保守主義つながり、または阪神の”甲子園”つながりで上から続けようか。これもグリフォン・ファイルの文章で、福田恆存の・・・やはり追悼文からなんですが。
時に、夏の高校野球も大詰めを迎えてますね。やっぱり私立高校が強いですなあ。うちの親などは、地域的な縁などに関係なく無条件で公立高校を応援、公立校が消えるととたんに興味を失うほどの公立びいきです。公立というより、専門的に野球をやっている半プロのような高校生に反感があるようで・・・公立だってそれに近い子はいるし、そういうのも才能の一環でありだとは個人的には思うんですがね。
それに関連し、福田恆存没の1994年に雑誌「正論」で兼子昭一郎が書いた「”現在の名工”福田恆存の孤独」には面白い話が載っている。
前の勤務校、旧掛川中学は野球が強く、甲子園出場という夢の実現がほの見えてきたとき、全校、全町期待の星とされた生徒に零点をつけてしまった。白紙答案を提出されたからである。校長に呼ばれて詰問された。「零点とはどういうことか。出席点というものがあるだろう」
福田は答えた。「それも考えたのですが、授業中にボールをひねくり回しているだけで、まったく教科書を見ていないんです」
この時の校長との意見対立がどのような結末になったか、福田は覚えていないが、その後にもう一度、同じような事件が起きた。藤枝小学校から有能な投手が藤枝中を受験したが、どんなに甘い点をつけても合格ラインに入れられない。しかし野球のために入れなければならない。及落会議で福田は反対意見を述べた。
「この子を入れると、当然受かるはずの最低得点者一人を落とさねばなりません。学業をおろそかにして野球しかしない者を救えとおっしゃるのですか。」これに校長が答えた。
「これは校長の意思である。どうしても君が嫌だというなら、辞めてもらうしかない」
こうして福田は掛中を退職することになった。
おそらく最後の授業の時と思われるが、受け持ちクラスの生徒に「なぜ辞めるのですか」と聞かれ、それには答えず、2、3時間かけて「坊つちやん」を読んで聞かせた。
うむ。最後のシーンは目に浮かぶようだな。硬骨の教師が上層部や親の圧力で退職に追い込まれ、最後の授業で生徒に語る代わりに「坊ちゃん」を朗読して去っていく・・・なんか、ドラマとかライトノベルとかでもこのシーン、イタダキしてもいいのではないか。あまりにもかっこいい、この前書いた「人類の星の時間」である。
そういえばこういう教師時代のエピソードもある。
これは自分が「福田恆存全集」のどこかで読んだ話。
実は福田恆存、意外というか当然というか、渡部昇一が大キライだった(笑)。なんか他のところでも、ものすごい言葉で同氏を批判していた記憶があるが、私が覚えているのは、渡部が「大和言葉には、実に独特の情感の豊かさがある。漢語ではそれはつたわらない」的な文章を、もっと極端な調子で書いていたことに、そんなことあるかいと反論した文章。
ここで、福田は戦前のエピソードを語る。
教師時代、福田は「万葉の調べは意味が分からなくても日本人には伝わる」といった国粋主義雑誌の論文を読んだ生徒から「これは本当でしょうか」と尋ねられ、しばし黙考した後に、黒板に自作の万葉調の和歌を大きく記した。
「しろたいる/かなたはろかに/そこふかみ/ふとしくふむの/たむろせるかも」
これを福田は、朗々と読みあげ「どうだね、意味は分からなくても、感動するだろう?」と尋ねた。
生徒が分かったような分からないような顔でうなずくと、福田はにわかに再びチョークを取り、隣に漢字交じりで歌を書きなおすした
「白タイル/彼方遥かに/底深み/太しく糞(ふむ=フン)の/たむろせるかも」
教室は、爆笑に包まれたそうである。
(※たぶん描写には、ちょっと脳内梶原一騎による講談化が入ってます(笑))
編集も、全集ごとに違うだろうし、現在どの本で読めるかは不明
- 作者: 福田恆存
- 出版社/メーカー: 麗澤大学出版会
- 発売日: 2008/07
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