【トンガ噴火お見舞】INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「旗」をめぐる自由の境界−−あるいは限界(エピソード集から)

こんな話題がUPされていました。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1116216.html

2008年04月19日中国人 、フランス国旗にナチスのマークを書いたり焼いたり やりたい放題

395 名前: プロパガンダ隊(湖北省) 投稿日:2008/04/19(土) 18:46:07.25 id:SogO/ju10
旗に書かれてたことまとめ(最終版)
Janne d'arc=prostitute(ジャンヌ=ダルクは売春婦)
Napoleon=pervert(ナポレオンは変態)
FRANCE=NAZI(フランスはナチ)
FREE CORSICA!!!(コルシカを自由に!!!)


それに対してこういう例もあったとのこと

■いや、ついこの間「新風連」が同じことやったばっかじゃないか?
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080420#p1
経由で
■2007-07-17 国旗について
http://d.hatena.ne.jp/meiwakoko/20070717

日本での(右派的)反米デモに、同様の形でのがあったという話。


さて都合よく異なる立場の例が出てきたので論じやすいが、実をいうとこの問題は最初の部分での立ち位置、ポジショニングが実は不思議な逆説を見せる部分がある。

またこれも例によって、個別の事例というより、逆にそれを消した一般論として考えると分かりやすい。
敬愛する中江兆民先生の「三酔人経綸問答」ではないが、架空問答的にするといいかもしれない。

三酔人経綸問答 (岩波文庫)

三酔人経綸問答 (岩波文庫)

「常識紳士君」と「自由豪傑君」とでも、仮にしましょうか。

常識紳士
「いやはや中国人のデモも、日本人のデモも困ったものだ。批判は自由だが、そこには品位や限界もある。それぞれの国の象徴である旗には、政治・政策・政権への批判を超えて敬意を払うべきであって、ナチスの党章や髑髏マークをそこに重ねたり、燃やしたり汚したり踏みつけたりとかはもっての他だよ」


自由豪傑
「いやいや君、時には相手が不愉快になっても批判すべきことはあるんだぜ。自分が持ってきた旗になら何をしようと、実際に人が負傷したり物が壊れて、他人の人権を侵害することは無い。お前ら(の政策や政府は)ナチスと同じだ!と感じたなら、それを象徴的な形で表明するのも権利だよ。政府に抗議するならその国旗を燃やすのだってひとつの表現だ。スパイク・リーの映画『マルコムX』オープニングを見たことあるかい? アメリカ国旗が燃えて、『X』の文字になっていくんだ」

この後、この二人が杯を重ねながらどんな丁々発止を繰り広げるか、それはひとまず読者諸氏の想像にお任せするとして、わき道ですがここでひとつ問題を出しましょう。


Q:上の二人、どちらかが自民党支持者で読売新聞愛読者、もう一人が民主党支持者で朝日新聞愛読者だとします。もしあなたが判断するなら、どちらがどちらだと思いますか?

というのは、描きながらも
『「常識豪傑君」と「自由紳士君」と入れ替えても問題ないなぁ』と感じたんだよ。
なぜならば「国家的象徴(国旗)への敬意」という問題は、特に日本において−また、例によって「自由の極論実験場」であるアメリカにおいては特殊な事情と流れがあったからね。


簡単かつ乱暴にいば「右」と「左」でいえば、どちらがより「国旗侮辱の権利」とでもいうべきものに同情的か?ということ。


…そこに触れる前に見ておくと、もともと上の紹介者の書き手・コメント諸氏も「これで揉めそうだ」という予測や「こちらもこちらと同じだ」という指摘であり、読む範囲では「常識紳士」の支持者かとは感じるが、明確にそうだとも言い切れなさそうだ。もし根本的にそれを徹底させるなら「自由豪傑君」的な立場もあり得るかもしれない。

また、自分自身の考え、感覚で言うと「政治体制・政策・指導者批判の表現方法として、”相互に”国旗は対象から外そう(それをする人は批判しよう)」という提案は、原理問題としての矛盾や疑問に目さえつぶれば現実的な解決策として極めて肯定・賛同できる。私は北朝鮮政府と朝鮮労働党、その支持者をまだ拉致事件が確定する前からずっと批判していたし李英和の支持者でもあるが、例えば金正日批判デモ・朝鮮労働党批判デモで、「北朝鮮国旗(国交の有無はまた別問題)を燃やして抗議を示してもいいか?」と聞かれれば明確にNoの立場を取るし、自分もやらないだろう。


そして以下につづく。

知花昌一事件&長崎中国国旗事件を知っていますか?

