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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「サバイバルゲーム場」建設企画、周辺住民が反対し紛糾。まあ普通に偏見だが

http://www.asahi.com/national/update/0413/TKY200904130001.html

八王子市中山地区のサバイバルゲーム場設置計画に住民らが反対している問題で、地元住民らでつくる青少年対策中山地区委員会(篠原由紀子会長)は11日、地元の市立中山中学校体育館で経営会社側を呼んで住民説明会を開いた。経営会社側から社長の男性(33)ら3人が出席。住民300人超が詰めかけた。

 まず計画内容などについて同委員会が事前に出していた公開質問状への回答を紹介。その後、住民らが質問や意見を述べた。「小学生の娘が計画を知って号泣した。怖がっている」「山林の脇は園児が散歩するコース。事故があってからでは遅い」「目の前に住んでいる。恐怖感で暮らすのは嫌」などと口々に反発の声をあげた。
(略)

ふむむ、なかなか興味深い。
こういうものはすべて、基本的には「他者危害」の原則で片付けられる。
騒音なり流れ弾なり、そういう問題をどう解決するか。解決していれば、法律上もそもそも、サバイバルゲーム場(そんな場があるというのが驚きだが)を阻むものはない。
昨日、14日に放送された「ミヤネ屋」(かな?)によると、騒音は機械を持ち込んで計測しても問題ないレベル。気になるBB弾の流れ弾は、細かいネットを張って防止できるらしい。

いちおう、その説明が正しいなら、サバイバルゲーム場に反対する理由はそもそも無いように外野からは感じられるが・・・・「娘が怖がっている」と言われちゃなあ。
そして迷彩服にモデルガンを持った若者プラス中年プラス少年が、フィールドを駆け巡るのが不安だったり怖かったり嫌だったりと、住民が感じる。
そりゃ、そうだろう。すくなくとも戦後の日本社会には「軍人差別」「軍隊差別」とでも称するべき”偏見”が存在したのだから(仮説)。


もう少し言い換えると、『ミリタリー、に対しての嫌悪感。』
上で「仮説」としたけど、上の軍人差別という言葉、例えば佐々淳行の息子が実際に体験したような警察差別、と並んで教育の場で実際にあった。私も実際の経験として、軍隊や軍事は無条件で悪いもの、というスタンスでの学校教育を見たし、受けていた。


ただまあ、そういう話とは別にして、軍と軍が所有する武器は殺傷力のあるものだから、そこから暴力や危険を連想する、恐怖や嫌悪を感じる、ということも分からなくは無い。例えば藤子・F・不二雄に「休日のガンマン」という作品があり、これは日光西部劇村のように、カウボーイや保安官、無法者に扮して(あるフィールドで)撃ち合いや決闘ごっこに興じるいい年をした大人たちのお話だ。

同じように、チャンバラごっことか忍者ごっこもあり得るだろう。
西部劇もチャンバラも忍術勝負ごっこも、実際の戦いをゲーム的な「遊び」に転じたもので、本質はサバイバルゲームとなんら変わらないのだが、要は暴力をイメージさせるその「リアリティ」の度合いの差、ということになるかもしれない。


ただ、厄介なのは「イメージさせる」「恐怖させる」「不快感を生じさせる」というのは、音や臭いではなく”見た目”の場合、本来あるべきところである「他者危害の原則」に立ち返るならば、これは「そう感じる、あなたのほうに問題がある」という言い方が成立してしまうのですよ。

プリンセス・プリンセスのいう
「♪好きな服着てるだけ、悪いことしてないよ」(DIAMOND)
の通りですね。上から下まで迷彩服でも、それが禁止されているわけではない。職務質問は受けやすいかもしれんが(笑)

しかもいま、サバイバルゲームの参加者は迷彩服でその場所までいくのを自粛して、現地で着替えるという(サバイバルゲームを最初ににわが中学に持ち込んだ僕たちのグループは、一部普通に着てチャリンコ乗ってましたが)。

となると、今回の反対は「『少数派』の好みや活動に理解を示さず「自分たちは興味が無い」とか「自分たちは不安感がある」という、勝手な理由と偏見によって、他を妨害しようとする”差別”」と、いうふうになってきてしまうのでは、では、では、ないだろか(※もちろん上に書いたように、流れ弾や騒音が不安だ(対策を信用できない)、という物理的理由による反対は別である)

そもそもサバイバルゲームという遊戯、それ自体がけしからんとか、良くない不適切な遊びだという声も依然としてくすぶっている。モデルガン全体にもそれは言えるんだが。


くしくも昨日、14日の東京新聞こちら特報部」の話題はこういうもの。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2009041402000055.html

路上生活者の炊き出しピンチ

2009年4月14日

 貧困の深刻化と助け合いの人情を印象付けた年末年始の「派遣村」。しかし、その人情も不況の重みにきしんでいる。東京・隅田川周辺では路上生活者たちへの炊き出しが続いてきた。だが、人数が膨らむとともに住民の苦情も増え、一部では中止要請にまで発展した。炊き出し団体は活動の継続を模索し、住民との話し合いを重ねているが、折り合う線はまだ浮かんでこない。 (出田阿生、上田千秋)


公園などを利用し、炊き出しをやる→生活困窮者が集まる→近所から苦情

これは記事によると「実際にごみが散らばっている」などの実害もあったみたいで、単に不気味だとか不安だとかの理屈じゃないようだが、逆にゴミなどが完全に拾われたとしたら、だれに気兼ねなくいくらでも路上生活者への炊き出しが続けられるか。それともそうやって集まることへの不安や嫌悪はもっともな要求なのかけしからん差別と偏見なのか。
この記事に添えられた「デスクメモ」では
「ここは人情厚い街なので、抗議も本心ではないのだろう」といった感じの能天気な一言があって絶句したが。