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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

白鵬新記録で思い出す「千代の富士53連勝」そして大乃国と、板井の著書「中盆」(※真偽不明の異説異伝です)

これ、何度か自分では書いたつもりになっていたんだがなぁ。検索すると無いから、初めての話かな?

白鵬54連勝で単独2位  千代の富士を抜く
 
 大相撲の東横綱白鵬(25)=本名ムンフバト・ダバジャルガル、モンゴル・ウランバートル出身、宮城野部屋=が18日、東京・両国国技館で行われた秋場所7日目で小結稀勢の里を下して初場所からの連勝を54に伸ばし、1988年に千代の富士(現九重親方)がマークした53連勝を抜いて昭和以降で単独2位となった。

さて

中盆―私が見続けた国技・大相撲の“深奥”

中盆―私が見続けた国技・大相撲の“深奥”

という本があります。

千代の富士大乃国の全盛時代、平幕の力士としてちょっとした異彩を放っていた「板井」という力士が書いた本です。これが実に天下の奇書というか、大相撲史の異説異伝というか・・・・。


実は、今のところそれが事実であると確認するすべはないし、これからもこれが公式の歴史になることはないでしょう。ただし、当時「週刊ポスト」を中心に報じられていた「ポスト流大相撲史観」などで語られる、3人の激闘史は、それを知るものの魂を揺さぶる何かがある。
僕流にそういう記事を読んでまとめた、当時の相撲ワールドの・・・いや、これは「小説」としておこう.

上の「中盆」のほか、これを大いに参考とした。

週刊ポストは「八百長」をこう報じてきた (小学館文庫)

週刊ポストは「八百長」をこう報じてきた (小学館文庫)

大相撲タブー事件史 (宝島SUGOI文庫 A へ 1-85)

大相撲タブー事件史 (宝島SUGOI文庫 A へ 1-85)

 

小説・昭和大相撲物語

今回白鵬にその記録を明け渡すまで戦後最大の連勝記録を持ち、その他通産勝ち星や優勝回数など数々のレコードが相撲史に刻まれた一代横綱千代の富士。現役時代、その筋肉質の体とスピードある相撲、甘いマスクは「ウルフ」と呼ばれ人気も絶大でした。

しかし・・・・
ずっと前から、親方衆の間でささやかれていた、ある噂。
「あいつは注射(八百長)に頼りすぎる。多少は仕方ないし、わしらだってやったといやあそうだが・・・あいつのは目に余る!!」
そう、大横綱千代の富士は「注射」を持ちかけることで有名だった!!


とはいえ、
それは千代の富士が弱いことを決して意味しない!!
というかむしろ、強さの証明なのである!!
なぜか? ・・・・・・力士には勝ちに懸賞金もつく、勝てば番付も上がり、給金も増えていいタニマチもつく。優勝すれば何千万円が来るやら・・・本来、「八百長」をやりたがるモチベーションなんか限りなく少ない。
そこで八百長に従わせる方法とは・・・オファーを断ってきた力士を「あ、ガチで俺とやりたいわけ?いい度胸だな、じゃあやってやるよ」と、真剣勝負で勝利し・・・しかも手ひどい勝ち方で痛めつけることであった!!、
D
もちろん、稽古の場でも同様。
横綱千代の富士様に勝てないこと、その方が本気を出してえげつない技をかければ、挑戦者は五体満足では済まないことを、その稽古で骨の髄まで分からせる・・・。
八百長をし放題に出来るのは、強さがあってこそ!八百長が出来るのが強さの証明」というのは、つまりそういうことでありました。
 
じゃあその大横綱は、普通に相撲をとって勝てばいい?
そこが千代の富士の悪魔的な貪欲さ、そして臆病さで・・・・
「ガチンコでやって8割、9割がた勝てるだろう。だがそれを、10割勝つようにしておこう」
まさに、ある意味最強の勝負師!!