ちょっと古い話題だとウィキペディアの「知花昌一」に頼るしかないなぁ。

…1987年に開催された沖縄国民体育大会で、読谷村ソフトボール会場に掲げられた日の丸を引き下ろし焼き捨てた。これは天皇の戦後初の沖縄訪問により強まる日の丸・君が代の強制に対する抵抗だと知花は主張した。この事件は沖縄のみならず全国のメディアで大きく報道された。


彼はこの事件で罪に問われたのだが、これはこの日の丸が「自分の持ち物」では無かったため(笑)で、自分のものを焼き捨てていればもっと思想的には純粋な事件だったのだが。


もうひとつ、さらに時代を遡ろう。
「長崎国旗事件」これはこのリンクのほうが面白いな
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/zhongri/200112/200112-left.htm
これも自分の旗じゃないので罪になった。だが、これに触発されて手製の中国(中華人民共和国・当時日本は非承認)国旗を焼いた事件ものちにあったはずだ。朝日新聞の「天声人語」は当時「もっと重い罪に問えないのはおかしい、法の改正が必要ではないか」といった論調を書いていたぐらいだ(事件は1958年。本になっているだろうから興味あるひとは探してください)

外国国章損壊罪」とは?

http://www.houko.com/00/01/M40/045.HTM

第4章 国交に関する罪

(外国国章損壊等)
第92条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。

2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない


注意しておくと「自国の旗」は対象外ね。
この法律はたしか、上の「天声人語」を読んだ時に興味を持って調べたのだが、実を言うと素人の法感覚だと、いまだにこれが憲法の「表現の自由」に抵触しないのか不可思議なのだ。恐らく個人には名誉毀損があるように、ってことなんだろうけど…

しかし宗教団体の旗でも寺社の旗でもなく、「外国の国章」に対しては「侮辱を加える」ことを法的に禁止している、というのは注目に値する。これって他国ではどうなのかしらね?

アメリカにおける「星条旗焼き捨て」

説明が面倒なので、これを読めば大体わかるかなあ。
結論をいうとすったもんだの末、最終的には「合法」となりますた。
http://kimigayososyo.hp.infoseek.co.jp/newpage21.htm

これに対するまとまった本を複数読んだ記憶があるがはて何だったか。
ひとつは上リンクにて参考文献になっている

星条旗のアメリカ

星条旗のアメリカ

あとは

変わらぬアメリカを探して

変わらぬアメリカを探して

だったかな?

たしかこの話をリアルタイムで見ていて驚き、かつ面白かったのは「憲法の『表現の自由』が星条旗焼き捨てを保護するなら、よーしその憲法に例外条項を入れてやろうじゃないか」と憲法改正の動きがあり、しかも成立寸前まで行ったこと。

裁判判決は法学的な意味があるから日本でも紹介は多いが、この議会攻防戦はあんまり資料が無い。どこかに日本語の資料があればいいな。

…この判決後、「連邦議会と各州は、星条旗を物理的に冒涜することを禁じる権限を持つ」という憲法修正第一条の修正法案が上院・下院に提出され、ブッシユ大統領(※父親のほう)も修正を訴えたが、一九九〇年六月、両院で憲法改正に必要な三分の二の賛成が得られず、廃案となった

抗議として「星条旗を”洗おう”」

まあここまでは結構有名な話でしたな。
一番紹介したかったのは、以下の話だ。現在、朝日新聞主筆?になったんだっけかな、船橋洋一氏の「世界ブリーフィング」の一編だ。
だから、いくつかの本にまとめられたこのシリーズでは、どこかを探せば本になっていると思うのだが…ここはね、興味深い発見や情報に満ちているから、申し訳無いが丸ごとお読みいただくことにしたい。

