111022/p2
ま、ともあれ誕生から100年を越えた今、ルブランが「ルール違反」をしたかどうかはともかく、もしそうなら、その”ルール違反”が両方のキャラクターに活力を与え、人気の源になっていることは否定できない。「著作権」が高度に、複雑に、強固になった今でも、何か学べる話
ネタ元であるウィキペディアの「ルパン対ホームズ」を再引用したほうがいいかな。
ショルメは初登場作品「遅かりしシャーロック・ホームズ」では、『ジュ・セ・トウ』誌での発表時、「シャーロック・ホームズ」本人として登場した。これはすぐさまシャーロック・ホームズシリーズの原作者アーサー・コナン・ドイルから厳重な抗議を受けた、という話が流布しているが、実際にそのような抗議が行われたという証言はルブランもドイルも残していない。『シャーロック・ホームズ百科事典』の著者マシュー・バンソンは「ルブラン側からホームズの登場許可を得ようという働きかけがあったが失敗した」という説を唱え、フランス・ミステリ研究家の松村喜雄は「ドイルはルブランの作品を知りつつ、あえて黙殺した」と解釈している[1]。
ともあれ作者ルブランはこのキャラクターを「ショルメ」と改名し、これ以降キャラクター付けや外見も明確にホームズとは違った別キャラクターとして構築し直した
シャーロック・ホームズは小生にとっても、最初に紹介したブログの筆者id:Dersuさんにとっての矢吹ジョーには及ばぬものの大切なキャラクターであり、また自分のホームズ観はイスラム教でいえばワッハーブ派なみに厳格な「小林司・東山あかね」派の宗門であり、ルパンを敵視・・・というか邪教視すること並々ならぬものがあった(笑)。
しかし森田氏の「アバンチュリエ」で描写されるホームズ(=ショームズ)を見るにつけ、和解と寛容の精神が広がっていったというちょっといい話。
このへんについては
■では仕切り直しでアバンチュリエ&今年は「シャーロキアン誕生100周年」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111121/p3
で森田先生のツイートを紹介している。またこういうtogetterもあり、まさに「他の作者が生んだキャラクターを自分が動かすときに、どんな敬意を払いつつ自分の意思(夢)を反映させるか」という話にとって大変参考になる。
■森田崇先生の「ホームズ(ハーロック・ショームズ)の描き方について」
http://togetter.com/li/219597ハーロック・ショームズの描き方、ホームズファンを意識していろいろ迷ったが、結局「遠慮なく描く」これが一番キャラとして魅力的になるとわかってきた。「アバンチュリエ」や原作でルパンを好きになってくれた読者はわかってくれるかもしれないけど、「マヌケさ」も愛嬌になって魅力になるのだ.
原作ルパンも、それを活かそうと努力している「アバンチュリエ」も、ルパンの天才性を描く一方、ルパンを相当マヌケにも描いている。ここで、ホームズに遠慮してショームズをかっこ良くしすぎることを意識してしまうと、結果的にショームズのキャラの魅力がルパンよりずっと下になってしまう.
ショームズ対ルパンは、どちらも主人公と思えるような、キャラの魅力においてもがっぷり四つになっていないといけない(略)
実際、ドイルの本家シャーロック・ホームズだって完璧超人ではない。失敗もするし、偏屈でエキセントリックでコカイン中毒だったりするのだ。そしてそこが魅力・・・(略)
ルパン作品はホームズファンから苦々しく見られたりしてきました。そしてそれは、人のキャラを使ったルブランに負い目があるのはしょうがないと思いますwただ・・・(後略)TAK_MORITA2011/11/26 09:49:23.
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最新号です。おちょくってます。というか世界最大の名探偵とその助手の言ってることが、落語「粗忽長屋」での熊さん八っぁんと変わらん(笑)
むろん、そもそも作者ルブラン、そして漫画化している森田氏がホームズ・オリジナルに持つ敬意は、「コーラのんでGO!」のジョーCMと一緒になるはずもない。そのへんは後述するので待ってくれ。
もうひとつ、もう少し分かりやすい話。
そう、ボーイズ・ラブ(BL)というやつのパロディである。
■新作のホームズ映画に著作権者が怒る「ホームズとワトソンを、同性愛っぽく描くな!」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120321/p3
思い起こせば、たぶんまだBLなんて言葉がなかった時代。
小生は古本屋でのホームズの研究書やパロディ本集めに熱中しており、ぶっちゃけ中身を見ずに買っていた。
そのうちの一作が
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たしか、買ったあとで「あとがき」を読んで、「この作品は、ホームズとワトソンの恋愛を描き・・・」みたいな記述がアリ、自分はこの本をぱたりと閉じ、どっか箱かなんかに放り込んだと記憶している。探せば出てくるかもだが。たしかに少女漫画的表紙だなあと思ったが。
ホームズとワトソンに恋愛関係だとか、ワトソンは女性だ説なんてのがあることは小林司氏らの研究書でも紹介されていたし、ファンロードには「やおい」漫画があることがネタにされていたから、普通の人よりは予備知識はあったはずだが、小説仕立てで一冊、本がまるごと出版されているとは思わなかったから不意打ちだったのだろう。
それから幾星霜、いまやそういうBLのジャンルも、BLを基盤とした、とある作者の物語を改変した二次創作もすっかり市場として成立している、らしい。
だが、
かつて銀英伝のそういう創作に激怒した田中芳樹氏のように、いまだにこれらの作品を、特に自分の好きな作品のそういうパロディ化を許さん!という人も多いだろう。作者はOKでもファンのほうが許さん、やりきれない・・・というパターンもあるかもしれない。