と同時に……
相撲は負け越せば番付が落ち、名誉もカネも失う。
だから八百長は、カネのやり取りであることも多いが「俺が今回勝ったら次は負ける」とか「Aに負けたかわりにBには勝つ。Bはその代わりCから・・・」というような、複雑な仕切りも必要になってくる。(親分千代の富士は、星の交換はいやがってすべてカネで「おれの勝ち。」にする。それが出来るところがまた「強いから八百長ができる」ということなのです)


それを仕切るのが、平幕・板井。
勝ったり負けたりを繰り返す、どうということない本名を四股名にした力士だが・・・実は力士仲間の間で「あいつは怒らせたら強い」「やばいぜあいつは」と一目も二目も置かれる存在だった!!!
立ち合いのタイミングを取ることには天賦の才があり、得意は力士の嫌がる張り手、しかもガッチガチにバンデージで掌を固めて放つ一打は強烈の一言・・・・・・。彼をなんと、部屋の違う千代の富士は特別に目をかけ、かわいがったのである。
そして彼は、千代の富士の”親衛隊”となり、そして・・・千代の富士からまかされて、八百長の交渉や利害調整、金銭相場を仕切る”中盆”になったのです。

だが、なぜ、板井は、実力を出し切って大関横綱を狙おうとしなかったのか?ヒザの怪我で、要所要所で100%の力を出しきれば誰にも負けない・・・との自負はありつつも、15日を継続して勝ちきる自信がなかったとも、単に素質におぼれた稽古嫌いで「適当にやればいいや」というタイプだったとも、星を売って手に入る目先の数十万円〜100万円の金に目がくらんだともいわれるが・・・。
 
実際に、板井は自分の星も値段次第では平気で売るタイプで、まただからこそ、終盤に注射力士の利害が錯綜したときに自分の黒星で調整することができるため、優秀な中盆足りえた・・・ともいう。


彼らが、当時の相撲界すべてを仕切っていたら・・・どんなふうになっていたか、それは分からない。千代の富士時代は、さらに長かったかもしれない。


しかし、さらに歴史は、もう一人の人物をこの時代の角界に用意した。
それが,大乃国である!!!


大乃国康。
ウルフ千代の富士と同じ北海道の出身で、同じ時代に横綱の地位にあった。この時はのちにプロレスや格闘技界で物議をかもす北尾(当時は双葉黒)、北勝海旭富士など個性的な横綱、さらには小錦など大関も多い混戦混迷の時代でもあった。
 
だが・・・この横綱大乃国がひときわ異彩を放つのは・・・いまや広くその用語が知られることになった「ガチンコ」でその地位まで上り詰めたゆえ!!
と、言われる。
横綱大関として表面に表れた戦績はお世辞にも大横綱、名力士というものではない。むしろ横綱としては下位も下位に位置しよう。

だが、想像せよ!!
ただでさえ実力がある力士たちが、注射で星を融通させあいながら地位と体力をキープする15日間・・・そして彼らは、それを頑として受けない大乃国に対しては120%の力を発揮、怪我をさせることも辞さずに総がかりで挑んでくるのだ!!
その中で、いくつかの取組は力及ばず敗れるものの・・・最終的には勝ち抜き、そして番付を上げていく。
よく常人のなし得るところではあるまい。


しかし、
ああ、これが勝負の世界の厳しさ!!
これがすべて自由になるお話ならば、正義のガチンコ力士が悪の注射力士を倒して終わりだろう。
ところが、なんということでしょう。
千代の富士、そして板井とも、はっきり大乃国より強かったのです(笑)。
 
千代の富士は、大横綱の自分に従わない大乃国を、土俵で制裁しないと”しめし”がつかない。板井は、一説には千代の富士から、対大乃国の勝利ボーナスが出ていたとも・・・
 
そして、そこには、
力士として、全ガチンコで闘う大乃国への
強さや地位、名声の差とはまた別の、劣等感と嫉妬も無かっただろうか?
とまれ、
彼らのそんな感情は、憎しみとなって土俵上に吹き出た。