連載370
「聖なるもの」星条旗を汚すのは犯罪行為か


 米国に生活すると、この国における国旗の存在の耐えられないほどの重さにつくづく感心する。
 大統領の遊説も、政党の全国大会も、高校のバスケットボールの試合も、星条旗がなければ物事は始まらず、終わらない。バンドが「星条旗」を奏でないと、盛り上がらない。
 連邦政府の各ビルの上に高々と翻る星条旗、大統領を写した公式写真の後ろに掲げられる星条旗、海外で戦死した軍人が帰還するときの棺(ひつぎ)に巻かれた星条旗……ここではみすぼらしい星条旗を見たことがない。


 とりわけ印象深いのが、葬儀の際、棺を覆う星条旗を外して、折り目正しくたたむ儀式である。棺には左肩に50の「★」(the unionという)がくるように巻かなければならない。たたむときは、このunionの部分を常に表に出し、最後は「★」だけの三角帽子にする。1777年、つまり建国の翌年、大陸会議星条旗を国旗と定めた。米国は星条旗にくるまれて産声を上げたような国なのである。そういうお国柄だから、国旗を汚す行為には国民はことさら敏感である。憤りも激しい。
 米下院はこのほど、星条旗を物理的に汚す行為(flag desecration)を州政府が禁ずることを認める憲法修正案を圧倒的多数で可決した。
 まだ上院での審議が残っており、これで決まりというわけではない。が、米国内には早くも喧(けん)々(けん)囂(ごう)々(ごう)の議論が百出している。
 法案を推進してきた市民団体は100以上あり、全国連合を形成している。彼らは、「抗議としての国旗焼却は憲法で認められた表現の自由の範囲内」との最高裁判決(1989、90年)に不満で、議会に運動してきた。それに対して、「表現の自由」を盾に反対する市民団体も多い。
 反対派といえども、国旗を燃やしたり、ツバをかけたり、ちぎったりするのを素晴らしいと言う人はいない。眉をひそめるのが普通の反応だ。だが、それを犯罪行為とすべきとは思わない、と彼らは主張する。


 desecrationという言葉からして問題が多い。
 聖なるものを汚すといった意味だが、米国内で使われている国旗はそれほど「聖」なのか。
 例えば、星条旗入りの切手はどうなのか。
 スタンプが無造作に押され、旗は原形もとどめないほどだ。封書をビリッと破くと、切手も一緒にちぎれる。あれも刑務所行き?7月4日の独立記念日のパレードで、子供たちが手に手に持つ何万、何十万という紙の星条旗の運命を知っていますか。かなりがその日の夕方、庭のバーベキューのチャコールを燃やすときの材料になっているのでは。これも犯罪?
 まあ、こういう声が上がると、常識バネが働いて、憲法修正とはならないだろう。
 推進派はなぜ、こうまでムキになるのか。
 米国には王室も国教会もない。国の象徴としては、国旗と国章くらいしかない。
 それに、国旗は憲法でも教典でも契約書でもない。何も書かれていない。だから、それぞれがめいめい勝手に自分の価値観と願望を投影できる。民主党共和党も党大会はいずれも星条旗の渦である。
 それでも、自分の訴えが体制に聞き入れてもらえない、とdesper‐ate(絶望的)になったとき、まれに国旗を燃やす抗議運動が起こる。
 60年代のベトナム反戦運動のとき、そうした行動がテレビに映り、国民に衝撃を与えた。


 現在の修正案運動も、60年代の新左翼的なライフスタイルや物の考え方に対する攻撃、批判という面がある。「あれ以来、米国はおかしくなった」とのフォレスト・ガンプ的な文化的反感が根底にある。国旗を燃やす抗議行為は、世界中に見られる。
 日本では沖縄国体ソフトボール競技会で起きた日の丸焼き捨て事件がある。沖縄では、ある人々にとっては、日の丸は占領下の「反米抵抗」のシンボルから復帰後の「本土・中央への幻滅・抗議」の対象となった。
 フィリピンでは、フィリピン人の出稼ぎ家政婦が幼児を殺害した容疑で死刑を執行されたことに抗議して、各地でシンガポールの国旗を燃やす抗議が起こった。
 ニュージーランドでは、先住民マオリ500人が建国記念式典で同国の国旗を踏みつけ、ツバをかけ、式典は中止された。

