昨日、
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100818#p3
の後半で書いた話ですね。そこで語った「根本博」をウィキペディアでひくと「8月19日から始まったソ連軍との戦闘」とある。つまり本日が65周年?
昨日の話を、今度はウィキペディアでおさらい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E5%8D%9A
根本について特筆すべきは、1944年11 月に就任した駐蒙軍司令官としての終戦時における行動である。終戦日の8月15日を過ぎても、ソ連軍は満州や中国での侵攻を止めず・・・手をこまねいていては、同地域に滞在していた同胞4万人の命が危ない。一方で日本の降伏後、ソ連軍に抗戦したら罪に問われる可能性もあった。・・・・・・罪を問われた際は一切の責任を負って自分が腹を切れば済む事だと覚悟を決め、根本は『理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う』と、日本軍守備隊に対して命令を下した。……必死にソ連軍の攻撃を食い止めながら、すさまじい白兵戦をも乗り越え、更に八路軍(中国共産党軍の前身)からの攻撃にも必死に耐え、居留民4万人を乗せた列車と線路を守り抜いた。8月19日から始まったソ連軍との戦闘はおよそ三日三晩続いた…日本軍は8月21日以降撤退を開始、最後の隊が27日に万里の長城へ帰着した。出迎えた駐蒙軍参謀長は「落涙止まらず、慰謝の念をも述ぶるに能わず」と記している。一方、20日に内蒙古を脱出した4万人の日本人は、三日三晩掛けて天津へ脱出した。
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