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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ジェシー・オーウェンス(ベルリン五輪の英雄、黒人)への「五輪でヒトラーの人種論を打破!」という賞賛はそもそも間違いなんだろう。

昨日、なでしこジャパン北朝鮮のサッカーの試合があり、引き分けだったらしいと今日の新聞で読んだ(つまりニュースも含め見てない)。
んで、なんだかんだで五輪が決まったと。読み飛ばしたので理由は各自調査。
さて、えーと男子もまだ北朝鮮との試合がある。ホームとアウェイで1試合ずつだからです。

さて、日本vs北朝鮮ということで話題を振る。
あらためてtwitterを検索すると、ごく普通のサッカー観戦の感想だな、という記述が圧倒的に多い。体制の違いは体制の違いで、あるいは国家間の歴史は歴史で、それはわきに置いて基本、サッカーというものは行われるのだろう。

私ですらストイコビッチてえ選手が、ユーゴ紛争に際し”NATO STOP STRIKES(NATO空爆を止めろ)”とユニホームに書いて試合をしたら、協会のえらいさんから「政治的意見を持ち込むのはご法度なり」と怒られた、ことは知っている。

悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

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うん、スポーツと政治を切り離して考える。いいことですネ。
ただ・・・自分が「政治とスポーツを一体化させた」思想を知ったのは、ベルリン五輪を書いた読み物で、この記事の表題にうたったジェシーオーウェンスだった。
あらすじはこうだ。
 
ヒトラーベルリンオリンピックを開き、そこでドイツ選手が勝利することでアーリア人の優秀性を証明しようとした。しかし陸上競技で大活躍し、金メダルを4つも獲得した黒人種のアメリカ選手、ジェシー・オーエンスのせいでヒトラーの面子は丸つぶれ。
特に走り幅跳びでは、ドイツ選手がオーウェンスに及ばず銀メダルにとどまったため、ヒトラーは立腹して握手もせずに帰っていった…」
 
と。かなりの程度で事実だろうし、ヒトラーが人種主義者で無いわけがなく、オーウェンスの活躍に不愉快でなかったわけがない。
 
ただ仮にだ。
この走り幅跳びでドイツ選手がオーウェンスを抑えて勝利したとしても、ヒトラー的人種論が間違っていることには変わりない(スポーツの結果と人種の、統計的・科学的な相関はまた別の話だ)。「体制」もなおさらで、たとえば日本vs北朝鮮のサッカー試合が「自由民主義体制」vs「全体主義体制」の対決で、両者の優劣や正統性の高さがその試合によって決定する、そう認定していい……ということになれば、俺だって安穏とせず、観戦して日本を応援しなきゃいけなくなるが、そうじゃないから安心してスルーしているんだ(笑)。
 
してみると、オーウェンスのベルリン五輪の勝利はあくまでオーウェンスが速く走った、高く跳んだということであって、こちらもそこに「オーウェンスの勝利が、ヒトラーナチスの人種優劣論を打破し、ナチ体制の欺瞞を証明した!」なる物語を付け加えるのは、積極的に避けたほうがいいのではないか。

オーウェンスに負けて2位になったドイツ選手のおはなし。

これを書きながら調べた。彼は2位の宿命として、今や一般的には歴史物語の「背景」となったに過ぎない、かもしれない。だが・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

ベルリンオリンピック国威発揚の場と考えていたドイツ政府は、自国の選手に高い期待を寄せていた。既に1934年のヨーロッパ陸上競技選手権大会で走幅跳3位という実績を残していたロングは、その期待に応え予選ラウンドでオリンピック新記録を樹立する。一方で、オーエンスは最初の2回の跳躍がファールになって後がなくなってしまい、フィールドに座り込んでしまう。

オーエンスによると、ロングは踏み切り線の数インチ前から跳躍しろと話しかけてきたという。オーエンスがいつもより大きく助走開始位置を下げたので、ロングはオーエンスがファールを犯さずに次のラウンドに進めると思ったという。

オーエンスがそのように語ったことについては議論があるが、3回目の試技の時には非常に落ち着いており、踏み切りに約15cmの余裕を持って跳んだということは知られている。

そして、オーエンスは3回目の試技を成功すると、その後の試技でロングの記録を抜き、オーエンスは走幅跳で金メダルとなった。ロングは金メダルを獲得したオーエンスをまず祝福した。彼らは腕を組んで控室に入っていったという。
(略)
第二次世界大戦に従軍したロングはハスキー作戦に参加して1943年7月10日に重傷を負い、シチリア島のサン・ピエトロ・クラレンツァに設置されたイギリス軍の野戦病院で7月13日に死去した。
(略)
なお、2009年にベルリンで開催された世界陸上では、ロングの息子カイとオーエンスの孫マーリーンが揃って男子走幅跳の表彰式でプレゼンターを務めた。

また、オーウェンスは記録もさることながら、映画「民族の祭典」で、その肉体の躍動の美しさが世界に映像として伝わることでも名声を勝ち得た。
その監督はレニ・リーフェンシュタール
彼女は、ナチス党大会の映画「意志の勝利」を美しく撮ったのとまったく同じ技術と才能を駆使して、アフリカ系スポーツ選手の素晴らしさをフィルムに刻み込んだ。この逆説と皮肉。