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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

メア発言、なおも「正確ではない」と言い張るオフレコ感覚の粘りにある意味驚嘆

昨日だったかおとといだったか、新聞巻頭コラムがそろってメアの差別発言批判。
全部リンク貼るの面倒だからこっちからお願い
http://link100.in/newspaper-5.html
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110308-OYT1T01118.htm

3月9日付 編集手帳

 国連が各国にアンケートした。「他の国の人々が食料不足に苦しんでいることに、ご意見をお聞かせください」。回答不能の国が続出した。米原万里さんの『必笑小(こ)咄(ばなし)のテクニック』(集英社新書)に見える笑い話である。調査が難航した理由は?◆アフリカでは「食料」の意味が、西欧では「不足」の意味が、社会主義諸国では「意見」の意味がそれぞれ理解されなかった。そして米国は「他の国の人々」の意味が分からなかった…◆国務省「日本部長」の肩書をもつ人にして伝えられる発言が事実ならば、笑い話の通り、あるのは自国の意思と戦略のみ、「他の国の人々」を理解できぬらしい・・・(略)

http://www.asahi.com/paper/column20110309.html

2011年3月9日(水)付
 ベトナム戦争で、アメリカは第2次世界大戦の総量の3倍を超す爆弾を相手に浴びせた。司令官だったウェストモーランド将軍が、記録映画「ハーツ・アンド・マインズ」で語っていたのを思い出す。「東洋では人の命は安いのです」▼時をへても、差別意識はあの国から容易に消えないのだろうか。沖縄総領事だった米国務省ケビン・メア日本部長の発言が、沖縄への侮辱だと怒りを呼んでいる。植民地主義の残滓(ざんし)のような不快な言葉の数々である▼米国の大学生を集めた席で語ったそうだ。「沖縄の人々は東京に対する、ごまかし、ゆすりの名人だ」「沖縄の人々は怠惰でゴーヤーも育てられない」「沖縄の人々は普天間が世界で最も危険な基地だと主張するが、彼らはそれが真実でないことを知っている」――他にもある▼1995年に沖縄で、米兵による少女暴行事件が起きた。米太平洋軍の司令官は記者説明の席上、「犯行に使ったレンタカー代で女を買うこともできたのに」と言って批判を浴びた。むろん事は違うが、同種のにおいを今回の発言に・・・(略)

http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20110309ddm001070028000c.html

フランソワ・ド・カリエールはルイ14世に仕えた17世紀から18世紀のフランスの外交官である。その著書「外交談判法」(邦訳=岩波文庫)は、今日でも世界各国で外交に携わる者の必読書といわれる▲カリエールはだまし合いが珍しくなかった当時の欧州外交にあって外交使臣は「交渉において誠実であるべきで、ウソをつかぬことが大切だ」と訴えた。また同著は交渉者の専門職化の必要も主張した。つまり近代のプロの外交官による持続的な外交を提唱したのだ▲この本では外国使臣が赴任国の王や大臣の行状をけなして不信をかうのは「交渉家に許されぬ非常識」と述べられている。だが非常識に陥る者は何人もいて「必ず告げ口するに決まっている廷臣の前で任国の宮廷の利害に対して甲斐(かい)のない反感をあらわにする」のだ▲外交官なら一度は読んだことがあるはずの警告だ。なのに耳を疑ったのは、沖縄駐在の前米国総領事・・・(中略)・・・▲カリエールは先の「非常識」な行いについて、自分の感情のために国の利益を損ない「自らの無能力や不忠実を証明するもの」と手厳しい。そして言う。「よい助言者がいる君主ならば、こういう過ちに陥る交渉家を召還するに違いない」


ケビン”ナイトメア”メアは一言二言みことで言うと、あすこの基地にいる兵士たちを育てた教官風にいえば
「パパとママの愛情が足りなかったのか、貴様?」
「スキンのまま生まれたクソバカか?それとも努力してこうなったのか?」
「話しかけられたとき以外は口を開くな 口でクソたれる前と後に“サー”と言え 」
てな話( http://www.hcn.zaq.ne.jp/ganso/neta/sergeant03.htm )だが、それはそれとして

一方、メア日本部長はFNNの取材に対し、自らの発言とされる内容について、「正確でもないし、完全でもない」と否定している。

てな話のほうにもひとこと。

この期に及んでなぜこう言えるかという背景には、どうも「オフレコが成立した上で語った発言は、もしそれが流出した場合に、『そうは言ってない』と(実際には言ったのに)否定しても、それは嘘を言ったことにはならない」……という暗黙の?ルールがあっちの国には?あるらしいのですね。
それは以前、海外特派員を務めた徳岡孝夫がどっかで言ってたのを読んだんでね。

とはいえ、「言ったかどうか」というのは本質的に、そういうルールとは別にした有・無のデジタルな世界であります。これだけ報道されて、周囲が「言ったんだろうな」と認定すればそれで足りる(万が一、仮に、今の報道が「不正確」だったとしても!)。
そういう面白いと言ってはなんだが「奇妙」な図式が「オフレコ発言」とその「流出」にはある。
ウィキリークス報道を読むときの参考にも。