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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

関連書籍紹介でつづる、立川談志追悼(杉江松恋)&新聞追悼コラム・ラジオ抜粋

杉江松恋氏の書評追悼

■追悼、本でたどる天才立川談志の軌跡〜死んじゃったものは仕方ないじゃないか。いいときに死んだと思おうよ
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20111205/E1322998830615.html

計12冊だったかな。本人の著書、弟子の著書を合わせて紹介している。
こういう、ワンテーマを元に短文で多数の著書を一気に紹介する書き方は体力が必要だったり(笑)、ついつい一冊の分量が長くなったりで(このパターンがほとんど。締め切りとページ制限がない個人ブログではありがち)最近、自分はめっきり書かなくなっているけど、やるとしたらこういう書き方がお手本だ。

新聞コラムから

▼天才つながりか、手塚治虫さんと親しかった。漫画家に「丸が描けなくなりました」と明かされた談志さん、「先生にしか描けない丸もある」と励ましたが、似た晩年となった▼「師匠にしかできぬ噺(はなし)」は慰めになるまい。なにせ昭和の大名人を並べて、「晩年はやりやすい噺ばかり。それを枯れた芸なんてほめる奴(やつ)がいた」と突き放した人だ。「年相応」を拒み、退路は粋に断っていた。筆談の病床に去来したものは何か

◆奔放な発言は相手が“名人”三遊亭円生さんでも変わらない。「師匠ね、師匠は若い頃は売れなくて、いわば最近になって売れてきましたよネ。おれは最初からグワーッと売れてここまで来ている。グラフにすると面積はおれの方がはるかに多いですヨ」(自著より)

「ある日のこと、鉄拐のやつ、演者(おれ)に勝手に動き出したのだ。これには驚いた」。そう語ったのは立川談志さんだ▲4年前のその日、感動のあまり30人ほどの客は会場に残り、熱演のなごりを求めて座布団の写真を撮ったりした。その様子に楽屋のモニターで気づいた談志さんは「あいさつせにゃ」とシャツとステテコ姿で飛び出した▲あわてて弟子が服をまとわせた談志さんは謝意を全身で表して次々にツーショット写真に応じた。後に「乗りに乗って、初めて落語の奥義を覚えた」と記された伝説的名演の余韻を物語る一幕だ(略)▲エレベーターに乗ってくる客に「上ですか?」と聞かれれば「横には行かねぇな」。世の大勢には万事、憎まれ口の一つもなければ収まらぬ談志さんだ。その放言や毒舌への好悪の反応は分かれたが、こと古典落語の第一人者としての評価は年を追うごとに高まった

政務次官をクビになった談志が出ているよ」。参院議員時代、酒でしくじった例の事件の直後、寄席の出番があって出かけると、表でこんな呼び込みをしていた。案の定、師匠が高座に上がっただけで、満員の客は大爆笑だ。 ▼それまでは、自分の落語の出来不出来が、客にとって一番大事なことだと思っていた。実は違うと、悟ったという。「立川談志という存在自体を面白がっている。芸とは、パーソナリティーそのものだ」。 

一九七一年の参院選に出馬して、五十人の定員中、五十番目に当選した。その時のセリフがふるっている。「寄席でも選挙でも真打ちは最後に入るんだ」。その言葉は今も一門で「名言」として語り継がれているという(略)▼病院で本名を呼ばれ、「俺は談志だ」と怒ったというエピソードが有名だ。「人格も思考も、何もかも立川談志だった」(志らくさん)。「俺は、作品やってんじゃない。落語を使って、てめえを語ってんだ」。

上から順に朝日、読売、毎日、産経、東京の各1面コラム(11月25日)

桂枝雀の弟子のラジオトーク

12月に入ってか、その前か…平日だったと思う(たぶん12月2日だ)。
朝のラジオで、ふだんはTBSに合わせておくがたまたまその日のカーラジオがNHKだった。仕事中なので、冒頭やオチが分からず、この落語家の名前を知らないが、枝雀の弟子であることは間違いない。

【追記】コメント欄より
兎 2011/12/07 07:05
桂枝雀の弟子のラジオトーク
「ラジオビタミン」ときめきカルチャー、レギュラーゲストの桂文我さん。

以下、記憶による抜粋

・枝雀は、談志を大変に尊敬していた。ただ、尊敬が過ぎて、あまり親しく話そうとしなかった。
・ある時、どこかの立食パーティで、枝雀は談志と一緒になった。遠くで語り手も見ていた。談志は枝雀に向かって(※ここで声色入る)「ひとつ、落語の不条理について語りませんか」。
・落語論を語り始めたら止まらない・・・はずの枝雀と談志。これは聞き逃せない、と語り手ともう一人の仲間は興味津々で聞き耳。
・しかし枝雀師匠・・・「わたし、理屈きらいですねん」聞いてた語り手も大ずっこけ(※枝雀が「理屈嫌いです」は、或る意味それだけで超絶ギャグ…なにしろ「緊張の緩和」理論の人ですから)
・その後、枝雀が亡くなってしばらくした後、談志と語り手が話す機会があった。枝雀を懐かしみながらも、その一件があったのか「枝雀は、俺を避けてたよな?」と談志。

・語り手は「いえいえ違います」と。そして別の場所の思い出を語る。
・電車に乗って遠方(岡山だったかな)にお供しているとき、酒も入った気安さで「師匠、もし地球がこれから爆発して、自分ともうひとりだけ落語家を別の星に避難させるとしたら誰にします?あ、大師匠(枝雀の師匠)は置いといて」
・枝雀、しばらく考えて「談志さんだな」
・その理由も語る。「談志さんなら、地球が爆発して無くなっちゃった落語を、その星で復興できるからだ。話を発掘して、弟子を育てて、落語をゼロから作りなおせるからだ」
・この話を聞いた談志「・・・・今日は、話せてよかったよ」