だがしかし、BLというものの存在価値は、頑迷な世間に対しても、今月最新刊が発売される
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そして映画化第二弾が製作されるという
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あ、よしなが氏ってひょっとしてパロディ的なBLには手を染めてないのかもしれない。知識不足で申し訳ない。だが作家の中には「BL的二次創作、パロディ作家」→「そこで鍛えてオリジナル作品の傑作描く」人もいるかと思う。逆に言うと、そういう手腕の作家によるBL二次創作パロディに、作品として傑作がないとは思えないのである。
【追記】コメント欄より。
id:otokinoki 2012/05/09 07:42
よしながふみは、それこそ「銀河英雄伝説」の二次創作を手がけていますね。これがクオリティが非常に高く、ひょっとすると今現在となると、銀英伝のカバーやコミックは道原かつみさんより、よしながふみさんの方が向いているかもと思わされたりします
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そして、こっちの例なら、論理以外の感覚で分かる人もいるだろう。
「おれたちにとって大切なキャラクターを、勝手に別の人が懸け離れたことをやらせている」
「夢が金に屈している」
という議論は、やはり・・・・
原作では熱き友情や誇り高きライバル関係であるものを恋愛・性愛に変換させた物語として描くBL系二次創作に対しても、適用されておかしくないのではないか?ということ。
もちろん最初のブログで書かれているコーラと、BL二次創作(の傑作)では、質の差は大いにあると思う。だが、
「CMというのは商品を売るもんだから、キャラクターが本来の意味と違っててもいいんだよ。だけど原作で命がけの戦いをした男キャラクター同士を、愛だ恋だとやるのはねえ・・・」と、後者のほうを問題視する人も、これは確実にいると思う。
自分は転向したとはいえ「世界最高の探偵を、若造のこそ泥と互角扱いするとは、ルブランめ許さーん!!」な人もいるだろう。
ではどうするか。ここで、なぞの表題が関係してくる。
「ナータン・ルール」とは何か?
詳しくは
■宗教的寛容を描いた古典戯曲「賢者ナータン」が、翻案されて小説に(岩波書店)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120130/p4
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で紹介しているけど、分かりやすく要約しよう。
もっともナータンはこの劇中で、寓話として語っているので「ナータン・ルール」より「三つの指輪ルール」のほうが分かりやすいかもしれない。
【「三つの指輪」寓話の要約】
・ある家の正統後継者には代々「この持ち主は、必ず偉く、幸福になる」とされる指輪が伝わっていた。
・ところが…ある代の当主には3人の兄弟がいたが、父親はその全員をすべて愛し、誰を後継者にするか決められなかったのでこっそり寸分たがわぬ模造品を2つ作り、3人にそれぞれ渡したのだった。
・3人の兄弟はそれぞれが「自分の指輪こそ本物だ!」と不仲になって言い争い、最後は裁判所にこの紛争が持ち込まれた。
・、この裁判官が大人物だった。彼は、こう判決を下した。
「互いの指輪を贋物だと批判しあうのではなく、それぞれが懸命に生きて、最後に、幸せな人生を送ったと皆に思われるかどうかで競い合いなさい―――」
(これはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教間の争いと和解を寓話にしたものである)
つまりはこういうことを考えています。
これは上記、ホームズとワトソンの関係に著作権者がクレーム、の記事に書いたのだが
結局のところはルールで処理するしかないんでしょう。
ホームズの著作権が日本では消滅している以上、同性愛的に描こうが麻薬中毒者に描こうが(つうか実際にそうだわな)自由。著作権が存続している国では、そうである以上は、その権利者がある程度口を挟むのは認めざるを得ない。
そのクレームがぐっジョブか、トホホかとは別の話として存在するのだと。
ということで、著作権があるうちは著作権者の意思に従いつつ、著作権がないものは・・・
それぞれの価値観や美意識が異なる以上、
「健康にいいコーラを飲み干すジョー」も「恋愛関係のホームズとワトソン」も「フランスの若造怪盗に翻弄される名探偵」も、とりあえずはアリとする。
ひょっとしたらCMディレクターやプロデューサーだって、「俺はにこやかにコーラを飲む矢吹ジョー像を、世界に問いたい!俺の魂をこめた、『新釈・あしたのジョー』サーガが、ここから始まる!!」みたいな、ヤマトの西沢プロデューサーじみた情熱があるのかもかもかもかもしれないし。
そしてあとは、歴史と市場とファンの声に信頼し、イメージに合うもの、クオリティのあるものだけが受け継がれていく・・・そう信じるというか、そうするしかないかなあと思います。
ただ上のナータン・ルール(三つの指輪ルール)、原典では「異なる相手を批判するな」的なニュアンスがあるが、そこは修正しておきたい。言論市場では多いに「あしたのジョーのコーラCMはクソだ」「ディズニー版『くまのプーさん』は鬼畜外道の所業」と言い合っていい。それでふるいにかけて、イメージとは固まるものなのだろうし、もともとのブログもそういう意図だろう。(じゃあこのエントリの意義はあるのかという問題が出てくるのだが(笑)、念押しというか可視化ということでひとつ)
そしてその「自由なイメージ競争」で、よもやトクホコーラを飲んで笑顔の矢吹ジョーが残ったり、100年のちに再度劇画化されるとは思えない。
以上が、自分が考えるキャラクター問題のあれこれでした。