機密費問題から、なんかちょっと別の流れになってこういう議論があった
<週刊・上杉隆>
http://diamond.jp/articles/-/8903
■野中広務氏の公共の電波を使った"華麗なる勘違い発言"に反論す
これはこの前紹介した、このテレビ番組での野中発言についての反論。
あらためて言うけど、こうやって関西ローカルテレビでの発言を把握できるって、ネットはいい時代だね。文字起こしに感謝。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid859.html
(※このときの出演者の発言に対しては、後日一部の訂正放送があった。そちらは http://kukkuri.jpn.org/100728teisei.html )
両者を対比させよう。
野中 私はね、この上杉さんというのは無責任だと思う。(略)顔見たこともない。
上杉 1994年以来、野中氏とは何度も顔を合わせている。とくに1999年には名刺交換までしてインタビュー取材もしている。(略)筆者は「久米宏のテレビってやつは」(毎日放送)という番組…筆者の隣には野中氏が座っていた。そこで繰り返し会話を…
つまり「顔見たこともない」発言は明確に事実に反しているので、上杉氏には気の毒としかいいようがない。
同時に、野中(や森喜朗)は言うことが基本的に信用できないとはいえ(笑)多数の取材を受ける著名政治家は取材者の名前や前に会ったことを忘れていても、まぁ物理的にしょうがない部分はある。逆に忘れない田中角栄や竹下登がスーパーマン扱いされるぐらいで。
まったく余談だが、ぼくもブロガーの集まりなどで1回2回会っただけだと顔を忘れていることが正直多い。失礼の段あればお許しください。
ま、だとしてもそれに依拠して上杉取材の信用度を否定しようというなら、逆に調べる義務があるので、後に野中氏が訂正したのも当然だ。
もうひとつのほうの
野中 それにその『週刊ポスト』とか、『フライデー』とか、こういうところでね、電車のつり革に、野中広務激白とか、こういうのでですね、皆さん中を読んだら、私の名前、何にもないですよ」
上杉 それは筆者の記事ではないし、そもそも、筆者はその週の「週刊ポスト」を手に取るまで、一切、その記事の存在すら知らなかったのだ。逆に、手に取った瞬間に「週刊ポスト編集部」に電話して、「大丈夫だろうか、この記事。野中氏の〈激白〉とは言えないんではないか」と、親切にも心配の電話…
については「それは私の記事ではない、別の記事だ」という上杉氏の言い分もわかるが、野中氏の立場にあえて立ってみれば「そういういい加減な記事を載せる週刊ポストの編集部と、一緒のチームとして取材、寄稿しているから信用できない」ということだというなら、それもむげには否定しにくい。その記事に問題があることは上杉氏も認めているんだから。
さて、以上は枝葉の部分です。なんで枝葉がこんなにながいのよ。
メインの幹はここっ。
野中 私はね、この上杉さんというのは無責任だと思う。あの人、私に、いっぺんもですね、インタビューなんかしたことがないですよ。
上杉 3人(※野中、森、安倍晋三)の共通点は「繰り返しの取材を断っておきながら、取材を受けてない」と強弁する点だ。野中氏は1999年から20回以上、安倍氏に関しては 2001年から30回以上、インタビューか取材を依頼しているがすべて断ってきている。せっかくの機会だから、この2人には僭越ではあるが、正しい日本語の使い方をお示ししよう。
その場合は「インタビューを受けていない」「取材を受けていない」と言うのではなく、「取材を断った」「取材を拒否した」というのだ。国会議員であるのだからもう少しきちんとした日本語を使用していただきたい。
(略)
繰り返しの取材依頼にも関わらず、自分が逃げ回ったことは棚にあげて、「一度も取材を受けていない」と話すのである。門を閉じて、繰り返し、繰り返し、追い返しておいて、「何で会いにこないで、逃げるんだ」と言われても、それは返す言葉もないというものである。また、それを真に受けて自身のブログに書き込む、ヒマな産経新聞の政治記者についても同様だ
さて。
この「ヒマな産経新聞の政治記者」というのは、阿比留瑠比氏のことだと断定していいでしょう。別にぼかしたのではなく、これまでの因縁から、こうかけばすぐ分かるという前提で書いたのだと思われる。(現にすぐ分かった)
さて、インタビューや質問に関して、申し込めばあとは断った人の責任となるのか。「取材を受けていない」と「取材を拒否した」は全くの別物なのか。これはけっこう大きな問題でもあり、難問でもあるのだがその是非の議論はとりあえず置く。こういう考えを上杉隆氏は持っている、ってことでいい。
さて、因縁の産経・阿比留記者とだが…安倍氏の話を挟まなくても、なんとお二人同士が当事者としてこの問題を話し合えるのです。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/775624