 トルコのイスタンブールでは、ウイグル族の人々が、新疆ウイグル自治区伊寧市での少数民族暴動弾圧に抗議し、中国総領事館前で五星紅旗を燃やした。米下院の憲法修正案可決とほぼ時を同じくして、香港の立法評議会が、返還後、中国国旗を貶(おとし)めた者に禁固3年の刑を科す法案を可決した。
 もともと中国では国旗損壊は犯罪行為である。米国旗研究センターのホイットニー・スミス氏に聞いたところ、「国旗損壊を犯罪としたのはナチス・ドイツアパルトヘイト時代の南アフリカ、中国などごく少数の国々」との答えだ。 
 私も米国の多くの常識人と同じように、国旗を貶めるのは嫌いだが、かといって犯罪行為とするのは大人げないと思っている。
 米国の国旗と抗議運動の小史を調べていて、私がうなったのは、かつて米社会主義の良心と呼ばれたノーマン・トマスの提唱した「国旗清浄運動」である。「抗議するなら、国旗を焼くのではなく、洗濯しよう。国旗というものは、時に垢にまみれ、汚れるから」
 とトマスは言い、広場でみんな一緒になって星条旗を洗うデモンストレーションを呼びかけた。
 このほうが、権力と自称愛国者の腐敗と要らぬ説教に対する、よほど効果的なridicule(あざけり、冷やかし)となる。毛沢東が言ったように、ridiculeこそ最も辛辣な批判なのである

世界ブリーフィング―同時代の解き方

世界ブリーフィング―同時代の解き方

ここに収録、とは断定できないが。


そもそも「侮辱」とは

上の船橋コラムで思い出したんだが、侮辱というのはようは意味づけだからね。
白と赤で構成する日の丸だからやりやすい、ということで広まっている「日の丸の旗への寄せ書き」だが、あれを見て「国旗にあんなことしていいんですか?」と驚く外国人もそれなりにいるらしい。桜木裕司の入場もそのせいで…いや、あいつは顔が問題だ(笑)。DREAMのエース川尻達也が、かつて修斗のエースであった頃(今は違うのか。そうだ)に、シャオリンに二度目の挑戦の前、後楽園ホール前に日の丸の旗をおいて寄せ書きしてもらったっけ。俺も書いた書いた。


あと、星条旗のトランクスとかパンツあるじゃない。ミルコもクロアチアの旗を模したスパッツだね。
筒井康隆「霊長類南へ」では、世界核戦争の引き金は三角関係を含んだ中国国内の論争で、一人が「私は毛沢東主席のパンツを常にはくほど主席を敬愛している」と自慢して見せると、相手は「お前は毛主席に人体のもっとも不潔なところを押し当てている!まさにお前は修正主義者だ」と批判するというネタだった。

霊長類 南へ (角川文庫)

霊長類 南へ (角川文庫)

「親愛の情」と「畏敬」では表現の仕方は正反対になることが多いのでそれがトラブルになることも多い。
もちろん批判の側でも同様だ。


「旗」にちなんだ詩や歌,思いつくまま

http://comic.cn/archiver/?tid-229047.html

ドクロの旗は おれの旗
おれの死に場所の 目印さ


http://arcadia.gozaru.jp/herlock-ka-04.htm

明日の無い海で
自由に生きろと
あの声が歌う
俺の旗の下で
俺の旗の下で
俺は自由に生きる


http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/kasi01.htm

旗を高く掲げよ!
堅固なる隊列を組み
突撃隊は行進する
一糸乱れず確固たる歩みで


http://www15.ocn.ne.jp/~pro_song/akahatanouta.html

民衆の旗赤旗
戦士の屍を包む
しかばね固く冷えぬ間に
血潮は旗を染めぬ
高く立て赤旗
その影に死を誓う


http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/tekiha.html

風に閃(ひらめ)く連隊旗
記紋(しるし)は昇る朝日子よ
旗は飛びくる弾丸に
破るることこそ誉れなれ

http://homepage1.nifty.com/kakogawa/wakaru/sengen/uta/uta1.htm

ああ解放の旗高く 水平線にひるがえり
光と使命を荷い立つ 三百万 の 兄弟よ
今や奴隷の鉄鎖断ち 自由のためにたたかわん


http://d.hatena.ne.jp/t_zard77/20070323
城山三郎の詩)

