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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

本日も、引用で。中島敦「弟子」より

中島敦が、孔子とその一番弟子・子路を中心に描いた短編より。
青空文庫より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1738_16623.html

・・・講誦を止めず切磋(せっさ)を怠らず、孔子と弟子達とは倦まずに国々への旅を続けた。……乏しくとも常に明るく、苦しくとも望を捨てない。誠に不思議な一行であった。
・・・陳・蔡の大夫共が相計り秘かに暴徒を集めて孔子等を途に囲ましめた。孔子の楚に用いられることを惧(おそ)れこれを妨げようとしたのである。暴徒に襲われるのはこれが始めてではなかったが、この時は最も困窮に陥った。糧道が絶たれ、一同火食せざること七日に及んだ。さすがに、餒(う)え、疲れ、病者も続出する。弟子達の困憊と恐惶との間に在って孔子は独り気力少しも衰えず、平生通り絃歌して輟(や)まない。従者等の疲憊を見るに見かねた子路が、いささか色をなして、絃歌する孔子の側に行った。そうして訊ねた。夫子の歌うは礼かと。孔子は答えない。絃を操る手も休めない。さて曲が終ってからようやく言った。
「由(※子路の別名)よ。吾汝に告げん。君子楽を好むは驕るなきがためなり。小人楽を好むは懾(おそ)るるなきがためなり。それ誰の子ぞや。我を知らずして我に従う者は。」
 子路は一瞬耳を疑った。この窮境に在ってなお驕るなきがために楽をなすとや? しかし、すぐにその心に思い到ると、途端に彼は嬉しくなり、覚えず戚(ほこ)を執って舞うた。孔子がこれに和して弾じ、曲、三度めぐった。傍にある者またしばらくは飢えを忘れ疲を忘れて、この武骨な即興の舞に興じ入るのであった。
 
 同じ陳蔡の厄の時、いまだ容易に囲みの解けそうもないのを見て、子路が言った。君子も窮することあるか? と。師の平生の説によれば、君子は窮することが無いはずだと思ったからである。孔子が即座に答えた。「窮するとは道に窮するの謂(いい)に非ずや。今、丘(きゅう。※孔子が自らを呼ぶ時の名)、仁義の道を抱き乱世の患に遭う。何ぞ窮すとなさんや。もしそれ、食足らず体瘁(つか)るるをもって窮すとなさば、君子ももとより窮す。但(ただ)、小人は窮すればここに濫(みだ)る。」と。そこが違うだけだというのである。子路は思わず顔を赧(あか)らめた。己の内なる小人を指摘された心地である。窮するも命なることを知り、大難に臨んでいささかの興奮の色も無い孔子の容を見ては、大勇なる哉と嘆ぜざるを得ない。かつての自分の誇(ほこり)であった・白刃前に接(まじ)わるも目まじろがざる底の勇が、何と惨めにちっぽけなことかと思うのである。

李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)

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「小人窮すれば…」は論語「衛霊公編」にある
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/8_1.html#anchor443293

現代人の論語 (文春文庫)

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