阿比留 私は何度も上杉氏にあることないこと書かれてきましたが、一度も取材を受けたことも、話したこともありません。おそらくこれまでも、他紙の記者らから聞いた伝聞話を元に私のことも書いてきたのでしょうが、(略)いい加減な二次情報、三次情報、あるいは妄想がネットその他で独り歩きし、それが私への批判となって迷惑している現状もあります
http://www.asyura2.com/08/hihyo8/msg/530.html
(元は京都大学新聞主催の講演会だそうです)
上杉 産経新聞記者の阿比留瑠比さんもブログで言及していますが、正式に抗議を受けていないので反論もできない。一方で不思議なことに、阿比留さんや外務省には、再三インタビュー依頼をしているのです。にも関わらず、一切受けてくれない上にこのような対応です。
とまあ、二人の言い分は異なっている…と言っていいのかな?「取材を拒否した(された)」と「取材を受けて(して)いない」は別物だ、というのもひとつの主張で、それを皆が認めるかはまた別だからね。まずこの定義の差を埋めるか、もしくは定義の差を明確にしなければいけない。
あと、これは安倍氏との話で以前言ったけど「(一般的に)10年間でXX回もインタビュー申し込みを拒否された」という話と「(個別の)XX問題を彼が記事にしたとき、取材が無かった」という話も一緒なのか別物なのか。これも今回の上杉氏の文章をはじめ、定義がはっきりしない。
だからややこしい。
というわけで、ここについてが興味深いです。
その真相やいかに。
ウィキペディアがとんだとばっちり。
ちなみに上杉氏はこの記事で
また、さらにそれを鵜呑みにしてウィキペディア等に懸命に書き込む人々――。
と言ってるけど「私は取材を申し込んだが断られた」という論法が通じるという前提で言えば、同じことをウィキペディアも言っていいかと。(経緯→http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100112#p3 ) 取材した・拒否されたの論法でいえば「ウィキペディアには間違いがある」ではなく「私はウィキペディアのどこが間違いですか?と聞かれたがそれを指摘できなかった」と言って欲しい(笑)。
それに少なくとも最終段階の集合知としては「うのみにする」ことなく、上杉氏の主張も十分な分量で紹介してフェアですがな。
でもなんか、時系列的には項目の更新が止まっているな。機密費の項目もまだ無い。
【8月1日夜・追記】その後の報告
朝に、上杉・阿比留両氏にネットを通じて質問させていただきました。
A:■上杉氏への質問
http://twitter.com/gryphonjapan/status/20023396421
@uesugitakashi 【お尋ね】興味深かった「週刊上杉隆」で関連質問。「取材がない」vs「取材拒否された」の典型として08年外務省問題で上杉・阿比留両者の主張に違いが。この時の真相は?詳細→(※このエントリのURL)
B:■阿比留氏への質問
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1722962/allcmt/#C1774721
Commented by gryphon さん 2010/08/01 07:47
エントリーと、別のテーマの形で投稿で大変恐縮です(過去の記事とは関係あるのですが、目に触れることが必要だったのでご容赦を)
長文のため、リンクを張ることをお許しいただきたいのですが、ある方から2008年に「取材、問い合わせが『無かった』のか『あったけど拒否された』のか」についてです。
インターネット上に、異なる両者の主張があることからどうしても確認したいと思い、双方向性を利用して質問させていただきました。
(※このエントリのURL)
TBもさせていただきます。
↓ 約20分後に返事を頂く。
Commented by 阿比留瑠比 さん 2010/08/01 08:06
gryphon様
史上まれにみる陰湿な嘘つきについて、もうあれこれ述べたくないのですが、取材申し込みなど一度も受けたことはありません。それどころか、彼は私の同僚などにも複数の知り合いがいて(過去に石原慎太郎氏や田中真紀子氏に関する本を出す際には、私の同僚たちからもたくさんの情報提供を受けています)、その人たちを通じて接触を図ることなど簡単であるだろうに、それすらしてきません。嘘に嘘を重ね、言い訳と強弁と責任転嫁で生きているのだろうな、それもまた苦しくはないかなと見ています。
上杉氏の答えも、もしこの後、いただけるようならここに転載したいと思います。ただしtwitterで約7万人のフォロワーがいる方である以上、@付きでの質問や意見は常に膨大にあるでしょうから、あちらが見落としているなどの可能性は常に付きまとうかと思います。そういうメディア上の特性を踏まえたうえで、両方にお尋ねしたということです。