旗振るな
旗振らすな
旗伏せよ
旗たため


社旗も 校旗も
国々の旗も
国策なる旗も
運動という名の旗も

おまけ。米国では国籍取得の際、旗に対してこう誓うらしい

今、上の船橋洋一コラムを見つけるため「星条旗」で自分のPCを検索したらこういうのが見つかった。
これはたぶんNHKスペシャル…じゃないや、まだ「NHK特集」だったころ、非常に評判を取った80年代のシリーズ「21世紀は警告する」の一文だよ。題は「祖国喪失」。

21世紀は警告する (1)

21世紀は警告する (1)

当時のベストセラーだから、気の利いた図書館にはあると思うよ。
国とは何かを探すため、取材スタッフは世界中をとび、アメリカの移民志望者の、国籍取得の場面を撮影する。
一部は、あまり国籍を取る取らないには縁の少ないこちらの感覚だとちょっと「おいおい」とひく部分もあるが、まあ国籍を取るとは原理的にはこういうことなのだろうな。

アメリカ社会は、人種のるつぼとよく言われる。建国の当初から移民の国であったアメリカは、訪れる人々にとって門戸の広い寛容な国であると言われる。確かに、年間100万人を越す移民・難民を受け容れ続けているアメリカは「自由な国」の名がふさわしい。
しかし、本来「国家」とはそれほど寛容になれるものなのかどうか。市民権・国籍を得るのに最低七年の歳月と、いくつもの厳しい審査をくぐらなければならないのも、アメリカのもうひとつの現実である。
私たちは、ニュージャージー州カムデンの街の法廷で、国籍取得の儀式を取材する許可を得た。国籍の審査は司法省移民局で行なわれる。しかし、最後の、そしてもっとも重要な手続きは法廷で星条
旗への忠誠を誓うことであった。
その日、カムデン連邦地方裁判所の大法廷には、三五か国から来た約八〇人の人々が席を埋めつくしていた。いずれも何年にもわたる厳しい審査をうけてきた人々である。黒い法衣をまとった裁判長が入廷し、木槌の音を合図に全員が起立し、いっせいに胸に手を当てる。それは、あらかじめ司法省係官から指示された行動であった。向かいあう判事席のかたわらには、大きな星条旗が飾られ、その鮮やかな色彩が地味な法廷にひときわ目を引いていた。やがて、女性の係官が短く区切りながら宣誓文を読みあげ、出席者がそれをリフレインしていく。

「私は、今日ここに誓います。これまで属していた国への忠誠をすべて放棄することを、そしてこのアメリカ合衆国に、あらゆる忠誠と忠節を尽くすことを−−。アメリカの法と秩序を守り、必要とあればアメリカのため、武器をもって戦うことを……」

わずか2分ほどの宣誓文であった。そしてこの瞬間彼らは法的に「アメリカ人」となった。
裁判長からの祝辞である。
「おめでとう。私は、皆さんを仲間のひとりとして心から歓迎します。今皆さんは、以前住んでいた国への忠誠を放棄すると誓いました。そして、このアメリカへの忠誠を誓いましたね。この誓いは厳粛なものです。皆さんは、以前いた国では、けっして幸せではなかったかもしれません。しかし国家への忠誠を怠れば、このアメリカでも同じなのだということを忘れてはいけません・・・・・」
じっと聞きいるさまざまな皮膚や髪の色をした人々。それぞれにある事情から国を棄て、あるいは国を失い、アメリカに帰属を求めて来た人々にとって、法廷で星条旗への忠誠を誓うというこのセレモニーは、いわば踏み絵にも似た儀式であった。国家への帰属、国籍とはいったい何か。リトアニア領事館の取材
(※昔ここで引用してました。 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050706#p2 を参照)
で、長い歳月をへてもなお祖国との絆を断ち切れないでいる人々の心を見てきた私たちは、複雑な気持で法廷でのやりとりに立ち合う羽目になった。

ひょっとしたら施設が近くにあるひとは、番組のほうもこれで見られるかも
http://www.nhk.or.jp/archives/