ちょっと一線を越えた張り手の嵐。最後に千代の富士vs板井の映像が(比較のため?)入っているのはご愛嬌。

てなわけで、
「ガチンコ?ああ、そっちがやりたいならいいよ」と、普通は”注射”をやっている力士が全ガチンコ力士を返り討ちにしちゃう、という悲しい構図はすっと続き・・・その結果として千代の富士は何度も優勝、その同門の北勝海も、両者の結果的な連携もあって何度も大乃国の先を行き優勝しつづけました。大乃国は、そのはるか下にいる脇役。
板井も、上の映像のように、大乃国には普段と別人のごとき厳しい攻めで「キラー」の名をほしいままにしました。


だが、そんな大乃国にも、きらりと輝く星の時間が訪れた。
昭和最後の年、1988年。
それが今回、白鵬の記録更新でクローズアップされた千代の富士の連勝街道!!だが・・・それは、ピークをまさに過ぎつつある大横綱が、貪欲にさらなる勲章を欲したのだといわれる。
すなわち、千代の富士は本当は、双葉山の記録・69連勝の更新を狙ったのでないか、との説・・・。この時の、千代の富士の星の買い方は根回しも含め相当なものだったという(狙うのは連勝だから星を返すことはできず、その分いろいろとムリをした)。

だが…もはや国民的ヒーローの千代の富士に対して親方衆も何も言えなかったが、それにしても、である。角聖・双葉山に追いつこう、それもそういうやり方を使ってでも−−という彼の野心には内心へきえきした人も多かった。
だからといって、ガチンコで彼を負かせるか?そもそも千代の誘いに乗らず、ガチンコを貫く力士自体が少数派なのに・・・。

あるとき、NHKの解説席に座った親方が、千代の連勝に関して聞かれて、はきすてるように言ったという。
「もう、大乃国しかいないんだからね・・・」
それは実力的にとか、横綱として、という意味か。それとも前述のような意味があったのか。それは分からない。
 
なんにせよ、
千代の富士は2場所連続で大乃国をも含めて全力士を撃破し全勝優勝。この11月場所も千秋楽まで14勝し、早くも優勝を決めていた。残りは、身の程知らずにもガチンコにこだわり、10勝4敗と醜態を晒す、目障りなダメ横綱だけ。
ガチがそんなに偉いんか? ならばガチで、いつものように土俵に這わせてやるさ−。
 
ここからは。ウィキペディアを引用しよう

横綱としての最大の見せ場は、1988年11月場所の千秋楽、昭和時代最後となった結びの大一番で、同場所14日目まで53連勝中だった千代の富士を、怒涛の寄り倒しで土をつけ54連勝目を阻止、歴史的な場面を演出したことだろう。千秋楽前日の夜、師匠放駒が「どうせ今のお前じゃ何をやっても勝てないんだから、ヒヤッとさせる場面くらいは作って来いよ」と言われたが、逆に「千代の富士の連勝は俺が止めてやる!」と闘志に火がついたという。

千秋楽当日の早朝、大乃国は普段より2時間早く稽古場に姿を現し、徹底的に千代の富士対策を行なったという。取組後の報道陣のインタビューに対して「俺だって横綱だ」と珍しく声を荒らげた。後日千代の富士はこの話を聞いて「全然知らなかった。俺はその頃明日は楽勝だと2、3軒飲み歩いていた。あの時俺の特番の撮影のためにマスコミもいたんだ。どうして教えてくれなかったのか。恨むねぇ。」と苦笑いしながら語っている。

この結果として、2人の評価が変わったとかいうことはない。
千代の富士はその後、国民栄誉賞を受賞。引退直前の土俵は新鋭・貴花田(のちの貴乃花)に敗れて、スターの世代交代を演出しての、華やかな最期だった。
大乃国は、その後不名誉な「負け越し横綱」などを体験。大怪我などもあり、最終的には28歳での引退となった。


だが・・・真の勝者はいずれか?
(完)

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