http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20120310-OYT1T00861.htm
3月11日付 編集手帳
使い慣れた言い回しにも嘘(うそ)がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海(こんまなみ)ちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい・・・(後略)
分量はたぶん通常の2倍。紙面ではこのコラムは、紙面の2/3を使う写真と共に「1面トップ」だった。
凝った言葉では届かぬ思いもあるが、言葉を凝らし尽くし、初めて伝わる思いもある。
この悲劇の同時代に、「編集手帳」子がいたことは僅かながらの救いであった。
自分はずっと前から、新聞雑誌あまたあり、どこにもコラムがある中でこの人が一等ぬきんでているといい続けており、ヒョードルをもじって「60億分の1コラムニスト」と呼んできたが、今や「リビング・レジェンド」ならぬ「ライティング・レジェンド」という感じだ。
東日本大震災に、このレジェンドが向かい合った2011年の編集手帳は既に新書になっている。
読売新聞朝刊一面コラム - 編集手帳 - 第二十集 (中公新書ラクレ)
- 作者:竹内 政明
- 発売日: 2011/08/10
- メディア: 新書
東日本大震災、政治の迷走、中東の動乱。日本も、世界も震えた2011年上半期。「これを言葉で伝えられるだろうか…」と悩みながらも、コラムの名手が真摯に綴った名文の数々。
読売新聞朝刊一面コラム - 編集手帳 - 第二十一集 (中公新書ラクレ)
- 作者:竹内 政明
- 発売日: 2012/02/09
- メディア: 新書
大震災から数ヶ月が経過したが、政治も社会も落ち着かない11年下半期。首相の交代、大臣の失言、天災の連続。海を越えれば、欧州危機からカダフィ、金正日の死去…時事問題に触れながらも、季節の折々に被災者に思いを馳せる。この半年を名コラムニストはどう切り取ったのか。